グラスリッツェンマイスターへの道② 日本のグラスリッツェン | 針1本からはじめられる やさしい手彫りガラス工芸/ヨーロッパ貴族に愛された大人クラフト グラスリッツェン教室 千葉・船橋・流山・青山

針1本からはじめられる やさしい手彫りガラス工芸/ヨーロッパ貴族に愛された大人クラフト グラスリッツェン教室 千葉・船橋・流山・青山

かつてヨーロッパ貴族の間で愛された、グラスリッツェン。
熱も・機械もつかわない♪
食卓で出来る、ちょっと素敵な大人クラフトです。
完成した作品は世界にひとつのオリジナル、プレゼントにも喜ばれます。

グラスリッツェン工房Sorriso(ソリッソ),木下浩子です。

 

 

千葉県佐倉市で、

手彫りガラスでゆったり時間を過ごして頂く教室と

グラスに名前やお好みの模様を彫る

オーダーメイドの制作をしております。

 

 

昨日から始まりました、

「グラスリッツェンマイスターへの道」

今日は日本でのグラスリッツェンの歴史です。

 

 

その前に・・・

当時は柘榴石やダイヤモンドの小片を

棒の先につけたような道具で彫っていました。

 

ですので、

「ダイヤモンドポイント彫り」

と呼ばれていました。

 

 

日本に伝えられたのは江戸時代

ヨーロッパで流行した

ダイヤモンドポイント彫りの技法は、

日本にも伝えられました。

 

 

ダイヤモンドの事を

ポルトガル語でDiamante(ディアマンテ)

オランダ語ではDiamant(ディアマント)

と言いますが

 

ディアマン ⇒ ギアマン ⇒ ぎやまん

と、いつの間にか変化ます。

 

 

ぎやまん彫り

江戸時代の中頃には、輸入された美しい

ダイヤモンドポイント彫りの器を

「ぎやまん彫り」などと言って珍重していました。

 

次第に省略されて、

「ぎやまん」というだけで

上質なガラス器のことを指すようになります。

 

 

ヨーロッパ伝来の「ぎやまん彫り」をまねて、

和製のぎやまん彫りも制作されました。

 

サントリー美術館
ギヤマン彫りタンポポに蝶文脚付杯

 

(画像は美術館コレクションデータベースよりお借りしました)

 

 

江戸時代、ガラスは珍重されていました。

手工芸的な工房で作られ、ぎやまん彫りの器も

ごく一部の人の手にしか入らなかったことでしょう。

 

明治になると、一気に海外からの輸入品が入り、

日本のガラスの製法も工業化されます。

 

そうして「ぎやまん彫り」も忘れられて行きます。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

ここから先、近代は

私がグラスリッツェンを習い始めてから

師のいとうえりこ先生に伺ったことです。

 

繁栄と衰退を繰り返したグラスリッツェンですが

 

1930年代にスイスでダイヤモンド針が改良され

現在の物に近いものになります。

 

 

それにより

一般の人にも制作がしやすくなり、

日本にも道具が入ってきます。

 

 

私が習い始めた20数年前は

教室もかなりの人数でした。

 

 

今は落ち着いていますが、

こういった波のあるものは

再びブームがくることでしょう。

 

 

 

 

どうやって彫るの?

ヨーロッパ貴族が愛したガラスクラフト

グラスリッツェンの基本がまるわかり

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2019.8.14 作品集 「グラスリッツェンの世界」出版いたしました。

書店・Amazon・楽天ブックス等でお求めになれます。

 

地元のケーブルテレビで、

グラスリッツェンを紹介して頂きました。

よろしければご覧ください♪ ⇒ https://youtu.be/s_NCQsYixU0

(番組始まって7分後くらいに出てきます)


 

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