世間は自粛ムードであり、例外なく私もステイホーム。
こんな時だから、過去を振り返ってみる。
僕が総合格闘技道場コブラ会に入ったのは約16年位前。
当時地元、淡路島から大阪に進学で出てきた少年の私は何か真剣にやりたっかった。
正直、別になんでもよかったのだと思う。
大学生と言えばサークルや部活などに入ってる子も周りにはたくさんいた。
小学校~高校まで柔道部だった(強豪校ではなく県大会二回戦負けくらいの普通の柔道部員)私は、本気でなんかやったら実は滅茶苦茶ヤバいやつになれるんちゃうんかと思いこみ、大学の部活の受付に行く。
これがまさかの門前払い。それはそうである。大学の柔道部は強豪校だったので、スポーツ推薦のみの全寮制。
一般入試で入ったやつなどは入れる余地もなかったのだ。
そりゃそうだと思った気がする。
道は閉ざされたとその時、思ったかは忘れたけど今になって思うと
逆によかったのではないかと。
当時、PRIDE全盛期。高校生の時は淡路島からバスに乗って明石海峡大橋を渡り、三ノ宮のスポーツバーに友達と見に行っていた。
ヒマな大学生だった私は、『格闘技 大阪』でググッてみた。
一番上にヒットしたのがシューティングジム大阪だった。
けど、その時の家から行くには淀川を越えるので遠く感じたので、
淀川を越えずに済む、『総合格闘技道場コブラ会』に体験に行くことに決めた。
あとから気づいたら当時、大阪に出てきたばっかりだったので地理感覚が分からなかったけど住んでた家からシューティングジム大阪もコブラ会もそんな差はなかった。勝手に川越えが遠いイメージだったのだ。
後々、ちゃんと調べるとパラエストラ大阪が一番近かったのだが、
なぜか気づかなかった。
そんなこんなで、体験の日。
格闘技道場なんてもちろん、初めて行くし名前も総合格闘技道場コブラ会って恐すぎる名前やし、全く入る気すらない友達と一緒に向かった。
駅おりて10分くらいで着くのだが、やたら緊張したのを覚えてる。
これがよく回想シーンで使われるフレーズの、
まさに昨日のことのように。
ってやつですわ。
緊張しながら到着すると,
裸のマッチョすぎる人が、筋トレをしてて上半身裸の金髪、色黒の方がで迎えてくれた。
そう、道場長であり
後の師匠である三島さんだったのである。
約20年間生きてきて、見たことないタイプの人種の方だったので本能的にコレはヤバすぎるとこにきてしまったという感覚を覚えた。
尋常じゃなかった。
今より体重も多かったのと、年齢もあれなんでバルクが凄かった。
緊張した僕たちを見て、
見た目とは違い、フレンドリーな感じで道場の中に案内された。
案内されたときは、一応服を着て案内されたけどタンクトップにバギーパンツだったので、いろいろ気になりすぎて、
頭にさっぱり説明が入ってこなっかったの言うまでもない。
その後着替えて、クラスに参加。
なにっやったか覚えてないけど、楽しかったのは間違いない。
なんか合ってるって勝手に勘違いした。
この勘違いこそが大きな始まり。
その日に入会を決めた。
この日に入会を決めたのが人生のターニングポイント。
これが始まりの日に。
こんな感じでコブラ会で過ごした長い日々であったエピソードを発信していきたいと勝手に思ってます。
次回は『道場の真ん中に串カツが!』をテーマに書きたいと思います
~続く~