〝 人間の想念と天象儀 〟 小説「阿難」より  お釈迦様のことば | source message

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人生は素晴らしい! 世界はこんなにも美しい!!

 

 

阿難(あなん)よ、

 

 

面(おもて)を上げて、私の言葉を聞くがよいキラキラ

 

 

統一に入る前にそなたが心に思っていた疑問に答を出してあげようキラキラ

 

 

 

 

世尊、あの天象儀への疑問でございましょうか?

 

 

 

 

左様、そなたの先程の疑問、また折をみて、

 

 

沙門一同にも説き聞かせようと思っているが、

 

 

今宵は、そなたに映像として説き明かそうキラキラ

 

 

 

 

阿難よ、私の前に結跏趺坐せよキラキラ

 

 

 

 

そして、瞑想せよキラキラ

 

 

 

 

世尊にそういわれて阿難は、世尊のみ前にしっかりと結跏趺坐した。

 

 

 

そのようにして阿難が、世尊のみ前において統一状態に入ってゆくと、

 

彼の心眼に種々様々な人物の姿が映って来た。

 

 

 

刹帝利(王族、武士)、婆羅門、毘舎(農民、工人、商人)、首陀羅(奴隷階級)の人々が、

 

人間の生活のあらゆる姿、あらゆる場面を、阿難の心眼に映し出してゆくのである。

 

 

 

それは、その人々の一つ一つの行為が、

 

眼の前に実際に展開されているように阿難には観じられているのであった。

 

醜い行為、卑しい行為、破廉恥、慢心、残虐、無慈悲、自己卑下、虚無等々の行為が、

 

阿難の心眼に映りつづけた。

 

 

 

そうした行為をつづけている人々の体から、

 

黒色に、褐色に煙とも雲ともつかぬものが、一面に立ちのぼっていて、

 

なんともいいようのない嫌悪感を、阿難に感じさせた。

 

そうした暗雲が、お互いに入乱れ、交流しあい、その暗雲に人々は押され、あおられ、

 

踊らされるように、ますます悪行為、不善行為をしつづけていった。

 

 

 

 

暗雲はすべて業(カルマ)であるキラキラ

 

 

 

 

業に踊らされる人々の姿を篤(とく)と観ておくとよいキラキラ

 

 

 

 

世尊のみ声が、阿難の心にひびいてくる。

 

 

 

暗雲を見つめていると、その暗雲は、様々な魔人、魔獣、魔鳥の姿に見えて来た。

 

人間たちは、彼等に弄ばされつづけて、悪徳行為をつづけているのである。

 

 

 

人々の体から想念の波が流れ出てゆくと、その波の汚れを拠所として、

 

それらの魔界の生物が集積して来る。

 

一ヶ所の波動の汚れが次第に大きな汚点になってゆき、遂には、

 

本心が全くその暗雲に覆われてゆくのであった。

 

 

 

ある商人は、金を得るために、口から出まかせの虚言を吐いている。

 

彼の舌から暗雲が吐き出され、その暗雲に乗って、

 

魔性が、逆に彼の体の中に入って行くのが見える。

 

 

 

また、ある家の中で一人の武士と一人の女性とが、

 

喃喃喋喋(なんなんちょうちょう)として語らっていると、

 

そこに憤怒に顔をゆがめた武士が駈けつけて来て、

 

やにわに女性と語らっている武士に斬りかかっていった。

 

 

 

二人の武士の間ですさまじい闘争がはじまり、

 

斬りかけられたほうの武士がついにその場に斬り倒されてしまった。

 

それをみていた女性は、手を合わせ、頭を下げ、

 

あらゆる姿態をしてその武士にむかって、自分の生命を助けてくれ、と哀願していたが、

 

血に狂ったその武士は、なんとしてもそれを許さず、

 

その女性をも、その場に斬り伏せていた。

 

 

 

血生臭い刃を手に、暫く放心したように、その場に立っている武士の周囲から、

 

暗紅色と黒色との入り交じった想念の雲が、くり拡がって、

 

悪鬼の笑声が聞こえているようであった。

 

 

 

一人の女性を中にして妬心の闘いの一場面であった。

 

 

 

次に阿難の心眼に観えてきたのは、

 

国と国との大戦闘の幾つもの場面であった。

 

 

 

雨と降りかう交戦の矢と矢。

 

入乱れる剣と剣、人と人、馬と馬。

 

阿鼻叫喚。倒れる人、燃えさかる炎。

 

権力欲と権力欲との激突に、次々失われてゆく人命。資材。

 

 

 

恨みの想い、苦痛の想い、呪い、悲しみ、絶望、執着、

 

様々な想念が渦巻き荒れ狂う戦場の様相は、

 

百鬼夜行そのままの暗澹(あんたん)たる地獄の姿であった。

 

 

 

阿難は、じっと耐えてその地獄絵図をみつめていたが、その場面もやがては消え、

 

場面は次々展開してゆく。

 

 

 

夫婦親子の争い、不平不満に満ちた生活。

 

虚偽の生活、虚無の生活と、あらゆる悪徳の姿を阿難は心眼に観せられていた。

 

 

そうした悪徳行為の場には、いい合わせたように必ず魔界の生物の哄笑(こうしょう)があった。

 

 

 

 

魔性の姿と見えるものは、その人、その人の想念の波、業の波が、

 

 

形となって見えているだけで、真実そうした形をもって存在するものではないキラキラ

 

 

 

 

人間の誤てる想念が、魔界を創り、魔性の生物を形づくっているのであるキラキラ

 

 

 

 

しかし、一度び形づくられた魔性は、その悪想念の波をもって、

 

 

人間世界を覆おうとして来るのであるキラキラ

 

 

 

 

人間はそうした悪想念の波を打消す光明を自己のうちに持ちながら、

 

 

いたずらにその波に踊らされ、ひきずりこまれ、遂には、

 

 

この人の世を魔界そのものとして行こうとしているのであるキラキラ

 

 

 

 

衆生はその事実に気づかず、

 

 

人間自体を、卑下し、自嘲しているキラキラ

 

 

 

 

自ら出した想念に、自ら縛されている人間像なのであるキラキラ

 

 

 

 

その自縄自縛を解きほぐさなければならぬのが沙門の務(つとめ)であるキラキラ

 

 

 

 

沙門は先ず自己がその無明(まよい)から醒めねばならぬキラキラ

 

 

 

 

そうした妄念を浄めねばならぬキラキラ

 

 

 

 

阿難よ、そうした妄念がこの世に満つると、

 

 

そのような業はいつしか自ら崩れ壊れてゆかねばならぬ定りになっているのであるキラキラ

 

 

 

 

その自壊の様相が、個人的に働く時、個々人の不幸、不運となり、

 

 

大きく集積して崩れてゆく時に次々と観らるるような事態を起してゆくのであるキラキラ

 

 

 

 

心を凝(こら)して、よくよくこの理を認識すべきであるキラキラ

 

 

 

 

とまたも世尊のみ言葉が心に聞えて来た。

 

 

 

阿難の心眼には、

 

あらゆる人間の悪想念が創り出した暗黒雲が一杯に拡がってゆくのが観えはじめ、

 

その暗雲が天地に充満するかと思われた瞬間、

 

雹かとも思われる大粒の雨が一滴二滴、降り出したかとみるや、

 

その雨につれて猛然たる風が巻き起り、忽ち猛烈なる暴風雨となり、

 

その風雨が、天地をも揺り崩すばかりの大きな地震(ない)をともなって、

 

さながらこの世の終末を思わせる天変地異の様相を呈しはじめた。

 

 

 

それは真実そのままに、阿難の心眼に観じられているのであったが、

 

阿難の心は、その天変地異の境外にいるらしく、畏懼(いく)の想いが少しも起っては来ないのである。

 

 

 

 

阿難よ、そなたの疑問としていた天地の変異は、すべてこのように、

 

 

人間の想念の波、行為のひびきが集積して起こされるものであって、

 

 

人間以外の何者が起し得るものではないキラキラ

 

 

 

 

阿難よ、人間交互の間に起る不運も不幸も、自然界に起る諸々の変異も、

 

 

人間界に及ぼすあらゆる災害は、

 

 

これみな人間自身の誤てる想念行為によって起されるものであることを銘記したことであろうキラキラ

 

 

 

 

人間世界に満ちている悪想念が浄まらぬ以上は、自然界が起すごとく見える災害も消ゆることはないキラキラ

 

 

 

 

もし、人間世界の悪想念が浄まり、

 

 

人間の心内に真であり、善であり、美である想念のみが流れつづけているならば、

 

 

自然界は、人間世界に幸する大調和の状態のみを提供するであろうキラキラ

 

 

 

 

阿難よ、次の事実をよく見くらべてみるがよいキラキラ

 

 

 

 

世尊のみ言葉が終ると、阿難の体がすうと軽くなり、

 

次第に大きく拡がってゆき、宇宙円に融けきってしまったかと思われた。

 

 

 

彼の心は、先刻、一人、部屋にいた時と同じような統一状態に入っていった。

 

 

 

視界は光明燦然(さんぜん)と輝きはじめ、その輝きの中に、これはまた、

 

様々な現実界の人々の善なる日常生活の面の種々相が観え出して来た。

 

 

 

 

それは、善意の人々の、智慧あり、真あり、慈愛ある行為の数々が繰りひろげられていた。

 

 

 

 

人間の誠意ある行為、慈悲深き行為、仏を慕う想念、人の幸福を願う想念、

 

人間世界の調和を願う想念、万物に感謝する想念等々、

 

それらの想念は各種の光明となって、人間世界を照らしている。

 

 

 

その人々の中には四姓(しせい)の最下位と思われている首陀羅種(奴隷階級)の人々もあった。

 

 

 

中に二人の沙門が微笑みながら、阿難のほうをみつめていた。

 

見た顔と思って、心眼をみはれば、見た顔と思うも道理、

 

その二人の沙門の顔は、兄弟子の舎利弗と目連であった。

 

 

 

二人共に光明を放って坐っていた。

 

 

 

 

阿難よ、これらの者達は、みな本心を開発したる天界の住人たちであるキラキラ

 

 

 

 

これらの者は、如来の心を心として生活している者たちであるキラキラ

 

 

 

 

彼等の背後の光明をよくよくみつめてみよキラキラ

 

 

 

 

世尊のみ言葉に、阿難が、それらの人々の輝く光明をみつめていると、

 

光明は、次々仏菩薩の姿に変貌していった。

 

 

 

 

仏菩薩、すなわち本心を開発せるものの姿でもあるのじゃキラキラ

 

 

 

 

 

阿難よ、どうじゃ、こうした世界に住みついてみたいと思うか?キラキラ

 

 

 

 

 

世尊の明るいみ言葉に、

 

 

はい、私もそうなりたいと思っております。

 

 

と答えようとすると、阿難の統一が、にわかに解けて、

 

 

釈迦牟尼世尊の慈愛に溢れた尊容が、彼の肉眼に映っていた。

 

 

 

 

 

 

阿難よ、人間の本心と想念の動き、想念の及ぼす影響というような事柄が、

 

 

 

 

 

只今の様々な映像によってわかったであろうキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

人間世界の運命というものは、あのようにして創られてゆくのであるキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小説 阿難 より  お釈迦様のことばキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が平和でありますようにキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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