夏はファシズムのよう | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

蚊が飛ぶと我が家では蚊取り線香を焚く。

 

噴射式の殺虫剤は好きではない。

 

床がベトベトするし、なんか体に悪い気がする。

 

蚊取り線香の匂いは嫌いではない。

 

むしろ夏が来た!という感じだ。

 

考えれば、昔の夏「らしさ」は、もはや蚊取り線香ぐらいしか残っていない。

 

風鈴、蚊帳、簾、打ち水、線香花火、床几、かき氷などが消えた。

 

それらが消えたことで夏の暑さはさらに増したというか、夏を楽しむ風情がなくなった。

 

夏とお付き合いしている感がない。

 

みんなエアコンがかかった家に閉じこもっている。

 

外に「涼」を求めて出る人などいない。

 

それがさらに「暑さ」を増幅させている。

 

エアコンをガンガンかけて熱気がムンムン。

 

夏は暑いに決まっていて、それと「付き合う」ことを昔は楽しんだ。

 

それがいまはまったくない。

 

夏はただただ残酷なだけだ。

 

ただただ耐え忍ぶ季節に成り下がった。

 

夏が気持ち悪いものにかわったのは、温暖化で暑さが尋常でなくなったせいだ。

 

家に帰るとすぐにエアコンのスイッチを入れる。

 

入れないと気がすまない。

 

窓を開け、風を通し、吊るした風鈴が鳴るという風情はありえなくなった。

 

簾の向こうから蝉の声が聞こえ、かき氷でも食べるという風情は存在しようがない。

 

温暖化はそういう風情=夏とのお付き合いを奪ってしまった。

 

ひたすらエアコンをつけ、家に閉じこもり、ひたすら夏という災厄が通り過ぎていくのをじっと待つしかない。

 

最近は扇風機が活躍する時期も短くなった気がする。

 

扇風機では暑さに耐えきれず、すぐにエアコン。

 

昨日の晩もムシムシしてなかなか寝付かれない。

 

寒い時は冷えた体が布団の中で暖まると気持ちよく、その気持ちよさが眠りを誘い、心地いい睡眠がとれる。

 

夏はダメ。

 

暑さが気持ちを落ち着かせず、心地いい睡眠に入れない。

 

年寄りがエアコンをかけずに熱中症で死んだというニュースがまもなく流れる。

 

「エアコンをかけましょう」と勧めるが、エアコンの中に閉じこもることがなんだか虚しい気がする。

 

なんでエアコンをかけねばならないのか?

 

人工的な涼しさは嫌だと抵抗する年寄りはいると思う。

 

温暖化の夏はなんだかファシズムのように弾圧的で、人の自由を奪う。

 

エアコンは夏のファシズムの責め具のようで、あるいは麻薬のようで、そこから逃れられなくなる人間が悲しい。

 

温暖化は夏のありかた、人のありようを極端に変えてしまった、卑屈にしてしまった。