走りたい欲 | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

コロナも実質的に終焉し、円安で外国人観光客が増え、京都は観光客だらけ。

 

その分、観光ガイドの仕事は増え、休みが少なくなって鴨川を走る回数が減った。

 

以前は2日に1回、走っていたが最近は週に2回ぐらいしか走れない。

 

今週も休みが月、火だけだったので頑張って2日連続走った。

 

膝が少し痛むのと、太ももが張るので連日走るのは爺にはちょっと辛い。

 

ましては、おとといは終日雨。

 

それでも雨雲レーダーとにらめっこして、比較的雨量の少ない12時ぐらいに走った。

 

キャップを被ると雨が当たっている感じがしないし、自分と同じように雨の中を走るもの好きランナーを数人見かけた。

 

前日から激しく降る雨で水たまりができていて、それを避けて走るのは結構めんどい。

 

それでも走らないより、走る方がいい。

 

走り終えてシャワーを浴びると「一仕事した」感がある。

 

どうしてそこまでしてと思われるだろうが、「走りたい」というより、「走らないと」と思う。

 

爺だから速くは走れない。

 

でも速くなくても、走ればやはり「しんどい」。

 

なのに走るし、走れるチャンスがあるのに走らないとなにか悪いことをしている気がする。

 

体にいいことをしているとは言い切れない。

 

膝を悪くしているだろうし、心臓に負担をかけている気もする

 

一方で、走っているせいかどうかしらないが人間ドックでなにかの数値に大きくひっかかることはない。

 

薬は一切、飲んでいない。

 

今日もこれから修学旅行ガイドで2万歩あるくが疲れをあまり感じないことがない。

 

体力を維持できているのは走っているおかげと勝手に思い込んでいるが、体力維持のために走っているのではない。

 

なぜ走るかはうまく説明できない。

 

走らないと気がすまないだけだ。

 

飯を食べたり、ウンチをしたりと同じで、日常不可欠なルーティン。

 

もう30年も走り続けているのでそうなってしまった。

 

京都のオーバーツーリズムはまだまだ続くだろう。

 

その分、走る機会が減り、走りたい欲はおさまらないだろう。

 

とは言え、ガイドの定年まであと2年弱。

 

そのあと暇がわんさか押し寄せるので走る機会は増える。

 

しかしそのとき、機会が増えすぎて、走りたい欲はどうなるのか、萎えないか心配。

 

欲は相対的な気がする。