銀行員の凋落 | 相場残日録(元相場師天の日記)

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プロの相場師「天」の引退後のブログ、残日録として記していきます。

奇しくも 二つの経済誌が
沈みゆく銀行の特集を、、、、

社会人になって35年目

途中 信託会社にいた1年11ヶ月を除き
残りは 一応銀行員でした 私も
ただし 本来の商業銀行業務は
新人の頃少しかじっただけ
それでも 最近の 銀行員の凋落には
流石に 哀しさを感じますが、、、、
一方で やっと 世間が認識したか!
との思いの方が強いかな?
 
もう15年くらい前から
借りて欲しい先は借りてくれない
貸して欲しいと来る先は直ぐに不良債権化
どうすりゃあいいの!
という声は 
普通の銀行員から出ていました
 
手数料収入に走っても
投資信託 保険の販売手数料は
どんどん取れなくなるし
(当たり前ですネットではゼロ)
コンサルティングフィー取ろうにも
ゼネラリスト銀行員が付け焼き刃では
大手税理士事務所やコンサルハウスには
到底かなわない!
雀の涙ほどあった 貸し出し利鞘も
日銀マイナス金利でほぼ潰れ
AI フィンテックで人は要らなくなり
リストラに怯える
 
正直 厳しいですね!
 
個人的には 少し前まで
就職人気ランキングの上位に
銀行がランクインしていたのが
信じられませんでした!
 
なぜか?
だって 面白い仕事ではないですよ
銀行員は、、、、
 
新人の頃 初めて融資の査定書書いた時
私のハンコの上に四つハンコが連なって
融資可の文字
「いつになったら自分の判断で
お金が貸せるの????」
 
と 陰鬱になったのを
はっきり覚えています。
だから 私は 相場の世界の門を叩きました
 
私がいた銀行の人事は 
減点主義でリカバリー無し
最後まで❌喰らわないように
生き延びたものだけが出世する
私がいた銀行はそうでした。
要するに 会社の歯車となり
上司に忠実に マニュアル通りに
仕事をこなしつつ
ただし ノルマだけは大きく課される
嫌でしたね!
 
その時 商社に入った大学ゼミの同僚に
ハンコ四つで嫌になった話をしたら
その商社は 
ハイ 目標いくら 自分で考えて達成しろ!
という教育方針
商社は 1970年代の冬の時代を
乗り切ってきた経緯がありますからね
 
えらい違い!
 
銀行にいた時
ゼネラリストの若い後輩の銀行員に
私は よくこういっていました
「自分の頭で考えろ  歯車になることに一生懸命だと銀行退職する時使い物にならなくなってるよ」
 
銀行員は入社した時が
一番優秀かもしれませんね、、、、
 
商社は 商品の仲介業者から
川上でビジネスそのものを創る
ビジネスモデルに転換して生き残りました
 
さて 銀行員にそれができるかな?
 
以上