評論は解けるが小説は苦手。なぜ?・・・まとめ | 総合国語塾の徒然話

総合国語塾の徒然話

国語に関する質問募集中。できる範囲で答えます。
http://沖縄国語.com/

※かつて単発で書いたシリーズをまとめたものです。小説読解のヒントですが、合計4100字もありました。


もともと当塾に在籍している女の子のお母さんと面談しているときにこんな話が出ました。

「実は息子(女の子の兄)が鹿児島の高校に通っていて、長期休みで戻ってくるので、その間だけ見ていただけないでしょうか?」
「ああ、そうなんですね。どこの学校ですか?」
「LS高校(鹿児島が誇る、全国屈指の進学校)です。」

この話を聞いたとき、正直に告白すると
「難関中高に合格した子にありがちな、小学生のとき以上に結果を出せないことを母親がもどかしく思ったのかな?」なんて考えてしまいました(お母さん読んでいたらごめんなさい。この場を借りて謝罪します・・・)。

しかし、話を聞く限り、成績も上位のようです。とはいえ実際にその子に会って会話をしないことには指導イメージがわかないので、帰沖したときに三者面談しましょうか。ということでその日の会話は終了。

数日後、彼と対面しました。

緊張をほぐすための会話をしてみると、気取った雰囲気もなく、素直な受け答え。ごく普通の高校生、という印象。しかし、いろいろと質問してみると、LS校でもトップの成績をおさめているのも納得の、しっかりとした対応と語彙力。

そこで聞いてみます。
「国語が比較的苦手ってことだけど、N君は人の話を的確に受けとめて、言葉を選んで受け答えができる。会話レベルが高いなあって感じたよ。どうしてそう思うの?」

すると彼は言います。
「国語の長文でも、評論は解けるのですが『小説の問題は難しいな。』と感じて、どうやったら確実に解けるのだろうと悩んでいるのです。」

「ああ~。」と納得。

統計をとったわけではないのですが、経験上、常に偏差値70を超すような高校生から聞く、国語の悩みナンバーワンは
「評論問題は解ける(彼らの言う『解ける』とは満点をとれる、という意味です)。けど、小説は不安定(彼らの言う『不安定』とは満点がとれない、という意味です。点数が低い、というニュアンスではありません)だ。」です。

センター試験でも国公立の二次問題でも評論は難なく解けるのに、小説は難しいと言う。文章レベルは小説の方が平易なのにもかかわらず・・・。

かつての教え子で、後に東京大(理Ⅱ)に合格したM君・大阪大(医)に合格したK君・早稲田大(法)に合格したO君からもこれと全く同じ悩みを告白されたものです(念のため言っておきますが、彼らが合格したのはもともと力があったからです。私が国語を教えたからと自慢しているわけではありません)。

なぜ彼のような高偏差値の高校生が小説を苦手とするのでしょうか。それは「なまじ見えているがゆえに、かえって難しく感じる」からです。

説明します。

評論の文章は筆者による独白みたいなものです。それぞれに独特のクセ・個人言語・難解な言い回し・レトリック・・・があるものの、文章世界を構築しているのは筆者自身。よって「言いたいこと」は何だろう?と、文章を筆者のルールに沿って追っていけば方向性を誤ることはありません。ある程度パターンにはまった展開になるため、語彙力と分析力があれば点数は取れます。

しかし、小説は多少状況が異なります。確かに、表現は評論に比べて平易なので、「何が起きているのか」という状況判断や、「どういう気持ちなのかな。」という心情推測は類推できるかもしれません。国公立の高校入試までならその程度の認識で充分解けます。しかし、難関私立高校や、大学受験はそのひとつ上のレベルを設問にしてきます。

それは何かというと、登場人物の、変化していく世界観や作者自身の世界観を詳細に聞き、舞台となっている物語の世界とどう結びついているのかを聞いてくるのです。小説は評論と違い、筋道に沿って展開する必要はなく(むしろそんな小説は二流と蔑まれるでしょう)、登場人物も論理的な動きをみせません。おまけに、それぞれ何らかの深淵を抱えた存在である場合が多い。その方が小説として面白く、テーマにも厚みが出るからです。

つまり、小説には、登場人物それぞれに世界観があるわけです。しかも、時としてその世界観に反する言動をおこしたり、幾重にも及ぶ葛藤を経て新しい世界観が創出されたり、と落ち着きません。それをマリオネットのように、作者が裏で糸を引いています。小説はこの糸の引き具合や舞台まで分析しないと満点は取れません。

そう。評論ができる子は、作者の演出と複雑に絡み合っては変化していく登場人物の世界観が「なまじ見えているがゆえに、かえって難しく感じる」のです。

ある程度の読解力がないとここまでいかないので、「小説の方が読みやすいし簡単でしょ?評論の方が難しいよ。」と反論する子もいますが、まあ、そういう子は要するに「見えていないから、簡単だと錯覚している」だけです。

では、そのような小説の読解はどう分析して解けばいいのでしょうか?
そして問題を解くのに必要な力は何でしょうか?

いわゆるテクニック的な読解法では培えない、もっと本質的な事。
小説読解のために、必要な事。

それは

①幼い頃から今に至るまで、感情に訴えかけるような体験がどれほどあったか。
②①を踏まえ、登場人物の言動を分析し、それを心情に言いかえる語彙力がどれ位自分の中にあるか。
が、保護者が気をつけるポイントでしょう。

まず①について考えましょう。今から「テクニックの前に、感情を形成する体験を増やそう」という話をします。

小説には様々な表現が記されています。小学生用のテキストを見ると「嬉しくなりました」「落ちこんでしまいました」などストレートな心情表現も多くあります。

設問に「このときの気持ちは?」というものがあったとして、大人は「ほら、ここに『嬉しくなりました』って書いているじゃない。だから答えは『嬉しい』だよ。」と解説しがちです。

しかし、「嬉しい」と思える経験が乏しいと、なぜ答えが「嬉しい」なのか、子どもは理解できません。

例えば、困難に耐えてコンクールに入賞したって子は「嬉し泣き」という表現を理解します。例えば、わがままし放題で甘やかされている子は「我慢した」という表現が体に入っていきません。

文字を理解するまでの「体験」が必要なんですね。

そして体験があったなら、それを話すなり、日記で文字にするなどをして、形として出しましょう。インプットとアウトプットのどちらもなければ、言語力の基礎(および小説読解に必要な、心情を理解できる心)は育ちません。

私が、主に小学生の保護者に「勉強もいいけど、まずは外で思い切り遊ばせて下さい。友達とけんかしても構いません。転んで泣いたっていいじゃないですか。わけのわからない体験をたくさんさせて、その後に質問して話をきいてあげてください。」と説く理由はここにあります。

体験は、言語形成のための、最初の材料です。体験がないと言葉も育ちません。

では、次に②について説明します。例文として 梨木香歩さんの「渡りの一日」を取り上げてみますね。

主人公は「まい」という少女。ひょんなことから友達の「ショウコ」とともに、「あやさん」に送ってもらうことになりました。あやさんは若い女性ながらプロのトラック運転手。そんなあやさんにだんだん心惹かれていく場面です。

 たしかに、こうやって高いところからほかの車を見下ろしながら悠々と運転するのは気持ちよさそうだった。あやさんの運転している姿には、誇りとすがすがしさがあった。「でも、大変じゃないですか。」 「そりゃあ、いろいろあるわよ。でも、いろんなトラブルを一つ一つ解決していくのって何とも言えない快感よ。自分の人生を自分の力で切りひらいていってるって実感があるわ。」
 あやさんの運転は、堂々としていて、しかも思いやりがあった。必要以上に前の車に接近して威圧感を与えることもなく、変に遠慮して車線変更をためらうこともなかった。流れに入れないで困っている車には、スピードを緩めて早く入るように合図した。
ああ、いろんな女の人がいる、と、まいは思った。まいのママのように、仕事が大好きで、あまり家事の好きでないタイプ。それから、ショウコの母親の順子さんのようにどっしりと家庭を営んでいくタイプ。皆口には出さないけれど、それぞれの幸福があり、また不幸もあるのだろう。でも、あやさんの場合は、何と言うか、鮮やかだった。
 「いいなあ、そういうの。」 ショウコがめずらしく好意的な感想を漏らした。「ことは、とても単純よ。好きなこと、やりたいことを仕事にする。」 あやさんは言いきった。
 ……ああ、かっこいい…… ショウコとまいは同時にそう思った。


問題 傍線部「ああ、かっこいい」に示されているショウコとまいの気持ちを説明してください。

意外に難しくありませんか?塾生はいつも私に、こんな風に頭が疲れる質問をされます。かわいそうに。

模範解答は「ショウコの感想に対して、何の迷いもなく自分の信念を語るあやの輝かしい姿に、ふたりがあこがれている気持ちが表現されている。」

本文には「輝かしい姿」も「あこがれている」も、書かれていないように感じるかもしれませんが、これは本文の中にある「鮮やかだった」、「ああ、かっこいい」という描写を根拠とし、分析して言いかえているのです。

いよいよ本丸に入ってきました。

このように、状況を分析し、ところどころの描写を心情に言いかえ、繋げて読む。これが小説読解のコツです。問題文を読むときは常にこれを行って下さいね。

これを行うと、心情説明の選択問題での正解率はあがる・・・というかほぼ間違うことはなくなります。なぜなら、選択問題は本文を言いかえて作成されているからです。私が入試問題を作成するときも、このプロセスでやっていました。

とはいえ、こうやって言いかえるためには内在的な語彙力がもちろん必要です。
ですから、「状況を心情に言いかえる語彙力がどれ位自分の中にあるかが大切ですよ」と書いていたのです。

急いで書きなぐってしまいましたが、言いたいことが伝わったでしょうか。小説読解のヒントになれば幸いです。