光の写真展 in 仙台メディアテークの、
レイアウト作成中なり・・・
ってことで、
二年前の記事、抜粋~
なんにもいらないから、
何かを与えられる人間になりたい・・・
与えっぱなしの人間になりたいです
どんな環境に入れられても、
何の不平や不満が湧いてこない、
そんな人間になれたら、どんなにいいだろう・・・
誰と接しても、どんな出来事が目の前に現れても、
何ら動揺や疑いの想いが起らない
そんな人間になれたら・・・
どんなに悪い環境に入れられても、
どんなに辛い言葉を言われても、
心に、何の批判や不満がなく、
いつも澄みやかに、感謝の心が湧いてくる
自分が何かをしてやろう、とか、
どんな立派なことも、自分がしたとは少しも思わず、
すべて、天がさせて下さったことと、
心から感謝の祈りを捧げてる
そんな人に、私は憧れた
そんな人になりたい
そんな先生が歩いた道の上を、
私も歩いていきたい
天が、私のことを生かしてくれているのなら、
私のすべてを捧げましょうと、そんな生き方がしたかった
多くの人たちが、未だ暗闇の中を彷徨っているこの世界で、
一筋の光明となれたら、どんなに幸せだろうかと、
そんな生き方を、ずっと願って生きてきた
だから辛いことがあればあるほど、
天が私を磨いて下さっていると、そう信じて生きてこれた
それは、すべてを取り上げられていく道だった
私のものなど、ただの一つも残らなかった
この世界の、ありとあらゆる執着や、想いや、繋がりが、
すべて断ち切られていく道だった
欲しい物や、個人の願いの何もかもを、捨て去っていく道だった
すべてを捨てて、
私の前には、天命の道が開かれていった
個人のものなど、最初から一つもなかった
天に生かされていく道だけが、私の目の前にあるだけだった
何一つ、私は持ってはいなかった
すべて、天が与えてくれていたものだった
肉体の人生を、
今日も私は、天に捧げて、
今を精一杯、生かされていることに感謝して生きる
それが私の人生の、最後の瞬間まで続いていく
多くの人たちが、自らの生き方を見つけられるように、
自らの価値を見出せるようにと、
そんな祈りの響きに乗って
先生が言ったことは、嘘じゃなかった
今までの聖者や賢者たちが言ったことは、すべて間違いじゃなかった
イエスが言ったことばも、
釈迦が言ったことばも、
老子の生き方も、みんなが真実のことばだった
みんな真実の命のあり方を説いていた
人間の生き方を説いていたのではなく、
そこから、真の人間観、生命観に立ち還っていくためのものだった
自らのすべてを捨て去った先に、
人は真の姿になれる
何もなくなった時に、
本当の命が得られる
与えっぱなしの人間になれる
天がそう望むのならば、
私は喜んで、この命を捧げましょう
どうぞより良き人生のため、
〝 平和の礎 〟とならんことを、
私の唯一の願いとして生きましょう
自らの命を、天に投げ出せば、
人は誰でも、天の器と成れる
平和の礎としての人生が開かれてくる
この命を、最もよく生かしたいと願うのならば、
心を尽くし、魂を尽くし、己のすべてを捧げ尽くして、天に仕えるべし
個の命を捧げた時に、
その人は永遠の命を得られるからだ
様々な試練を乗りこえて、
肉体は、天の世界を写す鏡となる
天の響きを通す通り道となる
その時に、人は真に幸福になれる
すべてを捨てた時に、
人はすべてを得、
すべてを与えられる人になる
天の愛を、
この世界に伝えられる人になる
神人誕生
その時に人は、
この世界を照らす〝 光明 〟と成れる
世界が平和でありますように