自然に言える時が、言うべき時。
自然に行える時が、行うべき時。
神様はその〝 ベスト・タイミング 〟を、
いつも教えてくれている!
〝 これは言うべきかしら? 〟なんて、
迷ってるうちは、まだまだまだ!
〝 あーしてこーして、それやるか! 〟なんて、
考えてるうちは、まだまだまだ!
迷いも思いもなくなって、
体まかせに、自然まかせに、
すべてはあなたがやりたいように・・・
ちょっと複雑だけど、
複雑と思ってるうちは、まだまだまだ!
人生の最後の修行は全託行
こんな話を前に聞きました
その通りだと感じています
私の人生を通して、人の人生を通して
〝 空(くう)というものは 〟
真に生きなきゃダメ?
考えてもダメ?
じゃあそれなら、
ダメって思うのもダメなんでしょ?
なによそれ?! めんどくさい!
〝 私は、私の生きたいように生きるわ!
〟
自分の力だけで生きている、そう考えている内は、
まだまだなんだねッ
それは自惚れ
人間は、いやすべての命は、生かされている
〝 心のままに生きる
〟ってのは、
〝 我がまま 〟に生きるってことではないよ
そんな欲や、小さい理想や、自らにかけている制限、思い込みをすべて捨て切って、
〝 心
〟に全託することです
あーしよう、こーしよう、
あぁした方がいいんじゃないか、いやこっちの方が得するんじゃないか、
そんなんではない
想いも願いも捨て切って、
体と頭をスッキリと〝 空っぽ
〟にした時
そーした時に、その人の命がイキイキと表に現れてくる
あーしよう、こーしようは、
〝 邪魔 〟なんですね
すると言われるわけだ
頭で考えないと、生きてなんていけないじゃないかと
そこが、神人と凡夫の違いよッ
神人は、頭の中がスッキリと〝 天の響き
〟で満たされていて、
〝 我 〟がない
〝 空っぽ
〟なんです
なんだか、頭が空っぽじゃアホみたいだけれど、
本当に〝 空っぽ
〟で何もない
あれこれ頭で、考えていない
じゃあどっから動かされているか、
その人の言動行為、考え、叡智は、
どっから湧いてきているのか
〝 心
〟なんですね
ハート、本心、天と言ってもいい
あるいはハイヤーセルフ、ハイスピリット
命と言ってもいい
人間には肉体の他に、霊体、神体と様々な階層の体があって、なんて話は長くなっちゃうから、
簡単に〝 心
〟
〝 心
〟が、未来を見通し、その人の天命を全うする道を、
その時その瞬間、その人の肉体を使って、現すのです
霊主肉従
その〝 心
は、〝
仏
〟と言ってもいい、
〝 キリスト
〟と言ってもいい、
天之御中主神、大日如来、天照大神
天、神、愛、宇宙の中心、大生命、光・・・
様々な聖者・賢者たちが語ってきた生き方、身をもって現してきた生き方を、
〝 全託
〟
〝 心のままに
〟
と言うのです
難しいわなッ
それが出来ますかみなさん
頭を〝 空っぽ
〟にして、
〝 何も考えない
〟
座禅観法して、空(くう)、空(くう)、空(くう)、
空(くう)って想ったら、それは〝 想っている 〟ことになるでしょう?
今度は空(くう)に把われちゃう
出来ないんですね、そんなに簡単には
ところが〝 心
〟に意識を向けたら、
それが出来ちゃう
目を閉じて、〝 ハート
に意識を向ける
体の力を抜いて、〝 ハート
〟の声を聴いてみる
胸の辺りが〝 ホワン
〟と優しくなるはずだ
その響きのままに、何にも考えないで、ハートに意識を委ねてみる
それを、〝 祈り
〟と言う
その意識のままで、日常茶飯事、様々な日常の物事に入っていく・・・
それが完全に出来た人を、覚者、如来、〝 神我一体の人
〟と言う
お釈迦さまやイエス・キリスト、老子たち聖賢が説いた、
〝 全託
〟の境地
未来の人間たちの姿です
なれますかねェーッ
いやはやッ(^^
〝 我 〟がなくなれば、ロボットみたいになっちゃうのかって?
全然そんなことはない
より、その人の個性が光ってきます
それも、すべてが善い要素となって
完全円満の、各々の個性を発揮した、真人の姿が現れてくるんです
〝 我 〟の奥に、〝 真我
〟があるのだから、
〝 我 〟がなくなれば、それだけその人の命がイキイキと、
全面に現れてくるのです
いや~簡単に言ってしまいましたねッ(^^
それを身をもって体験するために、
私たちは何百・何千生と生まれ変わりを繰り返して、
人生の経験を積んでいるのです
そして、最後の仕上げがすべてをお任せすること
天にすべてを任せて、天のままに生きられるようになること
心のままに
そんな意味で、私はこのことばを使っているのです
み心のままに
そう、私たちは天に生かされているのです
世界が平和でありますように