1987年 | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

「これはわずか31年前の事件」と一番上に記されている。

 

2018年に公開された映画。

 

こう記したのは日本の映画配給会社だろうか?

 

つまり日本人の感覚で31年前、いま(2024年)からいうと37年前の韓国ではまだこんなことをしていたという感覚なのかもしれない。

 

「ある闘いの真実」というのも日本でつけられたサブタイトルで、原題は「1987」だけだ。

 

1987年の韓国は全斗煥による軍事独裁政権だった。

 

「反共」を掲げる警察内の一組織が暴走し、民主化を求める学生を拷問死させる。

 

それを隠そうとすることに警察、検察内部でも非難が起こり、それまで軍事政権の言いなりになっていたメディアも記事にし、学生・市民が「拷問死」を非難するデモを繰り返し軍事政権と激しく対立する。

 

とにかく警察内の反共取り締まり組織が暴力一辺倒ですさまじい。

 

民主化を求める活動家たちに残忍な弾圧を行うが、そのやり方は彼らが憎む北朝鮮の独裁とまったく「同じ」で、共産主義と反共となにが違うのか、なにを憎んでいるのかわからない。

 

反共組織のボスが脱北者で、北朝鮮に家族を無慈悲に殺されたと語るが、同じことをしているのでまったく説得力がない。

 

1987年、日本はバブルを謳歌?していた。

 

勤め人自身の懐は寂しいままだったが、会社の金は割と使い放題だった。

 

毎日のように会社の金で飲み、タクシーチケットは切り放題で、大阪から京都までタクシーで帰っていた。

 

もちろん見せかけの贅沢。

 

そんな時代に韓国では軍事政権と闘い、日本から見れば「遅れた国」に見えた。

 

しかし韓国をそんなファッショな国にしたのは元はと言えば日本が朝鮮半島を侵略し、植民地化したせいで、日本の敗戦があっても独立できないままアメリカとソ連・中共の傀儡政権として韓国と北朝鮮の二つの政権が生まれ、対立する羽目になる。

 

その日本人が対岸の火事として1987年の韓国の民主化闘争をみて、韓国を「遅れた国」とみるのはなんとも無自覚でざんない。

 

と一方で、韓国の民主化闘争もわかりにくさがある。

 

軍事独裁政権への怒りはわかる。

 

けれどその後生まれた金永三、金大中の政権などが理解しがたい。

 

激しい民主化闘争の果てにしては民主主義という感じがしない。

 

いまだに北朝鮮との対立があってその緊張から軍事は排除できずにいるのがそのせいかもしれないし、そもそも民主主義というものに具体性がない。

 

民主主義は空疎だ。

 

日本でも同じで、自民党だって「自由民主党」であり、恥ずかしげもなく民主主義を標榜しているが、どこが民主主義なのかさっぱりわからない。

 

立憲民主党もしかりで、共産党の掲げる民主主義も実態がない。

 

映画の中で民主派の学生運動の活動家が「愛国者のみなさん」と市民に訴えるシーンがある。

 

愛国者が民主主義というのが自分には理解できない。

 

もし民主主義というものが「ある」としたらそれは国家=政治と決別したところにあると思える。

 

その国家=政治と決別しない民主主義をいくら訴えても限界というか、韓国だけではなく、世界中の民主主義が虚構としか映らない。

 

映画を観ていると軍事独裁政権への怒りはわかる。

 

けれどその「先」がまったく見えず、すっきりしないし、希望はない。