釈迦堂は笛吹市の東端で、この季節桃色に染まる盆地が見渡すことができる。
然し乍ら、そのお気に入りの場所も、昨今だんだんと空けてきてしまっている。
寂しいけど、仕方ないのかなぁ。
ソーラパネルが並んだり、すっかり荒れ果てたままだったり。
見たくないものを躱して撮るのは虚しいなぁ。
そう想いつつ今季も来てしまった。
ここで写真家の宝田久人氏と出会ったのは、もう何年前だろうか。
そんな高名な方とは存じ上げずに、失礼な若輩者に声を掛けて下さった。
もう亡くなってから7年になるのか。
宝田さんが愛した風景が色褪せていくのは辛いなぁ。
それでも時は容赦なく流れて、
散りゆく桜の花弁の一片のような私を押し流してゆく。
あぁそんなセンチメンタリズム、きっと笑い飛ばされてしまうだろうな。
それじゃ気を取り直して、先日蕾だったカタクリの様子を観に行こう。
おぉ咲いてる。
反ってる。
毎年恒例のコメントで恐縮ですが、
カタクリって能役者のようで、
幽玄だなぁ。
これは所謂動画でいうピン送りを表現してみたのだが、どうだろ。
この場所のカタクリも以前に比べたら大分減ったけど、
毎年来れば逢えるって云うのは大切なことだな。
それは約束…季節との約束だな。
花しかり蝶しかり。
信じて守っていれば、
きっと良いこともある。
裏切られたって構わないんだね。
おぅマムシグサも出てきてる。
カタクリとマムシグサは能で云う前シテと後シテに似てるなぁ。
幽体かぁ。ちゃんと能の勉強したいなぁ。
カタクリに限らずだが、
野の花は逞しい。
足元が流され、
上から枝や葉が落ちてきて叩かれても、
なんとか日の光を探し求め、
種を残す為に咲くんだよな。
種の保存の本能は大切。
ヒトも失っちゃいけないな。
片栗に片恋しています。
キケマンがあった。
ヒナスミレも前回と違う場所に咲いてた。
キブシも未だ咲き残って、ぶら下がっている。
さぁて引き上げますか。
車で途中まで帰りかけたら、そうだ想い出した。
宝田さんの教えてくれた、枝垂れ桜、
もう終わってしまっているかな。まだ間に合うかな。
踵を返した甲斐があった。
桜花偈仏。辛うじて間に合った。
では、ついでと云ってはなんですが、一宮の古寺の桜も観て帰ろう。
広厳院さんは花に埋もれていた。
花が重なり過ぎて何も見えん。
足元にはスミレ。
筆竜胆は未だなかった。
タンポポ。
またチゴユリの季節に来よう。
あまりに花が重なり過ぎて、
桜の雲の上に浮かぶ南アルプスは観ることが出来なかった。