不自然なドキュメンタリー | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

おととい、NHKで「福島モノローグ」というドキュメンタリーが放送された。

 

すべてを観ていないので、いい加減な感想かもしれないが、あるシーンをみて、瞬時に違和感が起こった。

 

原発被災地を復興させようと先祖の土地を守り、一人で米作りに精を出す男性にスポットが当たっていた。

 

その男性が自然農法にこだわり、自身が作った米を食べるシーンがある。

 

カメラがじっと捉えていると一人しかいない食卓で、「うまい」とつぶやく。

 

食レポか、と感じた。

 

非常に意地悪なとらえ方をすると、NHKが長く、その男性を追っているらしく、彼はいつの間にかカメラ慣れし、ここで「うまい」と言った方が「様」になると考えた気がした。

 

いわばもはや素人ではなく、役者のようにである。

 

普通に考えて、うまいものを食べて「うまい」とはつぶやかない、一人しかいないのに。

 

記者かカメラマンが「どうですか、お味は?」と問いかけて「うまい」と答えるのが自然だろう。

 

それを自らつぶやく違和感が拭い去れない。

 

そうしてしばらく観ていると、なにかにつけ自身がどう映っているかを意識しているような態度がうかがえ、観続けられなくなった。


彼をカメラが追いかけた当初はそうではなかった気がする。


それが悲しいかな、自身がテレビに映り、チヤホヤされるとヒーローになった錯覚に陥る。

 

それに気づかない本人もそうだが、記者、カメラマンもおかしい。

 

ドキュメンタリーというのは「ありのまま」が命である。

 

不自然さを視聴者が感じれば、失敗だ。

 

もちろん、一人で米作りをしているのは嘘ではない。

 

しかし「先祖の土地を守る」とか「復興」ということに夾雑物、余計なものが入っていないかと疑いたくなる。

 

それをみせてはいけない、ドキュメンタリーは。

 

はっきり言って、彼のヒロイズムのようなもの、自己顕示欲が混じっていれば、意味は異なってくる。

 

彼のためにも「うまい」とつぶやくシーンを放送したのは間違いという気がする。

 

話を飛躍すると、自分は復興のために先祖の土地を離れない人だけを称賛するのはおかしいとも思う。

 

先祖伝来の土地から離れなければならなくなった人にとやかくは言えない。

 

その無念さも一つの真実で、描くべき対象だと思える。


また彼のように目立たないで被災地に残って頑張っている人もいると思う。

 

残る人もいれば残れない人もいる。

 

福島に限らず、被災地では色々、複雑な選択が迫られるだろう。

 

そこも気にかかった。