こんにちは!

 

 

団地妻サトちゃんです。

 

 

 

 

 

 

こちらの記事は、

 

 

【鬱を発症した夫と生活してきた団地妻サトちゃんの体験談】として、
こんな風に過ごしてきて、気づいたら夫が鬱になる前よりも相当幸せな、
心から望んでた日常が私の手の中にあったよ。

例えどんなに辛い現実だとしても、必ず望む日常が叶う!
叶った話がここにあります!!

 

 

 

ってことをお伝えしたく書いております。

 

 

 

 

とは言え、あくまでも成功事例ということではなくて、
ひとつの体験談、団地妻はこのように過ごしていたよ〜の見守る家族側のお話、

として捉えていただけたら、と思います。

 

 

 

↑↑↑
【夫に鬱症状がある中での生活】
・鬱の情報を知るほど私がもたなくなりそうなので、
情報は入れずに、目の前の夫と付き合うのだと決めた。
・その結果、最悪の状態が起こっても自分を責めないと決めた。
・今だけを見て、過去の自分と逆の選択を取り続けた。
(未来の不安から行動しない、巷の情報に囚われない)
・ため込まないよう工夫したものの、ついに私が限界に。
感情爆発!からのガストン家出を試みる。
 
 
 
この続きを書いていきますね!
 
 
 

※あらゆる診断名についての理解がないので、

敢えて鬱という曖昧な表現とさせていただきますことをご了承くださいm(__)m

*************************************
 
調子が悪くなると車に避難する夫ガストンに、
 
 
 
子どもたちは、自分たちのせいでお父さんを疲れさせてしまったと、
 
気を遣うようになっていました。
 
 
 
 
ガストンが出ていくことが増えていくにつれ、
私も気持ちが暗~くなっていく。
 
 
心を保とうと、子どもたちに顔を見られぬよう台所に向かったまま、
動けなくなることも。
 
 
 
 
すると娘が、
 
 
「ほらみてみてー!みんなわらってるねー!!
ねぇ!みーてー!!みてよー!!わらって!!!」
 
 
そんな風に、家族写真をたびたび見せてくるようになりました(T_T)
 
 
 
 
 
 
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こんなに小さかった当時の娘、家族をまとめようと頑張っていました。
 
 
 
 
 
 
子どもに笑ってと言われても涙をこらえるのだけに必死で、笑うこともできない。
 
そんな自分が嫌になる。
 
 
 
 
そんなあれこれ、出て行くだけのガストンは、何も見てないじゃないか。
 
 
病気なんか関係あるか!ふざけんな!!!
 
 
 
 
そんな風にある日突然、爆発してしまったのでした。
 
 
車のドアを開けて、
家に戻って子どもがどんな顔してるか見たらどうかと言い放ち、
 
私はみんなのいる場に戻れない。
もう終わったなと。さすがに一番やっちゃいけないこと。
辛さを上塗りするようなことをしてしまった。
 
 
 
 
もうどうでもいいや。
自己嫌悪にまみれながらベランダに出て何時間も戻らなかったら、
 
 
夫ガストンが家出に踏み切った。
 
 
 
 
 
 
泣きながら、
「子どもたち頼むな。」
というガストンに、私はさらにブチ切れました。
 
 
「出てくのは勝手だけど、私に頼めると思わないでね。
私だってまともじゃないんだから。子どもたちが無事だと思わないでね!!」
 
 
 
 
玄関で立ち尽くすガストン。
 
 
 
「もうなにもかもやめる!どうでもいい!!
私なんて何もまともにできない。私がバカだから家族がこんななったんでしょ!
全部私のせいなんだ!!!」
 
 
 
と泣き叫ぶ私にガストンは、
 
 
 
「それは違う。なにもやめないでよ。お母さんには頑張ってほしいんだよ。
俺とは違うんだから。」
 
 
と。
 
 
 
「だけど俺だってどうしていいか分かんないんだよ!
怖いんだよ!!!」
 
 
 
 
「何が俺とは違うだ!私だって怖い!!!」
 
 
 
 
 
この応酬。
 
 
 
今思えばそれが、
初めての私たちの対話のようなものになっていたのです。
 
 
 
 
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平常心を装っていた私と、
 
邪魔者扱いされている情けない自分、と感じていたガストン。
 
 
 
 
どうしようもない、
ただそこにある本音をお互いに吐き出しました。
 
 
 
 
 
 
そして、辛かったら車に行っていいよと私が言ったことで、
 
「調子悪い俺が家にいると迷惑なんだな。」
 
という気持ちにさせ、ガストンをさらに追い詰めていたことを知りました。
 
 

 

だから頻繁に出て行ってたのだと。

 

 

 

 

 

「ひとりになれば少しでも楽になるかなと思って言ったことだった。」

 

 

 

そんな気持ちも伝えあうことになり、

 

 

 

 

 

「どうなるか分かんないけど家族といたい。一緒にやっていこう。」

 

 

 

と、ガストンから、その言葉が出たのでした。

 

 

 

 

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そこから、目に見えて楽になっていきました。

 

 

症状が消えた、ということではなくて、

 

自分たちのすべてをさらけ出しあったことで、

怖いものがなくなったし、カッコつける必要もなくなったのです。

 

 

 

 

お互いに、自分を許すことができた

 

そのきっかけだったのではないかなーと思います。

 

 

 

 

 

 

とは言え、そこからの道のりは、

 

それはもう自分にがっかりするばかりで。

↑もはや夫の鬱の話ではない(笑)

 

 

 

 

 

退職金から保険から何から何まですべて解約して、生活費に充てて。

 

お金があるうちに、自分で稼げるようになるんだ!大黒柱になるんだ!!

 

 

と、勇ましく動き回っていた私でしたが、それはもう、へなちょこで。

 

 

 

 

 

 

 

そして、とある日。

 

 

 

「私の夢は、夫が生活費を稼いでくれて暮らすことです。」

 

 

と、呟いたことがありました(笑)

なんかホント、スッと出てきちゃったんですよねー

これもまた、普通に考えたら療養中の人に言っちゃいけないですよね(^^;

 

 

でも多分、

言っても大丈夫と思えるガストンの上向きな状態を

私が感じていたんでしょうね。

 

 

 

 

 

 

「あ、そうすか。」 と、ガストン。

 

 

 

 

 

 

 

後で聞いたところ、この時、

 

「あ、この人に任せてたらやべぇんだな。俺がしっかりしないとだめだわ。」

 

 

 

と思ったそうです(笑)

 

 

 

 

 

 

 

私はもっと自分ができると思ってました。

 

だから、ガストンにも、

 

「私が大黒柱になるから!安心してゆっくり休んでてね。」

 

 

と言って、

 

 

「俺、主夫が向いてるな~

こうして植物の世話して気ままな今が天国だわ~

はははは」

 

 

 

 

 

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調子のいい時は家事をしてくれたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな夢見る暮らしをするうちに、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

お金は尽きました(笑)←笑い事じゃない

 

 

 

 

 

 

 

 

お金がなくなったら速攻ガストンが仕事を見つけてきました。

 

 

そしてすぐに自分の調子が悪くなってきたことを察知し、

10日と経たずに仕事を辞めてきました。

 

 

 

 

 

 

ブラボー!!!

 

 

そうやって、生きていこうよ。

大丈夫、大丈夫。

 

 

 

本心からそう思った。

 

 

 

 

 

 

そして、おしりに火がつくとはこのことか。

 

私はこの時やっと、迷わず派遣会社に電話し、そして速攻で仕事が決まりました。

 

 

 

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好きなことを好きなまま続けるために、生活を成り立たせるのがまずは優先事項。

 

シンプルにそれだけ。

 

派遣に戻っても前とは違い、心に余裕のある状態。

 

 

 

 

 

一周回って、またニ馬力。

 

二周目のそれは、

不安からのプレッシャーも、

世間の水準と比べて感じる引け目からも解放されていて楽でした。

 

 

 

 

 

 

 

途中、収入が追い付かなくなり、

 

 

年金の支払いを待ってもらったり、

 

保険証ない時期が出てしまったり、

(そんな時に限って子どもの緊急事態が起こるし)

 

 

そんな時には暴れ出すのは、

 

 

 

 

 

 

 

 

バカじゃないの!?

人様に迷惑かけて生きて恥ずかしくないの?

 

 

 

という、昔の自分の冷たい目線。

 

 

だけど、

 

 

ははは。

私って案外、そんな感じだったみたい。

もっとできると思ってたんだけど…こりゃお恥ずかしい。

 

 

 

 

そう思うと、

 

 

 

そんな自分を生かしてくれてるこの世界に愛しか感じなくなっていました。

 

世間体とかも気にならなくなってた。

 

 

 

 

 

 

もう、この日本には感謝だらけ。

 

 

 

その連鎖につれてこられて、今に至ります。

 

 

 

 

今やガストンは、

 

「俺の時代がきたな。」

 

が口癖なほどに、自分にとって都合のよい仕事が次々舞い込み、

 

バリバリと働いてくれています。

 

そしてまた危機がきたとしても、乗り越えるだけなので。

 

今を笑って暮らすだけです。

*************************************

 

 

 

 

 

 

 

私にとって、

 

心から望んでた日常

 

というのは、

心穏やかに家族と過ごせること。

 

 

 

 

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鬱がやってくる前は、

 

 

将来の不安を解消できるほどの貯蓄、

ボーナスも有給もある安定した仕事、

 

 

これがあってこそ余裕ができて、夫婦喧嘩もなく、

不安のない穏やかな日常が叶うと思ってた私だったけど、

 

 

 

 

 

 

 

まさか、

すべての備えがなくなっていき、ギリギリになってやっと動く。

そんな状態になってみたら叶いはじめるとは。

 

 

 

 

 

 

心から望んでた、

心穏やかに家族と過ごせる日常

 

 

 

っていうのは、

なんにも心配がないってこととはまた違くて、

 

 

 

 

 

心配でも不安があっても大丈夫。

 

 

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そう思えるものでした。

 

 

 

 

 

 

鬱のような症状は、おひとりおひとり程度も違うと思いますし、

なにより本人、そしてご家族の個性や関係性、感じ方も違ければ、

望むものも違う。

 

 


 

 

 

 

 

私はかなりギャンブラータイプだと思いますし、

夫ガストンも荒療治で辛かったと言ってます。

↑これもまた個性です。

 

 

 

 

 

でも、だからこんなに早く(3年程)抜け出せたんだろうな。

究極の自己中をやってたんもんなぁ。

 

とも言ってました。

 

 

 

 

 

 

このあたりは本当に、ケースバイケース。

同じ行動が善きに働くことがあれば、その逆もある。

 

 

 

紙一重なこともあるので、これが良かったなど一概に言えない。

 

なんの参考にもならないかも知れないのですが。

 

 

 

 

 

とは言え、

私のこの体験を聞きたいとおっしゃるお客様がいらしたり、

聞いただけで、心が楽になったとおっしゃる方も。

 

 

 

 

ネットやお医者さんのお話意外にも、

ひとつのパターンとしてこんなのがあるよーってことで、

 

 

 

ご家族の方が少しでも楽になることがあればと思い、書いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

どんな状態でも、その時々の自分の心に耳を澄ませ、

できることは行動していく(なにもしないことも行動)

 

 

 

その連続で、理想の生活に流れ着いていました。

 

 

 

どんなことをしていたか、簡単にまとめてみます。

 

 

①鬱を改善させようとしなかった
②鬱を理解することを諦めた(分かり得ないものだと思い知る)
自分を優先させながら一緒にいると決めた(夫の状態に依存しない)
④気持ちのまま泣けたことがあったのが良かった(自分も傷ついてるし辛いと知った)
⑤できる限り家族みんなが我慢のないラインを探りながらの生活(トライ&エラー)
⑥感情を爆発させたこともあったが、そこではじめて腹を割って話ができた
⑦気を遣いすぎず、素直な気持ちを伝えるようにした
⑧怖い、不安、自分本位、それも自分だと私自身が許した
⑨夫の社会復帰後、逃げてもOK、自分優先ならオールOKとしていった
⑩かつての自分に嫌われるような自分になっても生きられる今に感謝が湧いてきて、

安心感が育っていった



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~発症間もなくの頃~
目先の生活の不安解消より、目先の夫の心の平穏を優先。

・将来を良くしようとすることを諦めた。

・夫のそばにはいるけど、鬱を治そうとはしないと決めた。

・どんな状況にあっても、何かのせいにせず、
すべて自分で選んで決めていく修行と思うことにした。
(夫のため、夫のため、と夫を主役にして実は夫に依存していたことに気づいたから)

 

 

 

~夫に鬱症状がある中での生活~

・鬱の情報を知るほど私がもたなくなりそうなので、
情報は入れずに、目の前の夫と付き合うのだと決めた。
・その結果、最悪の状態が起こっても自分を責めないと決めた。
・今だけを見て、過去の自分と逆の選択を取り続けた。
(未来の不安から行動しない、巷の情報に囚われない)



~夫の鬱に私の限界がきてからのこと~
・子どもの健気な様子が悲しすぎてついに、私が爆発。
夫ガストンを責め立てたことに自己嫌悪を抱き自暴自棄になったことで、
お互いの本心をさらけ出しあう流れとなる。
・腹を割って話し、どうなっちゃうのか怖い。そんなお互いの気持ちを共有。
・私自身が、理屈の通らないような本音をさらけ出せるようになる。
・夫、社会復帰→精神を病む前に辞めるを繰り返す→それでよし!とする。
・不安があっても大丈夫な状態になっていく
・今の気持ちに素直になることの連続で、気づけば心から望んだ日常が手の中にあった。

 

 

 

 

 

鬱と言われる症状が辛いのは、もちろん本人です。

そのしんどさは、はかり知れません。

 

 

生きていくこと自体、日常のひとつひとつが、

本当に本当に大変にハードルの高いものになり、

その辛さが膨らんでいく様子は、コントロールしようもないもの。

 

 

 

 

 

 

そうは言っても、

一緒にいる私たち家族にも相当な影響がありました。

本人も辛い、でも、家族も辛いんです。

 

 

自分優先と言いつつ、どこか気を張ってしまうものだけど、

やはり自分を大切にしてこそ、見守ることができる。

 

 

 

 

 

当時の私にひとつ、あれば良かったなと思うことは、

 

 

 

誰かに話すこと

 

 

 

話すことに抵抗があり、

話すことで逆に辛くなりそうで、

 

本当に家族という閉ざされた中で抱え込んでいました。

自己開示できる状態にはなかったというのもありますが…

 

 

 

でも、

一緒にいるだけで溜まっていくものがあって、

それを気軽に逃がす場っていうのがあったら良かったなと思います。

 

 

 

 

 

私はたまたま、

自分が大爆発したことで好転していきましたが、できればない方がいいです。

あの時は、一家心中するイメージを具体的にしてしまっていました。

本当は、そんなことになりたくはないはずなんです。

 

 

 

 

【自分の話】を自分も聴いてあげられる機会って大切。

 

 

 

なので、ご家族の方も、

 

まずは自分を大切に。自分に優しく。

自分の状態を整える以上に大切なことってないと、

 

 

今、本当にそう思いますし、

そこを叶えてくれる選択肢も今の世の中、

少し手を伸ばせばたくさんあると感じています。

 

 

 

 

 

私自身も、

 

今の自分を見てあげること。知ってあげること。

 

ここを大事にしていただけるような対話を心がけています。

 

 

 

 

 

 

そうしていれば、時が来れば自然と動き出すので。

 

 

 

 

自分に優しく。

みんなが、これができたら最高ですね♡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【鬱を発症した夫との生活】例えいま、辛い現実だとしても、必ず望む日常が叶うって話!

 

お読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

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