為替ディーラー | 相場残日録(元相場師天の日記)

相場残日録(元相場師天の日記)

プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

毎日新聞に私がかつて従事した為替ディーラーが

特集記事で採り上げられていました。

ちょっとうれしい

私の推シゴト:億の利益も、数千万の損失も 巨額のお金を動かす34歳為替ディーラー | 毎日新聞 (mainichi.jp)

少し抜粋

在学中から金融市場への関心が高い知人が多かったこともあり、

裁量が大きく成果を実感しやすいディーラーに憧れていた。

抜粋終わり

為替ディーラーの神髄はまさにここですね。

ただし、新入行員をパートナーシップ型の採用をする

邦銀では、為替ディーラーになりたくても

その希望がかなうわけではありません

この方は運がよかったのかな?

しかし時代は変わりましたね・・・・

銀行で 本流の融資ではなく 為替ディーラーを目指すことは

30年以上前は 本当に異端児でした。

 

ご参考

父が送ってくれた「為替の本」 | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

抜粋

父が熊本の紀伊国屋書店で購入して

送ってくれた本です。

父としては、普通の銀行員ではない

プロフェッショナルな仕事である

「為替ディーラー」の卵に一人息子がなったのが、

うれしかったんでしょうね

本屋でいろいろ見て、この本が息子のためになる

そう考えて、買ってくれたのだと思います。

父の想いがうれしかったですね・・・

しかし

実際行ってみたら その通り 泣・・・・

自分の人生でもこのアシスタントの1年半の時代は

一番悲惨な時間だったような気がします。

朝は4時台に起きて6時半には出社

日中は自分の意思などなく

奴隷のように言われるがままに働く

その指示も理不尽極まりない・・・

加えて、為替ディーリングは 英語を使う世界

私は、大学受験以降

まともに英語なんで勉強していないし

全くしゃべれない

しかし、奴隷には 英語を学ぶ時間などなし

もう地獄・・・・

そして、さらにつらかったのは

通常、ディーリングルーム配属は 入行3年目

入行5年目の私は最も遅い配属

なので、入行同期連中はみんな 

アシスタントは卒業してジュニアディーラーになり

自分のポジションを持ってディーリングをしています

私は、自分より年下の連中と一緒に

奴隷身分・・・

これが精神的に一番きつかったですね・・・・

そんな人生どん底の時代に触れた

父のやさしさ 心にしみました

その後、歯を食いしばり頑張って

1年半後に ジュニアディーラーに昇格

オーストラリアドルとアジア通貨の担当ディーラーに

そして、拙い英語ながら

アジア通貨の研究に香港・シンガポールに出張もし

香港が、、、、 | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

その後、シニアディーラーとなって

ドル円ディスクを担当して、

ドル・ドイツマルク・英国ポンドの主要通貨以外を担当する

クロスデスクのチーフディーラーとなり

最後は、主要通貨担当のインターバンクデスクで

25人のチームを率いるチーフディーラーまでのし上がりました

でも、そこまででしたが・・・

外国為替専門銀行とのわが行の合併で

「お前に 未来はない」 と ・・・・

ただし、それは

相場師としての私の才能が本格的に開花する転機になりました。

参考

最高の6年間の始まり | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

抜粋終わり

 

為替ディーラー 今は 花形のお仕事なのですね (笑)

 

以上