エストニア映画。
ポスターから戦争アクション映画を想像するが、実際は戦争の不条理を徹底して描いた秀作。
エストニアは第二次世界大戦時代、ドイツとソ連の板挟みになり、国民がドイツ兵にされたり、ソ連兵にされたりと二分する。
同じ国民同士が殺しあう羽目になる。
映画の前半はドイツ兵になったエストニア兵側から描かれる。
主人公は自身がドイツ兵になったがためにソ連側についた家族を裏切り、死に至らしめた痛みを抱えたまま、さらにソ連兵になった同胞を殺していく。
と言って、ナチスではない。
ヒトラーは嫌いで、「ハイル・ヒトラー」という上官への敬礼は絶対しない。
彼に限らずエストニア兵はみなそうで、戦闘で降伏したソ連兵になった同胞は逃してやる。
映画の半ばで主人公が突然、ソ連兵になったエストニア人に殺される。
そこで主人公が変わる。
今度は彼を殺したソ連兵になったエストニア人が主人公になり、ソ連兵になったエストニア人の側から描かれる。
ナチスとソ連、ファシズムとしてはまったく「同じ」だ。
上官はドイツ兵になったエストニア人を「裏切り者」と呼び、容赦なく殺す。
後半の主人公になったエストニア人はいくら戦闘とは言え、同胞を殺したことを悔い、殺した前半の主人公が胸にしまったいた手紙を、殺した相手に成り代わりに届ける。
届け先は男の姉であり、自分がドイツ側についたことで家族(その姉を除く)を殺してしまったことに苛まれていることを書いている。
後半の主人公は、前半の主人公を殺したがそれをその姉に言えないまま、短い恋に落ちる。
最後、その主人公は捕虜にしたドイツ兵となったエストニア人を上官に殺せと命じられ、殺さなかったので上官から射殺される。
あっけない。
エストニアの当時の国情がよくわかる。
戦後、エストニアはソ連に無理やり併合され、圧政を強いられる。
長い圧政の末、ソ連崩壊とともにいち早く独立し、西側についた。
人口はわずか130万人ほどの国。
戦う理由がないのに殺すことを強いられ、また意味もなく殺された不条理を抱えた国民。
政治が、権力が、ファシズムが、なにより戦争がいかに矛盾で醜悪かをいかんなく描いている。
それにしても邦題の「1944独ソエストニア戦線」(原題は「1944」)はなんともダサい。