確かに、運・不運はその人の人格、行為とは関係しない
不運な理由による一瞬の空白が、人命を損ない、贖罪と苦しみの人生を送る人、傍らでは、いけ好かない人が高額の宝くじに当選。
神様が確率のようなものなら、そこには因果応報などの、情に関わるものは、一切入る余地はないということだ。
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だいぶ前だけど…カラスが虐殺されたとか…その話を聞いていた、猫大好きな人が…
「カラスは猫を襲って子猫を殺したりする。だからカラスは虐待されようと虐殺されようと構わない、ざまあ見ろって感じ」
というようなことを言っていた。
命あるものはすべて生態系の中で生きている。人間だけが生態系から少しずれた社会を築いてはいるが、生きるものは皆、生態系の中で自分を守らなければならない。
だから、キャパシティを越えてしまった生き物が、人を襲ったり、病原菌を繁殖させるなら、駆除という名の排除もやむを得ない(できるだけ苦しませずにが、同じ命あるものへの礼儀と心得るが)…
しかし、猫は可愛いから、虐殺する奴は許せないが、可愛い猫の天敵カラスは虐殺してもいい…これを平気で言う人は恐ろしい。カラスにはカラスの生態系があり、同じく生きていることを考えない…猫だって小鳥やネズミを狩るのだ…
自分と同じグループ(人種、民族、国籍、宗教、主義・思想・信条など)の人は、守らなければならないが、その枠以外は…自分の属する狭い世界しか見ない、見えない…
こういう思想が社会に、政治に、世界に増えてきているような気がする。
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