●  2019年死去したアーティスト(パート1)(1月~4月) | 吉岡正晴のソウル・サーチン

吉岡正晴のソウル・サーチン

ソウルを日々サーチンしている人のために~Daily since 2002

●          2019年死去したアーティスト(パート1)(1月~4月)

 

【2019 Obituary : Your Soul Forever】

 

訃報。

 

2019年「ソウル・サーチン・ブログ」および速報のツイッターでご紹介した訃報とその関連記事をまとめました。亡くなられた方に改めて、ご冥福をお祈りしたいと思います。「ソウル・サーチン・訃報ポリシー」は、亡くなられた方のお話をすることがその方を供養することになるというものです。

 

今月のグラミー賞授賞式でも、これらのアーティストたちが追悼されます。

 

2019年から量が多くなったので、3回にわけています。パート1が1月から4月、パート2が5月から8月、パート3が9月から12月です。

 

ツイッターで速報した物、ブログでさらに詳細に書いたものもあります。そのリンクも。改めてごらんになってご冥福をお祈りください。

 

なお、2010年から2017年の訃報まとめはこちら。

 

2018年

 

2018年に亡くなった人達(前半)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12430729349.html

 

2018年に亡くなった人達(後半)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12430730493.html

 

2017年死去したアーティスト(パート1)(上半期)

2018年01月10日(水)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12342972448.html

 

2017年死去したアーティスト(パート2)(下半期)

2018年01月11日(木)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12342977754.html

 

2016年死去したアーティスト

2017年1月6日

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12235084614.html

 

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12235086452.html

 

2015年死去したアーティスト

2016年01月06日(水)

http://ameblo.jp/soulsearchin/theme9-10014963396.html

 

2014年死去したアーティスト

2015年01月07日(水)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11972359208.html

 

2013年死去したアーティスト

2014年01月06日(月)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11742032143.html

 

2012年死去したアーティスト

2013年01月07日(月)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11440619666.html

 

2011年死去したアーティスト

2012年01月06日(金)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11125207073.html

 

2010年死去したアーティスト

2011年01月06日(木)

http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10759275420.html

 

なお、ここでの日付は情報を流した日で必ずしも逝去日ではありません。ご注意ください。逝去日は記事内でご確認ください。

 

【2018年12月】

 

2018年12月30日

 

訃報。DJ、プロデューサー、トニー・ジョセフ Tony Joseph 2018年12月29日までに死去。56歳。ニューヨーク生まれ、在LA。80年代KJLH、KACEでミックスショー。ポリグラムでトニ・トニ・トニ、ヴァネッサ・ウィリアムスなど、その後ヒドゥン・ビーチでコンピ制作など→https://goo.gl/cMS9jj

 

1月3日@soulsearcher216

 

訃報。グラミー賞・オスカー受賞作詞家ノーマン・ギンブル Norman Gimbel 2018年12月19日加州モンテチートの自宅で死去。91歳。1950年代から作詞家として活動。1973年ロバータ・フラックの「やさしく歌って」でグラミー賞。「イパネマの娘」の英語詞も作詞。https://goo.gl/XdPt3b

 

1月3日@soulsearcher216

 

訃報。レイ・ソウヤー Ray Sawyer ドクター・フック&メディスン・ショーのリード・シンガー。(レオ・セイヤーではありません) 全米首位曲「カヴァー・オブ・ローリング・ストーン」のリードを取った。2018年12月31日フロリダ州デイトナの自宅で死去。81歳。自動車事故のためアイパッチをつけていた→  https://goo.gl/ewwx98

 

 

【2019年1月】

 

1月3日

キャプテン&テニールのキャプテンことダリル・ドラゴン Daryl Dragon of Captain & Tennille 2019年1月2日アリゾナ州プレスコットのホスピスで腎不全のため死去。76歳。https://goo.gl/bKV3nw1967年から72年までビーチボーイズのキーボード、74年キャプテン&テニール結成。→

 

キャプテン&テニールのキャプテンことダリル・ドラゴン。1975年、トニー・テニールと組んだデュオ、キャプテン&テニールとして「ラヴ・ウィル・キープ・アス・トゥゲザー」が全米首位になりセンセーショナルなデビュー。その後「ドゥ・ザット・トゥ・ミー・ワン・モア・タイム」も全米首位に→

 

キャプテン&テニールのキャプテンことダリル・ドラゴン。2人は結婚し40年近く一緒にいたが、2014年に離婚。しかしその後も親しく、今回のキャプテンの旅立ちにはテニールが寄り添っていた。https://goo.gl/YrHKqa ダリルは、著名な作曲家でオスカー受賞者カーメン・ドラゴンの息子。

 

1月11日@soulsearcher216

 

訃報。クライディー・キング Clydie King レイ・チャールズのバック、レイレッツの一員として、ボブ・ディランなど多くのバックコーラスをライヴ、スタジオで担当してきたシンガー、2019年1月7日死去。75歳。自身名義のアルバムも→https://goo.gl/3eJKoS

 

1月11日@soulsearcher216

 

ラリー・カニンガム(フローターズ)Larry Cunningham of The Floaters 2019年1月10日死去。67歳。1977年大ヒット「フロート・オン」でかに座(キャンサー)と自己紹介するリード。2017年心臓発作、18年暮れから体調を崩しアリゾナ州トゥーソンの病院に入院していた。http://urx.red/PciO

 

ラリー・カ二ンガム(フローターズ)Larry Cunningham フローターズはデトロイト出身のR&Bヴォーカル・グループ。元デトロイト・エメラルズのジェームス・ミッチェルらが結成したが、ジェームスは制作面でかかわり、ツアーにはあまり帯同しなかった。「フロート・オン」→ http://urx.red/Pcj8

 

1月18日@soulsearcher216

 

スティーヴ・マダイオ Steve Madaio 1960年代から活躍しているトランペット奏者。2019年1月15日カリフォルニア州パーム・デザートの自宅で心臓発作のため死去。70歳。https://goo.gl/LJsjJK ポール・バターフィールド・ブルースバンドの一員からスタジオ、ライヴなど幅広く活躍→

 

スティーヴ・マダイオ Steve Madaio 1948年7月18日ニューヨーク・ブルックリン出身。1972年スティーヴィー・ワンダーの『トーキング・ブック』以降の作品にも参加。「サー・デューク」のトランペットも彼。他にジョン・レノン、メリサ・マンチェスターなどソウル、ポップ、ロックまで幅広く活躍

 

1月18日@soulsearcher216

 

速報・訃報 レジ―・ヤング Reggie Young メンフィスをベースに活躍するギタリスト。2019年1月18日までに死去。82歳。死去場所、原因などはまだ不明。多くのミュージシャン仲間がSNSなどで発表している。1936年12月12日ミズーリ州生まれ、アーカンソー州育ち。1950年代から南部を中心に活動→

 

レジ―・ヤング Reggie Young  1959年頃からメンフィスのビル・ブラック・コンボのメンバーとなり、南部を中心に活動。このバンドはビートルズ来米のときに、前座。さらに、エルヴィス・プレスリーのバックバンド、レコーディングにも参加。多数のスタジオ・セッションに参加→

 

多数のアメリカのミュージシャン、カントリー系を中心にポップ、ロックも含めてレコーディングに参加。特に1960年代後期から70年代中期までにはチップス・モーマンのアメリカン・スタジオで多数の録音に参加。エルヴィスの「サスピシャス・マインド」もその一つ

 

レジ―・ヤングは、メンフィスのスタジオ・ミュージシャンの集合体でもあるメンフィス・ボーイズの一員。2019年2月、彼の仕事を集大成したコンピがイギリス・エース・レコードから発売されることになっている。奇しくも追悼盤となる→https://goo.gl/jPv5Hd

 

レジ―・ヤング Reggie Young 追悼を込めて現状最新作、2017年の『フォーエヴァー・ヤング』→https://goo.gl/AHtu5X まさに1970年代のリアル・ミュージシャンのリアル・ミュージックがそのまま21世紀にタイムマシンの如く蘇っている。 #sslounge

 

レジ―・ヤング 追悼 Reggie Young 実はこれも、あれも、という感じでけっこう名曲のバックをサポートしている。 Dobie Gray - Drift Away https://goo.gl/SFfQpv Elvis Presley- Suspicious Minds https://goo.gl/HdCnpdB J Thomas - Hooked On A Feeling https://goo.gl/bsRgo1

 

レジ―・ヤング Reggie Young 追悼 Elvis Presley - In the Ghetto→https://goo.gl/FqbqaQ The Box Tops - Cry Like a Baby (シタールがレジ―) https://goo.gl/fBaigR Dusty Springfield - Son of a Preacher Man https://goo.gl/DKks6b #sslounge いい曲多すぎ…。

 

レジ―・ヤング Reggie Young 2019年1月17日ナッシュヴィルの自宅で死去。82歳。USAトゥデイ紙に訃報掲載。ただしソースはSNS。 https://goo.gl/nE9dP5 #sslounge #reggieyoung

 

1月19日@soulsearcher216

 

フィラデルフィアのファルセット系のソウル・シンガー、ロニー・ウォーカー Ronnie Walker 2019年1月15日死去。68歳くらいとみられる。死因、場所などはまだ不明。複数の関係者が明かしている。インディで多くのシングル盤を出し、最近はイギリス・ノーザン・ソウル・シーンで人気を得ていた→

 

エドウィン・バードソング Edwin Birdsong 2019年1月21日ロスアンジェルスで死去、77歳。https://goo.gl/42DfeBキーボード奏者、多くの作品に参加。近年ではダフト・パンク、デラ・ソウルなどにサンプリングされ新世代にも知られるようになった。ファンク、ジャズの要素を備えた奏者→

 

1972年、1973年ポリドール、1975年バンブー、1979年フィラデルフィア・インター、1981年ユニから自身名義のアルバムをリリース。ファンク、ジャズを融合したサウンドをクリエイトした。https://goo.gl/KBnW8X

 

フランスを代表する作曲家、ミッシェル・ルグラン 2019年1月26日フランス・パリで死去86歳。https://goo.gl/rUZG68 Michel Legrand (24 February 1932 – 26 January 2019)

 

フランスを代表する作曲家、ミッシェル・ルグランhttps://goo.gl/4oS8F7『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』(主題歌『風のささやき』)、『おもいでの夏』、『愛と哀しみのボレロ』(フランシス・レイとの共作)、『栄光のル・マン』など多数。

 

フランスを代表する作曲家、ミッシェル・ルグラン Michel Legrand  2019年1月26日フランス・パリで死去、86歳 2012年来日時のライヴ評→ミッシェル・ルグラン・ライヴ~「オータム・オブ・‘12」→https://goo.gl/spRSCY ルグランは2018年7月にもブルーノート東京に来日していた。

 

ジェームス・イングラム James Ingram 2019年1月29日死去。66歳。https://goo.gl/Aidnyf 死因など詳細不明。ジェームスは1952年2月16日オハイオ州アクロン生まれ。6人兄弟の3番目。末弟(6番目)がフィリップ・イングラムでモータウンのスイッチのメンバー。1980年代に入り、クインシー・ジョーンズに認められ、Qのアルバム『デュード(邦題、愛のコリーダ)』で「ジャスト・ワンス」などで大抜擢され、自身のアルバムを出す前にグラミーを獲得という珍しい例となった。日本には1970年代初期、赤坂ムゲンにハコバンドのメンバーとして初来日。→

 

ジェームス・イングラム James Ingram 2019年1月29日死因は脳腫瘍。66歳。ロスアンジェルスの自宅で死去。1981年7月クインシー・ジョーンズのコンサートに帯同来日。その後1991年頃汐留パックスシアターで、2006年1月ブルーノート東京で単独ライヴ。奥さんデビーとは1974年誕生日に結婚→

 

ジェームス・イングラム James Ingram 2013年7月、クインシーのコンサートで再び帯同来日。ソロ・アルバムは1983年『イッツ・ユア・ナイト』から5枚。グラミーは1982年から96年までに14ノミネート、2つ獲得。82年「100ウェイズ」と85年マイケル・マクドナルドとの「ヤ・モ・ビー・ゼア」で→ https://pic.twitter.com/qUkQ4Ih80B

 

ジェームス・イングラム James Ingram 2006年1月来日時のライヴ評と彼とのトーク(パート1、2)→https://goo.gl/BXmD6C https://goo.gl/JYtiDB グラミー賞を獲得した「100(ワンハンドレッド)・ウェイズ」のレコーディングの日の話→https://goo.gl/5dLWdR →

 

ジェームス・イングラム James Ingram 今は亡き赤坂プリンスで1986年10月16日。インタヴュー後の写真。ちょうど夕陽が落ちるという時間帯でした。32年以上も前か。この他に、2006年、2013年の写真があるはずだが、まだ探せていない…。66歳という若さ、まだ信じられない。ご冥福をお祈りします https://pic.twitter.com/7owj9k06dq

 

ジェームス・イングラム James Ingram なんと死去を受けてダニー&マリー・オズモンド・ショーに1999年に出たものが蔵出し→https://goo.gl/m522cw これでさえ20年前か。

 

ジェームス・イングラム James Ingram 音は悪いが2013年パティー・オースティンとのデュオ→https://goo.gl/8Nbd5k これを書いたミッシェル・ルグランはジェームスの3日前に逝去。ジェームスはミッシェルの後を追うように。レコード音源→https://goo.gl/ASaLQz

 

ジェームス・イングラム James Ingram 評伝、最新情報などもろもろまとめ→https://goo.gl/M6LFYP ずっと「シンガーというより、ミュージシャン、キーボード奏者だと考えている」ジェームス・イングラム。 #sslounge #thenite #radiodisco

 

今日(2019年2月11日)の『 #メロ夜 』( #NHKFM )(DJ松尾潔 @kiyoshimatsuo )はジェームス・イングラムの追悼特集。訃報、評伝→https://goo.gl/F3N4AD #sslounge  楽しみです。

 

【2月】

 

2月6日@soulsearcher216

 

訃報。児山紀芳(こやま・きよし) Koyama, Kiyoshi さん。2019年2月3日死去。82歳。胃がんだった。ジャズ専門誌スイング・ジャーナルの元編集長。通夜は10日午後6時、葬儀は11日午前11時30分から千葉県柏市旭町4の1の2のセレモ柏ホールで。喪主は妻尚子(たかこ)さん。 https://twitter.com/asahi/status/1092623367805403136…

 

ロニー・シモンズ Lonnie Simmons ファンク・グループ、ギャップ・バンドを大ブレイクさせたトータル・エクスペリエンス・レーベル代表、プロデューサー。2019年2月6日就寝中に死去。https://goo.gl/kVrNus 詳細不明。70歳代か。

 

ロニー・シモンズ Lonnie Simmons 70年代初期、ロスのブラック街クレンショー地区に「トータル・エクスペリエンス」というクラブを経営、ここには多くのブラック・アーティストが出演、人気クラブとなった。そのごレーベル経営に乗り出し、ギャップ・バンドと契約、ブレイクさせた→

 

ハーヴィー・スケールズ Harvey Scales ソングライター、ソウル・シンガー、2019年2月11日アトランタで死去。76歳から78歳とみられる。ミルウォーキー育ち、デルズ、ジョニー・テイラーなど多くのシンガーに曲提供。後者の「ディスコ・レディ」が大ヒット→   https://goo.gl/sMgLoE

 

2月17日@soulsearcher216

 

コフィー・バーブリッジ Kofi Burbridge テデスキー・トラックス・バンドのキーボード奏者、フルート奏者、2019年2月15日死去。57歳。死因は明らかにされていないが、2017年に心臓を手術しており最近体調を崩していたという。場所など詳細はこれから判明するとみられる→https://goo.gl/2bdNP7

 

日本初のR&Bアーティストとして全米チャート入りも果たしたキングトーンズのリードシンガー、内田正人さんが2019年2月15日死去した。82歳。詳細は不明、後述。「グッドナイト・ベイビー」が大ヒット。

 

内田正人さん。和製ドゥーワップ・グループ、R&Bヴォーカル・グループ、ザ・キング・トーンズの創始者、リード・ヴォーカル、2019年2月15日死去。82歳。1968年「グッド・ナイト・ベイビー」が大ヒット。1969年大晦日『紅白歌合戦』出場。葬儀予定など後日発表→https://goo.gl/Xy1dtC

 

ピーター・トーク Peter Tork 2019年2月21日死去。77歳。1942年2月13日生まれ、https://goo.gl/AWKeag1960年代に多数のヒットを放ち活躍したグループ、モンキーズの結成メンバー。テレビ番組で人気を博した。2009年腺様嚢胞(せんようのうほう)がんになり治療を受けたことを明らかにしていた。

 

ジャッキー・シェーン Jackie Shane 2019年2月22日までに死去。78歳。1940年5月15日アメリカ・ナッシュヴィル生まれのトランスジェンダーの黒人ソウルシンガー。カナダ・トロントを本拠に活躍。https://goo.gl/9VCyy1 1962年バレット・ストロングの「マネー」のカヴァーがヒットしブレイク。

 

ジャッキー・シェーン Jackie Shane ジャッキーの唯一のアルバムが2017年10月立派なライナーノーツ(ロブ・ボウマン著)とライヴ音源とともに再パッケージ化され今年のグラミーの「ヒストリカル」部門の候補に(受賞はならず)なり再注目されていた。レアインタヴュー→https://goo.gl/9Fn8f4

 

ジャッキー・シェーン Jackie Shane 生まれは男性だが、自身の女性的なところを隠すことなく「女性」として活躍。1960年代にこうしたトランスジェンダーで黒人であったために大きな差別を受けたが、比較的そうしたものに偏見が少ないカナダで支持された。声はハイトーンの男性ソウルシンガー。

 

ジャッキー・シェーン Jackie Shane グラミー候補となったアルバム。CD2枚組、カナダ人音楽ジャーナリストで『スタックス物語』を書いたロブ・ボウマンの80頁のライナーブックレット付。ジャッキー・ウィルソン、リトル・リチャードらとよく比べられた。アマゾン→https://goo.gl/ymg6yB

 

ザ・キングトーンズ内田正人さん訃報・簡単な評伝→https://goo.gl/wqr2C5

 

【3月】

 

3月3日@soulsearcher216

 

ジェームス・イングラムが在籍していたジンガラの1980年の作品。ジェームス・イングラムの訃報・評伝→https://goo.gl/byhfji#sundaysongbook 書いたと思っていたがジンガラについて書き洩らしてました…w #sslounge

 

ロックンローラー内田裕也さん、2019年3月17日都内で死去。79歳だった。詳細後送。 https://twitter.com/yahoonewstopics/status/1107363541940494337…

 

ディック・デイル Dick Dale 2019年3月16日加州で死去、81歳。いわゆるサーフィン・サウンドのギター奏者としてビーチボーイズからヴェンチャーズまで多大な影響を与えた。https://goo.gl/2ihAV4 1937年5月4日マサチューセッツ州ボストン生まれ。1962年「Misirlou(ミザルー)」が大ヒット。

 

アブ・ロック Abb Locke シカゴ・ブルーズ界のサックス奏者、2019年3月9日、イリノイ州カントリーヒルズクラブで死去。84歳。陶守さんの記事→https://goo.gl/jNa6oP 葬儀費用のファウンド募集中→https://goo.gl/G7ms3A

 

デヴィッド・ホワイト David White 2019年3月17日現在居住のラスヴェガスで死去。79歳。ドゥーワップ・グループ、ダニー&ザ・ジュニアーズの創始者の一人。「アット・ザ・ホップ」が大ヒット。作曲家としても活躍。レン・バリーの「1-2-3」も共作。https://goo.gl/XLN47b 1939年11月26日生。

 

アンドレ"ミスター・リズム”ウィリアムス、Andre "Mr. Rhythm" Williams 2019年3月17日シカゴで死去。82歳。結腸癌が肺、脳に転移していた。https://goo.gl/kMp41g 1936年11月1日アラバマ州生まれ、1950年代にデトロイトに移住、音楽活動。一時期モータウンでも仕事をしていた。

 

アンドレ・ウィリアムス、Andre "Mr. Rhythm" Williams アンドレ・ウィリアムス&ドンファンズなどを結成。「ベイコン・ファット」などのヒットを送り出す一方、 5デュートーンズの「シェク・ア・テイル・フェザー」等も書いた。https://goo.gl/W9Yfx6 https://goo.gl/gDfHmp

 

アンドレ・ウィリアムスへのケヴィン・ゴーインズの追悼文→https://goo.gl/QySLPN

 

スコット・ウォーカーScott Walker (本名ノエル・スコット・エンゲル)ウォーカー・ブラザーズのリード・シンガー2019年3月25日までに死去。76歳。米・オハイオ州生まれロス育ち、1963年頃ロスでウォーカー・ブラザーズを結成。64年イギリスに本拠を移しヒット多数放つ。https://goo.gl/gfH55F

 

スコット・ウォーカーScott Walker 1965年「メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ」、66年「サン・エイント・ゴナ・シャイン・エニモア」https://goo.gl/6CRjEG がヒット。「イン・マイ・ルーム」→https://goo.gl/9iiA9t 全米より全英での方がヒットが多い。https://goo.gl/D51bkm

 

スコット・ウォーカー Scott Walker レディオヘッドのトム・ヨークも、歌唱に影響を受けたとしてトリビュート・ツイートを発表。 https://twitter.com/thomyorke/status/1110098570399703040…

 

スコット・ウォーカー Scott Walker の訃報については、イギリスの錚々たるミュージシャン、アーティストたちがすでに追悼ツイートを。デイヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノなどにも大きな影響。https://goo.gl/7JeqqD インタヴュー→https://goo.gl/Zt1KSJ

 

スコット・ウォーカー Scott Walker 所属レコード会社のオフィシャル発表→https://goo.gl/ovwXod 2000年代の活動もタイムラインに沿って箇条書き。 #thenite #sslounge

 

萩原健一さん。2019年3月26日死去。68歳。  https://goo.gl/zb1nQ8 詳細はこれから出てくるものとみられる。 #thenite #sslounge

 

ランキング・ロジャー Ranking Roger 本名 Roger Charlery 2019年3月26日、ガンのため56歳で死去。イギリス・バーミンガム出身。1970年代後期からグループ、ビート、さらに、ジェネラル・パブリックのリード・シンガー。https://goo.gl/agfVdX 自伝を書き終えたところだという。

 

【4月】

 

グラミー・ノミネートのラッパー、ニプシー・ハッスル Nipsey Hussle 2019年3月31日、サウス・ロスンジェルスの自身の店、マラソン・クロージングの前で銃撃され死亡。33歳。ギャング関連の銃撃とみられている。https://goo.gl/KZUWZ3 https://goo.gl/bXLuz1

 

ニプシー・ハッスルについて、渡辺志保 @shiho_wk さんがブロックFMで詳しく追悼。その書き起こし(みやーん @miyearnzz さん)→

https://miyearnzzlabo.com/archives/56049https://twitter.com/soulsearcher216/status/1112713016921853953…

 

ビル・アイルズ Bill Isles オージェイズのオリジナル創始メンバーの一人、2019年3月28日(か29日)現在居住のカリフォルニア州オーシャンサイドの自宅でがんのため死去。78歳。http://bit.ly/2VsSZJr 1958年、オハイオ州でエディー・リヴァートらとマスコッツを結成。これが→マスコッツ→トライアンフス→オージェイズと名前を変え、1963年「ロンリー・ドリフター」がヒット。その後、1972年、フィラデルフィアのギャンブル&ハフのフィラデルフィア・インターナショナルに移籍。「バックスタバーズ」以降ヒットを続出→

 

ビル・アイルズ Bill Isles オージェイズ しかし、結婚を機に、1971年頃からグループで歌うのを辞め74年頃まではツアーマネージャーとして活動。その後、サプリメントの会社を立ち上げ、成功。その後、80年代以降はカリフォルニア在住。 「ロンリー・ドリフター」→http://bit.ly/2D43mMS

 

ビル・アイルズ Bill Isles オージェイズ 加州サンディエゴをベースに地元の教会などで歌っていた。オージェイズは1972年からは、ビルともう一人のオリジナル・メンバー、ボビー・マーシーが脱退以後3人で活動。エディー・リヴァートの張りのある声が大きな魅力となり、現在まで第一線で活躍

 

キャッシュ・マコール Cash McCall 2019年4月20日までに死去。78歳。ブルーズ・アーティスト、ギター奏者、シンガー、ソングライター。60年代から多数のレコードを出してきた。マコールの友人というスタンレー・ベーレンズが公表し、その後ミュージシャン関係者が死去情報を流している。RIP

 

ジョン・シングルトン John Singleton ブラック映画監督。2019年4月29日LAの病院で死去。51歳。4月17日脳卒中で入院。ICUで生命維持装置をつけられていたが29日、家族の決断ではずされた。1991年若干24歳で監督した『ボーイズ・ン・ザ・フッド』がアカデミー候補に→https://lat.ms/2V459g1

 

ジョン・シングルトン John Singleton 1989年に見たスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』に衝撃を受け、リーがニューヨークを描いたので、自分はLAのゲットーを描くとフィルムメイカーになることを志した。デビュー作『ボーイズ・ン~』はアカデミー監督賞、脚本賞にノミネート→

 

ジョン・シングルトン John Singleton 監督賞はこのとき『羊たちの沈黙』のジョナンサン・デミに、脚本は『テルマ&ルイーズ』にとられたが、24歳で黒人監督候補はアカデミー初、いまだにその若さの記録は破られていない。その後もジャネット&トゥーパックを起用した『ポエティック・ジャスティス』など→

 

ジョン・シングルトン John Singleton  精力的にフィルム制作。テレビ(『エンパイアー』など)や音楽ビデオもてがけ、マイケル・ジャクソンの「リメンバー・ザ・タイム」も彼の作品。1968年1月6日LA生まれ、1957年生まれのスパイク・リーの次世代監督して多いに活躍が期待されていた。

 

ジョン・シングルトン John Singleton また新人発掘にも才能を発揮、ローレンス・フィッシュバーン、アイス・キューブ、タラジ・ヘンソン、今年『ビールストリートの恋人たち』でオスカー獲得のレジーナ・キングなどを起用してきた。すでに多くの追悼コメントが寄せられている。

 

ブーン・グールド Boon Gould (本名ローランド・グールド)、2019年4月30日イギリスの自宅で死去。64歳。1979年ワイト島で結成されたレヴェル42の創始者、ギター、サックス奏者。1987年マドンナツアー参加のためグループを脱退したが、メンバーとは友好関係を維持した→https://ind.pn/2LgwPK2

 

ゲイリー・スチュワート Gary Stewart ライノ・レコーズ・A&Rディレクター、アップル・エグゼクティヴ、2019年4月12日までにロスアンジェルスで死去。62歳。警察は自殺の可能性が強いとみている。https://lat.ms/2IvyuID もともとパンク、ロック・レコードのマニアで、レコード店店員から→

 

ゲイリー・スチュワート Gary Stewart →レコード会社セールスマン、レコード会社編成ディレクターとなり、ライノ・レコードで多くの旧譜コンピレーションの編纂に携わった。クレジットだけで、700枚以上のアルバムがあるという。ボビー・フラー・フォー、バーズ、キンクス、ロイ・オービソン→

 

ゲイリー・スチュワート Gary Stewart →などの再発をてがけている。また、『ハヴ・ア・ナイス・デイ』、『ザ・ディスコ・イヤーズ』、『ザ・ソウル・ヒッツ・オブ・ザ・70ズ』などのシリーズもてがけた。レコード業界の後、アップルに移籍していた。

 

ゲイリー・スチュワート Gary Stewart  たとえば、この『ソウル・ヒッツ・オブ・ザ・70ズ』シリーズはけっこうお世話になった。15~16巻ほどでている。https://amzn.to/2WkBeN0

 

OBITUARY>2019>1 (Jan-April)

 

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