マンションの下の階(お庭つきのお部屋)の方からいただいた紫陽花
毎日水を取り替えて、
茎の先端を少しだけカットしてあげると、
ぐんぐん新鮮な水を吸い上げて
かれこれ一か月も楽しんでます。
お花もらっても、
あっという間に枯らしていた自分が
こんなことしてるなんてすげーって思うけど、
枯らしていた自分がいるから、
すげーって思えるんだから、それもすげーって思う。
本当にすべては神の表現、
必要なことがちゃーんと起こっているんだなと。
そこに意識を向けて
日常の当り前の風景から、
美しいことや、楽しいことを見出すセンサーを開き、
目の前にある、
いろんな意味で、本当に満たされていく。
特別な場所で
きゃーって大騒ぎするとか、
大勢で集まって、
わー楽しいねーって、盛り上がるとか、
そういうアドレナリンを放出して
高揚感を味わうような時間も、割と嫌いじゃない方で、
会社にいたころは、
そればっかりで過ごしていた気がするけれど、
アドレナリンって麻薬みたいなもんで
一度出たら次はもっと出ないと
満足しないようになっているから
ほどほどにした方がいいみたい。
にぎやかで楽しい場は、
スパイスみたいなもんで、
たまにちょびっと利かせるくらいが
ちょうどいい。
スパイス利かせすぎると、
麻痺してくるし、ありがたみが薄れてしまう。
そういうこと、さんざんやってみて、
たどり着いた、私なりの結論は、
アドレナリン放出する場を求めて外をさまようことを辞めて、
セロトニン(幸せホルモン)が内側から
湧き上がるように過ごすこと。
しみじみと穏やかに
ゆるぎなく満たされる静かな日常を大切にすること。
・・・
それはとても地味かもしれない。
お花の水を取り替えるとか、
部屋を片付けて居心地良くしつらえるとか、
たとえ一人であっても、
お気に入りの食器でちゃんと丁寧にいただくとか・・
こちらは、
本日のひとり家ランチ。
長男のお弁当の残りの寄せ集めだけど、
お皿マジックで、
セッションの合間においしくいただきましたわ。
こういうことって、地味だけど、
でも自分を大切にする行為。
一人だからって、おろそかにしないこと。
一人だからこそ、大切にすること。
そうやっていると、
自然に内側が満たされていくよ。
満たされない、つまらない、さびしいって、
外に何かを求めるよりも、
満たされるためにできることって、
実はそのへんにいくらでもころがっている。
退屈だからって、やたらに外に出て、
その場はいいけれど、
また家に戻って一人で虚しくなったとしたら、
それは残念。
非日常を200%楽しむためにも、
日常を大切に丁寧に、喜びに満ちて暮らす。
シンプルだけで、馬鹿にしがちだけれど、
とても大切だなって思います。
ってふと湧いてきたので、書いてみました。
というわけで、また~。
お読みくださってありがとうございます。
感謝をこめて。
冨永のむ子