鍵山雄介ブログ『ハンターは眠らない』

鍵山雄介ブログ『ハンターは眠らない』

日頃の素晴らしき日々を綴っていきます。

伝統あるコブラ会(この頃は伝統あるとか何も知らない)に入会した私は、幼き頃から柔道やってたしとか変な自信だけは誰よりもあった。

 

だから、まあまあ行けるやろうと思ってたけどビビるくらいにコテンパンにやられた。

 

 

当たり前。

 

今思えば柔道エリートでもないいし、普通に週3くらいしか練習してない人。

 

今でも、総合格闘技する以前は何かやってたのかと、聞かれても胸を張って柔道してたとは言えない自分がいる。

 

真剣にやってた人に対しては失礼だと自分の中の考えがある。

 

 

だから入会したての時は、柔道の流れで、柔術かグラップリングならやりやすいかなと思ってそれぞれのクラスによく参加していた。

 

そこで初めて心を折られそうになったの。



とある方とのスパーリングだった。



 

税関の職員であったって方がいて、道場に来るときはスーツ姿でやってくる。


見た目は真面目そうで、正直強そうではなかった。

 

その人とスパーリングになった時に気づけば、

ニーオンザベリーでなんも動けなっかった。

 

格闘技知らない人に説明するとニーオンザベリーは仰向けの相手のお腹をを膝で制圧する抑え込みで、なんか上から見下されてる感覚があって、メチャクチャ力量の差を見せつけられる技。

 

やられながら滅茶苦茶悔しかったのを覚えている。

 

 

そんなやられながらも、いつかやり返したいと思いながら質は良いか悪いか分からないけど、


とりあえず、

 

毎日練習に行くようになった。

 

とりあえず量しないと間に合わないと、そん時思った。

 

あと、なんか毎日練習に行っててたまに周りからは、

 

たまに『何になりたいん?』って言われたこともあったけど、それすらも普通と変わってる事してるんだと思い嬉しかったような気がする。



 

まあ、ただの勘違い野郎。


 

毎日練習いって、家からは道場までは片道1時間半かかったので

 

いつも帰ってきたら夜中12時くらいだった。

 

そこから、その時は栄養=牛乳という栄養神話を信じてたので毎回1リットル飲んでた。

 

 

そして、毎回朝に腹を下すというさっぱり意味ないことをし続けていた。

 

学習能力がなかった。


 

失敗したから分かる事もある。


 

ってことがある名言の体を張った証明である。

 

 

余談だが、僕にニーオンザベリーし道場で初めて心を折りそうになったサラリーマンの方ですが、


 

その年の忘年会で、


 

酔っ払い、全裸でシャドーしてる姿を見て、私はこの人にやられたのかと思いもう一回心を折られそうになったのは言うまでもない。。。。


 

人は見かけとは一致しないと学んだ20歳前。

 

 

そんな現実も見せられながら、楽しく道場に通う日々。

 

ある日、レッスンより早く、道場に着いた。

 

当時は引き戸だったドアを開けて中に入ると、誰もいなかった。

 

今では考えられないけど、当時のコブラ会施錠の概念がなかった。


 

性善説で成り立っていた。

 

 

 

なので入って中で待とうとしたら、


 

道場のマットの上にスーパーのトレーに乗った串カツが3本無造作にあった。

 

ラップしてるわけでもなく、蓋してるわけでもなく、むき出しの串カツが。。。。

 

 

周りに人はいないのに。

 

なんやこれはって思ってたら、

 

三島さんが二階からロープで降りてきた。




もちろん上半身裸で。


 

 

今でもあるのだが、コブラ会は二階というか屋根裏的なことに日焼けマシーンがある。

 

 

今と違って、人見知りだったし、ツッコミなんて出来なっかったので何事もなかったように会話したのだが、

 

 

推測するに、

 

買ってきた串カツを道場で食べてた時に鏡をふいに見たときに、肌の焼き色が気になり、

 

日焼けしようと思い串カツをほっぽり出して、日焼けマシーンに入ってたのだと思います。

 

真夏だったので、普通なら冷蔵庫に入れたり、デスクの上に置いてからとかとか思うのですが、

 

そんな普通の考えなら強くなれないのですかね。。。。



普通じゃ強くなれない。




 

 

これも今、三島さんに聞いても間違いなく忘れてるので真相はわからないですが。

 

 

しかも、あんな梯子もないロフトみたいなところに200キロくらいある日焼けマシーンをどうやって上げたのか、

 

 

これもコブラ会七不思議ですね。。

 

 

 

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

世間は自粛ムードであり、例外なく私もステイホーム。

こんな時だから、過去を振り返ってみる。

 

 

僕が総合格闘技道場コブラ会に入ったのは約16年位前。

 

当時地元、淡路島から大阪に進学で出てきた少年の私は何か真剣にやりたっかった。

 

正直、別になんでもよかったのだと思う。

 

大学生と言えばサークルや部活などに入ってる子も周りにはたくさんいた。

 

小学校~高校まで柔道部だった(強豪校ではなく県大会二回戦負けくらいの普通の柔道部員)私は、本気でなんかやったら実は滅茶苦茶ヤバいやつになれるんちゃうんかと思いこみ、大学の部活の受付に行く。

 

これがまさかの門前払い。それはそうである。大学の柔道部は強豪校だったので、スポーツ推薦のみの全寮制。

 

一般入試で入ったやつなどは入れる余地もなかったのだ。

 

そりゃそうだと思った気がする。

 

道は閉ざされたとその時、思ったかは忘れたけど今になって思うと

逆によかったのではないかと。

 

当時、PRIDE全盛期。高校生の時は淡路島からバスに乗って明石海峡大橋を渡り、三ノ宮のスポーツバーに友達と見に行っていた。

 

ヒマな大学生だった私は、『格闘技 大阪』でググッてみた。

 

一番上にヒットしたのがシューティングジム大阪だった。

 

けど、その時の家から行くには淀川を越えるので遠く感じたので、

 

淀川を越えずに済む、『総合格闘技道場コブラ会』に体験に行くことに決めた。

 

あとから気づいたら当時、大阪に出てきたばっかりだったので地理感覚が分からなかったけど住んでた家からシューティングジム大阪もコブラ会もそんな差はなかった。勝手に川越えが遠いイメージだったのだ。

 

後々、ちゃんと調べるとパラエストラ大阪が一番近かったのだが、

なぜか気づかなかった。

 

 

そんなこんなで、体験の日。

 

格闘技道場なんてもちろん、初めて行くし名前も総合格闘技道場コブラ会って恐すぎる名前やし、全く入る気すらない友達と一緒に向かった。

 

駅おりて10分くらいで着くのだが、やたら緊張したのを覚えてる。

 

これがよく回想シーンで使われるフレーズの、

 

まさに昨日のことのように。

 

ってやつですわ。

 

緊張しながら到着すると,

 

裸のマッチョすぎる人が、筋トレをしてて上半身裸の金髪、色黒の方がで迎えてくれた。

 

そう、道場長であり

 

後の師匠である三島さんだったのである。

 

約20年間生きてきて、見たことないタイプの人種の方だったので本能的にコレはヤバすぎるとこにきてしまったという感覚を覚えた。

 

尋常じゃなかった。

 

今より体重も多かったのと、年齢もあれなんでバルクが凄かった。

 

緊張した僕たちを見て、

 

見た目とは違い、フレンドリーな感じで道場の中に案内された。

 

 

案内されたときは、一応服を着て案内されたけどタンクトップにバギーパンツだったので、いろいろ気になりすぎて、

 

頭にさっぱり説明が入ってこなっかったの言うまでもない。

 

その後着替えて、クラスに参加。

 

なにっやったか覚えてないけど、楽しかったのは間違いない。

 

なんか合ってるって勝手に勘違いした。

 

この勘違いこそが大きな始まり。

 

その日に入会を決めた。

 

 

この日に入会を決めたのが人生のターニングポイント。

 

 

これが始まりの日に。

 

 

 

こんな感じでコブラ会で過ごした長い日々であったエピソードを発信していきたいと勝手に思ってます。

 

 

 

 

次回は『道場の真ん中に串カツが!』をテーマに書きたいと思います

 

 

 

~続く~