覚者は仏(本心)と因縁生(想念)とを、はっきり区別することが出来、
本心が常に因縁生である肉体想念に把われ、ひき廻わされることがないのである
だから、どのような人に会い、どのような運命に遭遇しようとも、
騒ぐこともなく、あわてることもなく、泰然として、
本心の光でその波が消滅するまで待っているのである
だから、因縁生のその波動の中で、本心の光と融合出来得る因縁のみが残り、
その他の波は遂いに消え去ってゆくのである
ところが衆生は、仏である本心を忘れはてて、
因縁生である、過去世からの波のまにまに翻弄され、悩み哀しみ、妬み苦しみ、
怒り悶えるのである
このような肉体の生活を営みながらも、こうした因縁生の中に生きながらも、
その肉体生存のためのみを想わず、因縁因果の波に把われず、常にみ仏を想い、
本心をみつめて生きつづけてゆくことをせねば、衆生は、いつ迄たっても凡夫として、
この三界の苦しみの中を生れ変り死に変りして、輪廻しなければならない
小説 阿難 より 目連尊者の説法
本心と想念の区別をしようッ
いかに気持ちがイライラして、怒ったり、
あるいは哀しんだりしても、
それらは今のあなたが怒っているのでも、イライラしているのでもない
過去世からのその人の幽体(想念波動の蓄積所)に蓄積されていた想いが、
今になって表面に現れてきただけ、
目の前を通り過ぎていっただけなんです
それを人々は掴んで、あぁイライラする、あぁ哀しいとやっている
肉体に浮かんでくる想い、
心を覆ってくる感情想念は、
今のあなたが発したわけではなくて、
今のあなたとは関係のないものなのです
病気になった
しかしそれは、今まで奥の方に溜まって潜んでいた〝 毒素 〟が、
人間の自然治癒力によって、外に排出されて、
それで熱になったり下痢になったりするのでしょう?
病気の症状として表に現れた時は、
ホントはもう治っている時なんですね
〝 毒素 〟が表に現れずに、奥に溜まっている時は、
なんだか健康な感じがしているだけで
それを人間は、表面に現れたことしかわからないから、
病気になった、大変だどーしようどーしようとやってしまうんです
自然治癒力に任せれば、
すべてが治っていくのに
勝手に通り過ぎていくのに
人に傷付けられた
心が痛い
それもみんな、過去の想念波動が、
心を覆う〝 もやもや 〟として表に現れてきただけ
今のあなたが傷付いたわけでもなければ、
あなたの本心は何ら傷付かず、変わらずに透き通っている
力を抜いて、時間が経てば、もやもやは消えていき、
平和な心に還っていく
今、病気である、今、貧乏である、
今、苦しんでいる、今、哀しんでいる、
それはすべて、過去のあなたが発した想念波動が、
表に現れて来ただけなんです
今のあなたが、苦しんでいるわけでもなければ、
今のあなたが哀しんでいるのでもない
今のあなたが貧乏になっているのでも、今のあなたが病気になっているのでもない
今のあなたの本心は、
変わらずに透き通って、〝 完全円満な姿 〟で輝いている
みんな過去の影なんです、影絵を私たちは、
この世界の真実だと想って見ているんですね
今の姿と見ているわけです
しかしそれらはみな、掴まなければ勝手に消えていくような、
実体のない幻なんです
幻を見て、これが現実だ、これが私だ、これが肉体だとやっているけれど
昔、自分は短気だと言っている人がいた
短気な人なんていないんです
ただ、怒ったりイライラしたりする〝 想い 〟が、
現象の世界に現れてきただけ
それは昔の想念波動なんだけれど、
その人は、今の自分が短気だと想ってしまっている
短気な人なんて一人もいないんです
愚かな人も、弱気な人も、傲慢な人も、残忍な人も、
この世界には一人もいないんです
ただ、過去の想念の影なんです
この世界に現れてきていることは
だから本心を掴まなければなりません
本心とは、
木の下に座って、昼下がりの陽光を観じながら〝 無心 〟にまどろんでいる時のような、
すっきりとした雲一つない青空を眺めて、意識が大きく広がっている時のような、
平和で淀みのない、澄み切った青空のようなものなのです
何にも捉えどころがなく、掴みようがなく、空気のように何もないように観えるが、
たしかにそこには、私たちの命の響きが燦然と輝いている、
透き通った〝 珠玉 〟のような心が、
私たちの本体なのです
ただ〝 何にもない 〟と言ったって、
何が何だがわからないんですよッ
何にもないって言ったってわからないから、
この世界のことばでどう表現したらいいのか、
〝 平和な心 〟ということになる
思慮分別の想い、あの人は善い悪い、
私はだめだ私は偉い、
そういうものは、私たちの本心にはないのです
だから肩の力を抜いて、心の力を抜いて、
〝 ハート 〟 (胸にあるチャクラ、ぽっかり空いた心の窓) に意識を合わせて、
すべての想念波動を静めていけば、
もうそれが本心を現した姿、
あなたの本体と一つになった姿
思慮分別の世界、三界の世界から抜け出た、
本心の世界に還った姿、心境ということになる
その状態に最も易しく、入りやすい方法として、
私は〝 平和の祈り 〟をすべての人に伝えているのです
心が、無心で、想念が〝 平和の祈り 〟に満ち満ちている
そういう心を本心、私の本当の姿として、
あとのどんな現象の想い、どんな感情が現れてきても、どんな環境が現れてきても、
人から悪口言われたって、風邪をひいて寝込んでいたって、
ありとあらゆる出来事は、
この本心の前を通り過ぎていく、実体のない影絵にすぎない
平和の祈りが本心、
あとはその前を通り過ぎて、消えていく姿
それが過ぎ去れば、
あとは穏やかな本心の響きが、
その人の全人生に現れてくるのです
だからどんな時も、平和の祈りの中に入って、
心穏やかな人生を生きていってもらいたいと、
願い、私たちはいつも祈っているのです
世界が平和でありますように