ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ#016~南アフリカ出身ヒュー・マサケラ笑う門には福来たる | 吉岡正晴のソウル・サーチン

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南アフリカ。

 

南アフリカ出身のトランぺッター、ヒュー・マサケラは僕のお気に入りのトランぺッターだ。2005年に来日したときに、ライヴを見に行った。日本ではほとんど知られていないが、一般的には「グレイジン・イン・ザ・グラス」という1968年のミリオン・セラー、全米ナンバーワン・ヒットが有名だ。僕は1985年にアメリカ・ジャイヴ・レコードから出たアルバム『ウィエティング・フォー・ザ・レイン』のライナーノーツを書いたのだが、そのとき徹底的にいろいろ調べて彼のキャリアを勉強し、すっかりファンになってしまった。おそらくヒュー・マサケラについてのバイオとして一番詳しいものになったと思う。それだけ思い入れもあったので、ライヴも楽しみだった。そしてその時買った自伝がずっと見当たらなかったのだが、数日前ひょんなことからでてきた。その嬉しさもあり、今日はヒュー・マサケラについての記事をまとめてみたい。アパルトヘイト(人種隔離政策)のため30余年ふるさとに帰れなかったエグザイル。3本立て。

 

(本作・本文は約7000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、14分から7分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと23分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

 

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July 21, 2005
Hugh Masekela: Signed Autograph On His Autobiography
【ヒュー・マサケラ自筆のサインを貰う】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_21.html

 

July 21, 2005
Hugh Masekela: Signed Autograph On His Autobiography


【ヒュー・マサケラ自筆のサインを貰う】

 

ハグ。

 

ライヴ後、自伝本『スティル・グレイジング』を買って、彼を待っていると、登場するなり、いきなりハグをしてきた。「(日本語で)ありがとう、ありがとう。(これは英語)名前はなんだ?」 「マサハル、これです」 名刺を渡す。

 

「南アフリカには戻りましたか?」と僕は彼に尋ねた。「今は住んでるよ」 「え~~、いつから?」 「14-5年になるかな。アパルトヘイトがなくってからすぐに戻った」 「その時どんな気持ちでしたか?」 「それは素晴らしかったよ。自分が生まれ育った街だし。だが、多くのものが破壊されていた」 自伝本にていねいにサインを書きながら、彼は僕の質問に答えてくれた。

 

その自伝本を出したのは、1939年南アフリカ生まれのトランペッター、ヒュー・マサケラである。今年66歳。ブルーノートでライヴを行い、CDと自伝を即売し、買ってくれた人にサインをするというわけだ。自伝(2004年発売)がでているのは知らなかったので早速買い求め、サインしてもらうことにした。

 

ブログ ヒューマサケラ アー写1

ヒュー・マサケラ

 

実は彼のライヴはいつか見てみたいと20年近く思っていた。2年ほど前にひょんなことで来日していたのを後から知ってひじょうに残念な思いをしたが、今回はブルーノートということで期待していた。

 

なぜ20年も前からか。少し長くなるが書いてみよう。ヒュー・マサケラの存在は知っていた。ヒット・ポップスを追っていれば彼の1968年の大ヒット「グレイジン・イン・ザ・グラス」という曲を知ることになる。なにしろ全米ナンバーワン・ヒットだから、どこかで聴いたり、CDのヒット・コンピレーションに入っていたりする。その後1970年代に彼がカサブランカ・レコードから出した、少しばかりディスコ調のアルバムも数枚持っている。

 

そして、1985年9月、彼がジャイヴへ移籍して出したアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』のライナーを書く機会に恵まれた。これはジャイヴ・アフリカからの彼の2作目だったが、この時いろいろとヒューのことを調べ、彼について詳しく知って大変感銘を受けたのだ。

 

その後ジャイヴからは同じく南アフリカ出身のギタリスト、ジョナサン・バトラーがデビューする。時を同じくして、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)が国際的に非難をあびるようになり、ミュージシャンたちも反アパルトヘイトの作品を出すようになる。例えば、1985年の「サンシティー」(アーティスト・ユナイテッド・アゲインスト・アパルトヘイト)や、同年のスティーヴィー・ワンダーの『イン・スクエア・サークル』収録の「イッツ・ロング・アパルトヘイト」などである。南アフリカ、アパルトヘイトなどへの興味が広がりつつ、何人かの南アフリカのミュージシャンが長く母国に帰れないでいることを知った。

 

ジョナサン・バトラーにはインタヴューする機会があったが、ヒュー・マサケラとはまったく縁がなかった。その後僕は1988年から単行本となる『ソウル・サーチン』を書き始め、2000年に出版するが、実はヒュー・マサケラ、ジョナサン・バトラーの二人は、もし取材がじっくりできるなら、書いてみたいと思っていたのだ。

 

なにしろ、ミュージシャン本人にはなんともし難い「政治」という要因で母国を追われ、イギリスやアメリカなどのどこかの外国で生きていかなければならない。そして、仮に外国で成功し、南アフリカでレコードが売れても、そこでライヴをできない。そういう過酷な状況でミュージシャンはどう考えていくのか。

 

 

ブログ ヒューマサケラ ジョナサン・バトラー アー写

(ジョナサン・バトラー)

 

ジョナサン・バトラーだったかのインタヴューで、「自分はアパルトヘイトがなくならない限り、母国には帰らない」という強い主張があったが、これはジョナサンだけでなく、一度南アフリカをでた人間にとっては、共通の認識だったようだ。1980年代の半ばまではとてもアパルトヘイトがなくなるなどという状況ではなかったから、なおさら、絶望感は強かったに違いない。当然、そこには各人のソウル・サーチンがあるはずで、それを知りたいと思っていた。

 

ヒュー・マサケラは21歳の時、1960年に、ニューヨークに留学のため行って以来、ずっと母国に帰らないでいた。彼もアパルトヘイトに反対の立場をとるため、母国には帰らないという強い意志をもっていた。そんな彼が南アフリカに戻るのは、1991年、アパルトヘイトの撤廃が発表されてからすぐのこと。31年ぶりの帰郷である。

 

「あなたのライヴは、20年以上、待ち続けていたんですよ」 英語が少し訛っているヒューは、きっと日本語アクセントの僕の英語も聞き取り辛いのだろう。「何年だって?」 「20年以上ですよ」 「それはありがとう」 

 

そして、僕の名刺を見ながら、尋ねてきた。「ソウル・サーチャーか。君は何のソウルを探してるんだ?」 「毎日、あらゆるソウルを探してますよ」と答えると、彼がにやっとして僕に再びハグしてくれた。

 

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ブルーノートのウェッブ
http://www.bluenote.co.jp/art/20050719.html

 

(2005年7月20日水曜、ブルーノート東京・ファースト=ヒュー・マサケラ・ライヴ)

ENT>MUSIC>LIVE>Masekela, Hugh

 

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②  
ヒュー・マサケラ・ライヴ~笑う門(角)には福来る
2013年03月22日(金)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11495180295.html

 

◎ヒュー・マサケラ・ライヴ~笑う門(角)には福来る

 

【Hugh Masekela: Happiness Is Just Around The Laughing Corner (Door)】

 

笑。

 

なぜかヒュー・マサケラは、「俺は広島出身だ」という。たぶん、彼独特のジョークだと思うのだが。これを笑いながら言うので、実に楽しい。その場では言い方が面白いので、真実かどうかなどどうでもよくなってくる。(笑) 

 

南アフリカ出身の超ヴェテラン・トランペッター、ヒュー・マサケラの8年ぶりのライヴ。心待ちにしていた。前回は2005年。

 

ブログ ヒューマサケラ アー写3

ヒュー・マサケラ

 

地元アフリカの人たちか南アフリカ大使館の人たちか、めちゃくちゃのりにのっている一団がいた。この日は観客の外国人比率が高かった。彼らは実に楽しそうににこにこしながら、踊っている。それを見ているとこちらまで楽しくなってくる。笑いは百薬の長。

 

ヒューの音楽には底抜けの明るさと権力への反発の大きさ、そして、ばねの力強さが共存している。

 

1939年4月4日南アフリカ生まれ。現在73歳。長く同地の「アパルトヘイト(人種隔離政策)」のために母国に戻れなかったエグザイル(亡命者)だ。

 

僕は「グレイジン・イン・ザ・グラス」のヒットで名前を知ったが、詳しく学んだのは1985年、ジャイヴから出たアルバム『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』のライナーノーツを書いたとき。いろいろ調べて彼の生い立ちやディスコグラフィーなどを詳しく書いたが、そのとき彼の数奇な人生を知り感銘を受けた。のちに「ソウル・サーチン」を書いたときの候補の一人だった。1985年から数えても28年経っている。

 

歌にトランペットにちょっとした踊りというか動くしぐさなどを見て、また体全体を使って声を出す様子から、南アのアル・ジャロウのようにも思えてきた。あるいは音楽世界のネルソン・マンデラか。ヒュー・マサケラはネルソン・マンデラに直接電話ができて話ができるらしい。すごい人なんだ。

 

ロックでファンキーなアフロ・ビートがブルーノートを彩る。

 

「マコッティ・ハレザマヘ(聴いた音をそのままカタカナにしただけ)」とは、「レッツ・ゴー・ブライド、お嫁さん、さあ、行こう」という意味らしい。

「アシコ」は、「ゲット・トゥゲザー、ユナイト(一致団結)」を意味するそうだ。この曲はオデッセイの「ゴーイング・バック・トゥ・マイ・ルーツ」を思わせるようなグルーヴ感あふれる作品で、観客ものりのりになった。

 

ヒューは本当に元気だ。渋い枯れたトランペットの響きと陽気なアフリカ大陸のダンス、というか動きが実に楽しい。

 

フェラ・クティー(3月13日のフェラブレーション)→ヒュー・マサケラという流れは東京の夜の演出としては最高だ。

 

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CD。

 

ライヴ後楽屋に行くと、その『ウェイティング・フォー・ザ・レイン』の、なんとCDがあり、ファンの方のサインを待ち受けていた。僕はCDになっていたのを知らなかったので、ちょっと見せてもらうと僕のライナーがついていた。

 

ブログ ヒューマサケラ ジャケ写 ウェイティング (日本盤)

 

ヒューが言う。「これは、今、ここで買えるのか。何枚か欲しいんだよ。これは、ほら、ジャケットが違うだろう」

 

そうそう、これジャケット、日本盤はおしゃれな大草原のような風景写真に変えていた。思い出した。でも、今はもう廃盤だ。

 

「これは近年だしたアルバムの中では自分が一番気に入ってるアルバムなんだ」とも言う。「近年」「最近」がたぶん、ここ30年くらいの幅があるんだと思う。アフリカの人たちが、「ああ、あそこは隣町だからすぐだよ」という距離が50キロや100キロだったりするのと同じ感覚かもしれない。

 

このアルバムが出たときはまだ「アパルトヘイト」(1948年制定から1994年撤廃)のためにヒューはエグザイル(亡命者)だった。「この時代にはあなたの音楽は、ラジオで放送禁止(banned)だったんでしょう」とふると、「俺自身が禁止(I was banned)されてたんだよ」と笑いながら答えた。

 

彼の「I was banned」は僕に対して強烈なパンチだった。そうだった。アパルトヘイトが終わって20年近く経つが、きっとその傷跡はまだまだ残っているのだろう。歴史の一ページを垣間見た瞬間だった。

 

名刺を見ながら、「マサハル~~~、マサケラ~~。兄弟みたいだな」と大声で笑った。笑う門には福来る!

 

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そして、ヒューの今回のツアー・マネジャーであるジョッシュといろいろと話していたら、思わぬ展開が。なんと彼は例の『シュガーマン 奇跡に愛された男』のレコード店オウナー、シガーマンとも大の知り合いで、南アでロドリゲスがライヴをやったときのプロモーター的な役割を担っていた、という。

 

One thing leads to another. なんでもつながるなあ。で、この続きは明日へ。

 

(この項続く)

 

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■ 動画

 

Hugh Masekela Bring Back Nelson Mandela

In 1987, Hugh Masekela had a hit single with Bring Him Back Home which became an anthem for the movement to free Nelson Mandela.

 

http://www.youtube.com/watch?v=opUEIVlG1BQ&feature=share&list=AL94UKMTqg-9BMo_t696CxbXnWu9XVMTcJ

 

■ 過去関連記事

 

July 21, 2005
Hugh Masekela: Signed Autograph On His Autobiography
【ヒュー・マサケラ自筆のサインを貰う】
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200507/2005_07_21.html

 

この本を久々に読もうと探したが出てこない。ずっとライヴに行く前から読み返そうと探してる。まだ出てこない。どこに行ったのか。まさかブックオフなんかに間違って出してないよねえ。(笑) 

 

ワールド・カップ・キックオフ・コンサート~アリシア、ジョン・レジェンドなど
2010年06月12日(土)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100612.html

 

映画『ソウル・パワー』6月に日本公開決定 (パート1)
2010年03月14日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20100314.html

 

■ メンバー

 

Hugh Masekela(flh,tp,vo) ヒュー・マセケラ(フリューゲルホーン、トランペット、ヴォーカル)
Cameron Ward(g,vo) キャメロン・ワード(ギター、ヴォーカル)
Randal Skippers(key,vo) ランダル・スキッパーズ(キーボード、ヴォーカル)
Abednigo Zulu(b) アベデネコ・ズールー(ベース)
Lee-Roy Sauls(ds,vo) リー-ロイ・サウルス(ドラムス、ヴォーカル)
Francis Fuster(per,vo) フランシス・フスター(パーカッション、ヴォーカル)

 

■ セットリスト


Hugh Masekela @ Bluenote Tokyo, March 18, 2013

 

show started 21:34
01. The Boy
02. Chileshe
03. Marketplace
04. Ha Le Se
05. Lady
06. Makoti
07. Ashiko
Enc. Rekpete
Show ended

(2013年3月18日月曜、東京ブルーノート、ヒュー・マサケラ・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Masekela, Hugh
2013-

 

■ ウェイティング・フォー・ザ・レイン

https://amzn.to/2XnpwUO
株式会社ソニー・ミュージックレコーズ (1985-12-01)

 

■ ベスト

https://amzn.to/2XnpwUO

 

■ 自伝 (英語)

ブログ ヒューマサケラ 本・書影

https://amzn.to/2MowKBv

ブログ ヒューマサケラ サイン

(本にヒュー・マサケラ本人のサインをしてもらった。ドーモアリガト。一番下には、丁寧にメールアドレスまで)

 

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ヒュー・マサケラからシュガーマンへ~南アフリカでつながる点と線
2013年03月23日(土)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11495696973.html

 

◇ ヒュー・マサケラからシュガーマンへ~南アフリカでつながる点と線

 

【Hugh Masekela To Sugar Man: Dot Is Connected】

 

シュガーマン。

 

8年ぶりの来日を果たした南アフリカのトランペッター、ヒュー・マサケラ。

 

そのマネージャー役として来ていたジョッシュに南アフリカ音楽事情などを聴いていたとき、当然話は『シュガーマン 奇跡に愛された男』になる。「ケープタウンのマブ・ヴァイナルは行ったことあるか?」と聞くと、「あのオーナーのひとり、シガーマンは大の友達だよ。南アで1990年代にシュガーマンのライヴをやったとき、仕切ったんだ」というではないか。

 

ちょうど横にいたヒュー・マサケラはこの映画をまだ見ていなかった。「ヒュー、この映画は見たほうがいい。南アでブレイクしたアメリカのシンガーの物語なんだ」とヒューに言うと、彼も「そうか、そうか」とうなづく。

 

「なんでロドリゲスの音楽はアメリカからはるか離れたアフリカで人気になったんでしょう?」

 

ジョッシュ。「それは(彼の音楽が)いい音楽だからだろ」

 

「彼の音楽もラジオではかからなかったんでしょう?」

 

「かからないね。でも、ロドリゲスの音楽を聴いた地元のミュージシャンたちが、ライヴハウスなどでロドリゲスの曲をカヴァーして歌っていたんだ。それが徐々に広まった」

 

「なるほど。そして、(レコードショップのオーナー)シガーマンがその人気ぶりに興味を持ち、ロドリゲスを探し始めるわけだ」

 

「ロドリゲスのライヴを南アフリカでやって、彼とはいろいろと話したよ。彼は本当に自分の欲がないヤツなんだ。もらったギャラを全部3人の娘たちにやってしまうんだよ。娘たちは、それですぐにバッグなんか買っちゃうんだけどね。(笑) 映画にも映っていたように彼は昔も今も、あの古い家に住んでいる。電気のないような家にね」

 

「一度、ロンドンでライヴをやったとき、付いていった。ロンドンでも大いに受けていた」

 

ジョッシュは現在ヨハネスブルグに住んでいる。ヨハネスブルグと「マブ・ミュージック」があるケープタウンは飛行機で2時間ほどの距離だそうだ。

 

マブ・ミュージックのシガーマンと一度メールのやりとりをしたといったら、「おおっ、じゃあ、彼に俺(ジョッシュ)と東京で会ってハングアウトしたって伝えてくれ」と。(笑)

 

ロドリゲスは南アで何度かツアーをやっている。そして彼の音楽は黒人だけでなく、白人の支持も得た。

 

ロドリゲスの音楽は、アメリカ・デトロイトの社会の底辺にいる人々について歌っている。ときに黒人よりも下に見られることもあるメキシカンらしい抑圧された側からの訴えが、南アフリカの人々の心に響いたのだろう。

 

ロドリゲスの音楽が南アフリカで受けたのは「彼の音楽がよかったから」とジョッシュは言う。では、なぜアメリカでは受けなかったのか。タイミングなのだろうが、それはいまだに謎だ。

 

「南アフリカに来たことあるか?」と言われたので、「いやあ、ない」と答えると、「来るべきだ」と言われた。

 

翌日彼らはドバイ経由で南アフリカに戻った。長旅だ。

 

【『シュガーマン』映画の紹介、期間限定でポッドキャストアップ】

https://soundcloud.com/soul-searchin-14-1/soul-searchin-radio-2013-03-17
(約24分)

 

■ 関連記事

 

映画『シュガーマン 奇跡に愛された男~Searching For Sugar Man』
2013年02月01日(金)
http://ameblo.jp/soulsearchin/day-20130201.html

 

『シュガーマン 奇跡に愛された男』~今日の「ソウル・サーチン・レイディオ」
2013年03月17日(日)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11491738910.html

 

『シュガーマン 奇跡に愛された男』を紹介して~「コーズ」の意味は?
2013年03月18日(月)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11492611519.html

 

■映画『シュガーマン 奇跡に愛された男』2013年3月16日(土)から角川シネマ有楽町などでロードショー公開

映画公式ホームページ。予告編など。
http://www.sugarman.jp/
(ここで座席の予約などもできる)

 

■サウンドトラック『シュガーマン 奇跡に愛された男』

https://amzn.to/2Ao14tr

 

■1970年リリース・ファースト・アルバム

https://amzn.to/2yVAUOo

 

■1971年リリース・セカンド・アルバム

https://amzn.to/2MkI4Pi

 

■DVD Searching For Sugar Man (輸入盤)

https://amzn.to/2MoytGZ

 

ENT>MOVIE>Sugar Man
ENT>

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2018年1月23日、ヒュー・マサケラ死去

 

当時のツイッター。

 

訃報1 ヒュー・マサケラ Hugh Masekela 2018年1月23日南アフリカで前立腺がんのため死去。78歳。南アフリカ出身のトランぺッター、アンチ・アパルトヘイト活動家。投獄されていたこともある。

https://goo.gl/phBAbh 1968年「グレイジン・イン・ザ・グラス」の世界的大ヒット。

 

2013年来日時のライヴ評など→ヒュー・マサケラ・ライヴ~笑う門(角)には福来る 2013年03月22日(金) https://goo.gl/L6M6tT ヒュー・マサケラからシュガーマンへ~南アフリカでつながる点と線 2013年03月23日(土) https://goo.gl/7r1g1u 

 

1939年4月4日、南アフリカの炭鉱の町生まれ。様々な音楽に触れ、トランペッターに。1960年、21歳でアメリカに渡り、以後、同地、イギリスを本拠に活躍。1986年ポール・サイモンの『グレイスランド・世界ツアー』に同行したが、南アだけはプレイできなかった

 

ヒュー・マサケラ。本人名義ツイッターにおけるオフィシャルコメント。マサケラは2005年、2013年来日。他にもひょっとしたらあるかもしれない。

https://twitter.com/hughmasekela/status/955713727088775168

 

1968年、マンハッタンの学校でのクラスメートだったステュワート・レヴィンとともに「チサ Chisa」レーベルを設立。「チサ」とはアフリカのズールー語で「燃えるBurn」という意味だそう。同レーベルにはクルセイダーズなどが所属した。

 

ブログ ヒューマサケラ 吉岡+ヒュー

(2013年3月、ブルーノートで。左・ヒュー・マサケラ、右・ヨシオカ・マサハル=自撮りです)

 

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