夢を追うバンカーの卵だった頃・・・ | 相場残日録(元相場師天の日記)

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プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

4月ですね

街に真新しいスーツに身を包んだ新入社員があふれています

おそらくは、新人導入集合研修からの帰りですかね?

研修終わったら、いろんな配属場所へ散っていくのか?

 

1985年4月 37年前を想い出します。

22歳の私 

某都市銀行の新入社員として

新人全員集められて 武蔵野?だったでしょうか

研修所での缶詰の新人研修 約1カ月

結構ハードで 毎日遅くまで課題をこなしていたような・・・

そんな記憶があります。

 

当時の私は、

日本の根幹になる企業を見つけ、

それを育てて応援するバンカーになりたい

そんな 蒼い??夢を追うバンカーの卵

 

しかし、渋谷支店に配属になり

現実を見せつけられ

夢もどこかへ行ってしまいました・・・

外部環境はバブルの創成期

貸し出しのノルマがドーンと張られた疲弊した先輩たちの姿

「なんで貸し出し伸びないのか!

いい不動産見つけてきて、それを担保に購入資金を貸す

そんな簡単なことがなぜできないのだ お前らは!」

という鬼の支店長の 地獄のような会議での怒声

 

そして、やっと 

担当先を持って 初めて貸し出しを実行するとき

稟議書の上についた ハンコが6個

自分の判断でお金が貸せるようになるのに

何年かかるのやら・・・・

という絶望

これは 何か違う

そう思ったのを記憶しています

ご参考

銀行員の凋落 | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

半沢直樹の世界 | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

 

そして、普通の銀行員はあきらめ

自分の裁量で自分の判断で仕事ができる

プロの相場師=為替でディーラーを希望した私

当時、為替ディーラーなんか

まっとうな銀行員を外れた人間がやる仕事

そんな雰囲気がありました 私の銀行には

ディーリングルームに異動になった時

「お前なんかやらかしたの?」

と、先輩に聞かれました

島流しの場所 そんな風にみられていたのですね

まあ 行ってみたら 

罵声 怒声飛び交う 超やくざな世界

そんなところでした

私が行ったディーリングルームは

そして待っていたのは 奴隷のような日々

為替SPOTのアシスタントという

カーストの底辺の存在

そこから 這い上がりました

最後は、インターバンクのチーフディーラーまで

ご参考

最高の6年間の始まり | 相場残日録(元相場師天の日記) (ameblo.jp)

 

と 新入社員を見て

大昔の自分を振り返った今日の私・・・

 

頑張れ新入社員

と 自分の息子 娘よりずっと下の代の若者を見ています

 

以上