「みんな」
何度も書きますが、
私にとって、晃士君の死は大きな大きな悲しみでした。
それは、聡太郎を失った悲しみという核に、彩ちゃんの訃報を知った時の悲しみの色が重なって、更にその悲しみの上に晃士君の訃報への悲しみの色を塗り直すことを繰り返して、悲しみが凝縮されながらも、どんどん大きくなって・・・を繰り返しているように感じました。
私は、これ以上の悲しみを体験したくないと本気で思います。
しかし、この悲しみは募金活動があってこその悲しみなのでしょうか。
きっと、
晃士君のために頑張ってきていた方々は、もう少しで募金活動が出来たのに・・・。
彩ちゃんのママはご自身のブログでも書かれていますが、もう少しで渡航出来たのに・・・。
そして、私や聡太郎を応援して下さっていた方々は、もう少しで移植出来たのに・・・。
と、思い続けます。
移植を目指せる氷山の一角である子ども達が奇跡のチャンスに恵まれても、移植が成功するには本当に多くの壁があるのだと実感します。
この先、海外(最後はアメリカ)で移植を必要とする子どもが受け入れてもらえなくなって、募金活動の必要性がネガティブな意味で日本国内から消え、同時に日本で子どもの移植が出来ない法案のままで、何も変わらなかったら・・・と、考えると怖くなります。
何故なら、移植で救うことのできる子どもたちから募金活動を通しての社会へのメッセージは失われ、私たちには移植を必要とする子ども達の存在を知る機会がなくなるのではないかと思います。
知ることがなければ、これ以上の悲しみを体験することはなくなるでしょう。
しかし、何よりも・・・移植で救える可能性のある子ども達に、未来への希望を見せることが出来なくもなってしまう。
そう考えると、この悲しみの持つ意味がとても大切なことのように思えてなりません。
誰でも、自分の子どもには何があっても生きていて欲しい。
生きてもらいたいと切望するのだと思います。
生きていてくれればこそ。なのだと思います。
しかし、ある方から、
「こんなこと言ったら深く傷つけてしまうかもしれませんが、今こんなに必至になって募金活動や臓器移植の法改正などの啓発運動(少しですが)をするようになったきっかけは、たまたま開いた新聞に載っていた聡ちゃんの記事を見たことです。もし聡ちゃんが無事移植を成功させて元気な姿で帰ってきていたら(当然大喜びをしていたとは思いますが)、ひょっとしたら、いや、おそらくここまで他の子供たちを応援していくことはなかったと思います。それに法改正に関してもこんなに関心を示さなかったと思います。うまく言えないですが、やっぱり無事移植を成功させて新しい人生を歩み始めた方も、闘病の末にお亡くなりになられた方もどちらにもおおきな意味があるんじゃないかと思います。」
という言葉を頂きました。
生きてこその人生ですが、聡太郎にとっては「死」にもまた意味が与えられていたのなら、それもまた・・・なのだと思います。
「ボク、難しいことは分からないよ~!」
お鼻プク~(。。)
これから、WHOの「自国の臓器は自国で」という5月の採択を前に、日本における臓器移植法案を見直して頂きたいと切に願います。
個人的には、現在のA・B・C案の中では、A案を望みます。
A案になった先にも、必ず見直しを続けて頂きたいと思います。
また、法案が見直されるまでには、移植を必要とする子どもと家族のための会のような存在があったらいいのにな。と、思います。
理由は、落ち着いた時に書かせて頂きたいと思います。
いつもブログを読んでくださり、ぺタやゲストブックなどありがとうございます。
最近、ペタをお返し出来ていない失礼をお許し下さい。