あまりにも閉鎖的な顔出しなしインタビュー | 野中宗助の日常

野中宗助の日常

漱石「門」の主人公の名前を拝借

昨日、「池田町町長セクハラで辞職願」というニュースをやっていた。

 

町長は、町の女性職員に「いやらしいこと」をいっぱいやっていた助平爺らしい。

 

で、ニュースで町民にインタビューすると顔出しなし。

 

声だけ。

 

なんとも閉鎖的な。

 

町長はやめても、長く行政の中で君臨してきたその助平爺の退職後も恐れてか、顔出しして非難しない。

 

そんな町だからそんな助平爺が町長であり、君臨してきたのだ。

 

人口は2万強、ニュースによると爺は町の職員を長く勤め、そのまま町長になったとか。

 

行政の職員がそのまま首町になるケースは多いが、行政自体を牛耳るので本来は行政の職員を首町にさせてはいけない。

 

京都市でも少し前まで市長を務めた男は京都市の職員からの叩き上げで、長く市職員であったために職員を牛耳っていたと言われている。

 

市の幹部たちは彼の息のかかった人物ばかりだったかもしれない。

 

そんなことをすればセクハラもパワハラの横行するに決まっているし、何より行政は密室的になり悪がはびこる。

 

どの世界でも同じだが長く君臨すると権力は増大し、独裁になる。

 

誰も文句を言えなくなる。

 

今回のケースもセクハラだけが問題ではなく、長く君臨する=独裁こそが問題である。

 

なぜ町民がインタビューで顔を出せないのかを取り上げるべきである。

 

ただ一人のセクハラ町長がやめたで終わらせるのがおかしい。

 

そして「辞職願」。

 

本人の意志でやめたということは退職金が払われるということか。

 

悪いことをして退職金がもらえるとしたら、めちゃおかしい。

 

民間企業ではありえない。

 

企業なら「解雇」であり、もちろん退職金は払われない。

 

セクハラ程度なら解雇にならないという認識が甘い。

 

ましてや権力に行使によるセクハラであり、悪質すぎるセクハラで、辞職ではなく、解職であるべきだ。

 

ニュースは「一つ」の出来事としてしか捉えない。

 

でも同じことはたくさんの自治体で起こっているだろう。

 

それをなくすにはメディアも「一つ」の出来事ですませないで、事の本質を暴くべきである。

 

情けなく顔出しできないインタビューはありえない。

 

田舎の閉鎖的な因習がいまだ残っているといわれても仕方あるまい。

 

情けない町民が選ぶ、独裁的な町長。

 

だから選挙は愚かしい。