朝鮮戦争 | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

プライムビデオで面白い韓国映画がないかと検索していると、当たり前というべきか朝鮮戦争を描いた作品に何本か出合う。

 

うち2本ほど観たが、観ながら違和感でいっぱいになる。

 

単純に、同じ民族、同じ言語を話す者同士が殺しあうことへの違和感。

 

北朝鮮兵士を悪人として描き、どんどん殺していく違和感。

 

そんな描き方でいいのかと思う。

 

そういう描かれ方をするのを観ると朝鮮戦争は終わっていないなと実感する。

 

戦後の冷戦がなければ、彼らはいがみ合うどころか、分断されることはなかった。

 

冷戦の代理戦争として一方でソ連・中共、他方でアメリカの傀儡政権が生まれ、戦う羽目になった。

 

そして戦後も共産主義と反共という形で対峙した。

 

1970年代ぐらいまでは共産主義(社会主義)はまだ「有効」だった。

 

日本でも共産主義は理想だと信じられ、北朝鮮は「地上の楽園」と思われていた。

 

いまのように共産主義が蛇蝎の如く嫌われることはなく、むしろ「反共」を掲げた韓国の軍事政権が金日成の政権より嫌われた感がある。

 

共産主義の本質が暴かれた1980年代以降は、嫌われるのは北朝鮮のほうで、韓国は民主主義国家?として「上位」に立つイメージだ。

 

そして朝鮮戦争は共産主義独裁と民主主義の戦いとして描かれている。

 

しかしどう意義付けされても、同じ民族間の戦争は理解しがたい。

 

朝鮮戦争は終わっていなくて、休戦だと言われ、韓国にはいまも徴兵制が厳然としてある。

 

もう戦うことはないだろうし、あればどちらも破滅に近い状態に陥る。

 

それでも戦争をひきずったままだ。

 

そんな韓国の政治状態は日本人には対岸の火事で、ただ眺めているだけだ。

 

しかしそもそも朝鮮戦争を引き起こしたのは日本であり、朝鮮半島への侵略がなければ朝鮮戦争はなかった。

 

なのに日本人は知らんぷりを決めている。

 

そして単純に同じ民族が殺しあうことに違和感を抱いている。

 

不思議だとさえ思う。

 

翻って日本が「平和」とも思えない。

 

戦争の影はちらつき、軍事費は増大する一方だ。

 

それでも戦争のリアリティはない。

 

いまの韓国も戦争のリアリティはないのかもしれない。

 

ただ日本の植民地時代から朝鮮戦争、反共の軍事独裁政権に至るまでの「重さ」はなかなか消えない。

 

そのぬぐえない「重さ」は知っておいたがほうがいいと思う。

 

滑稽でも韓国映画が描く朝鮮戦争を観ておいたほうがいい。