体育会という言葉の響きがメディアの論調で
どんどん否定的なものになっているような・・・・・
体育会系の没落(大機小機)by日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31388350V00C18A6920M00/
先日 雑感で 次の記事を書きました。
https://ameblo.jp/soubashi63/entry-12376999241.html?frm=theme
私も、訳のわからない 「伝統」というより 「因習」に縛られ
監督や、先輩に絶対服従の「悪い体育会」は嫌いです。
しかし、自分が「体育会弓道部」に所属していたことは
間違いなく自分の人生にとってはプラスでした。
確かに、大学四年時の就職活動は、正直苦労しませんでした。
やはり、「体育会弓道部主将」の肩書はそれだけで
他の就活生に比べると恐るべきアドバンテージがあり
就職先は数ある中から自分で選ぶことができました。
それが人生にとってプラスであったことは否定しません。
しかし、そんなことより、人生最大のプラスは
一生の仲間を得たことです。
学生弓道ですから、やはり「勝つ」ことは大きな目標です。
その為に切磋琢磨し、試合に出て活躍することを目指します。
しかし、現実として、
試合に出ることができるものはほんの一握りです。
そうすると、悪しき因習に縛られた悪い体育会は
勘違いするものが出てきます。
試合に出て活躍し、部の勝利に貢献できるものが偉い
という感違いです。
特に日大アメフト部のような悪しき体育会は
その傾向が強いのでしょう。
私がいた大学の弓道部は、監督はいましたが
実際に誰を試合に出すのかの権限は主将が握っていました。
しかし、私の同期は超癖のある個性的な人間が多く
とても主将の絶対王政で統括できるものではありませんでしたね・・・
但し、主将の私が後輩含め部員全員に強く刷り込んだことは
誰がこの部で一番偉いのか?でした。
「4年間一度も試合に出ることがなく、しかし最後まで頑張ったやつ」
それが、この部で一番偉い人間だ!
みんなが、この気持ちを共有した我が弓道部は
本当にいい体育会でした。
私の同期、先輩、後輩、卒業して34年たっても
信頼できる仲間であり続けています。
しかし、そんななか
一度も試合に出なかったけど最後まで頑張った
所謂一番偉い同期の仲間が、
不幸にも若くして、突然の病気で世を去りました。
私の同期の先輩、後輩 彼を慕っていた
多くの人間が集まり、彼をしのぶ会を開催しました。
その会は、毎年一月の最初の土曜日に開催することを決め
続いています。
その会では、
今の社会人としての地位とかそんなものはすべて捨てて
昔の仲間として純粋に楽しめる素晴らしい時間です。
日本人は、極論に走るという癖があり
最近の論調は、「体育会」そのすべてを否定しているような・・・
私も、体育会の一般的な雰囲気は
自分がその中にいたとはいえ、嫌いです。
しかし、世の中には私がいた大学の弓道部のように
素晴らしい仲間となった体育会も多いと思います。
最近のメディアの論調を見ていて
違和感を覚え、ちょっと違うよなあ・・・・
と感じたもので
少し前、母校の弓道部で顧問をしている
私の息子は
「そんな仲良しクラブ的な気持ちでやった部活では、
おまえら卒業してからも
何十年と酒を酌み交わす強いきずなはできないぞ
部活はそんなものではない。」
と活を入れたそうです。笑
彼は父親のつながりを知っているし
自分のつながりもありますからね。
以上
天