想定外にもほどかある!というか…
始まった頃に、今楽しんでいるドラマ二選ということで、ブログに「おじさんのパンツがなんだっていいじゃないか」を書いて長くなり、
「不適切…」はまた今度、と先延ばしにしたところ、
一郎も純子も2024年には居ないって、しかも阪神淡路のあの震災で…
胸がざわざわ ぎゅー。。。
それまでノーテンキに浸りきって、
"昭和あるある"と"令和ってこうだもんなあ"
の対比にクスクスにやにや、
ときに刺さりまくって、ときにガハハってなっていたもんだから、
こんな方向に行くのかと思うと
感想なんて、うかつに書けないです。
これは最後まで見届けてからでないと…
何をどう書いていいのやら状態になってしまいました。
初回の炙りシメサバ200個は単純に面白おかしくて、これからどんなボケをかましてくれるのか、ワクワクしかなかったというのに、やっぱりクドカン侮れませんね。
渚と一郎が血縁関係にあるというのは、タイムパラドックス御法度からのあのビリビリで何となく予想つき、そしたら最初に渚の口から母親は震災で亡くなってると語られていたことから、純子もしかして、とは思ったけど…
一郎さんまでもだったんだ…
古田新太が出てきた回からちょっと頭が追いつかなくなりそうでした。
明らかに年上に見えるくたびれたおっさんに阿部サダヲを"お父さん"呼びさせるなんて、ちょっとやりすぎ、となりかけたのが、
なになに?どういうこと?
私の気持ちまで炙られたのか、締まったり緩んだりと一筋縄ではいかなくなり、それはつまり、ドラマに奥行きや幅が出てきたからということでもあり、毎週金曜日の夜をそれまで以上に楽しみに待つようになったのです。
毎回サブタイトルの描く中身は昭和・平成・令和の波に揉まれてきたこの身にはドツボで、いちいち頷きながら録画したのを即再生視聴するドラマは久しぶりです。
最初、かなりの人たちにミュージカルは不評のようでしたが、斬新な味付けで、"ミュージカルはちょっと…"という私の口にも初回から合いました。
歌ってることはもっともすぎて、これを台詞で喋らせると説教くさくなりかねないし、尺の都合もあるでしょう。それが朗々とカメラ目線で歌われると、つい見入り聞き入り、となり
どの回も元歌みたいなものが見え隠れして上手いなぁと感心してました。
上手いと言えば、皆さん歌がお上手なのにもびっくり。それで更に画面に釘付けです。
サカエさんのルッキズムの歌、坂東英二を引っ張り出してくる突拍子の無さは大いに受けました。
吉田羊、こういったコメディ路線での破壊力は意外というか特筆ものですね。
このキャストたちだからこその味が絶妙で、
ムッチ先輩の磯村勇斗は、私は「東京の雪男」でも好感持ってましたが、これ見てて何気にすごい役者なんじゃないの?と思ったくらいです。
そしたら日本アカデミー賞で助演男優賞を取って、買いかぶりではなかったと確信しました。
磯村くんのお腹がぽっこりで、そこも良かったというか
もちろん純子役の河合優実さんも。
他の作品を見たことなかったのですが、いろんな色に染まれる逸材なのではと感じました。昭和のヤンキー女子高生も板についていたし、令和の今風女子も様になってました。父親を想う真っ直ぐなんだか屈折してるんだか分からない気持ちも何だか泣けるし。
岡田将生くんとの"牢屋の休日"は、えーっ!てなもんでしたが、
どの姿にも本来のおっとりした優しさであったり、物事をきちんと見る目を感じさせて、とても魅力的な存在感がありました。
それだけに、あの神戸の夜の後ろ姿。一郎さんと並んで歩く後ろ姿には胸が締め付けられたし、また最後まで何も知らないまま、年上の渚に人間関係のアドバイスを慈愛に満ちた口調で伝える場面では、渚と同じく目がウルウルになってしまいました。
思わず「なぎさ」って呼び捨てにして、こりゃ渚にしたら堪らん、ですよね。
キヨシも良かった。この子のフラットさ見てると昭和でも令和でもなく、普遍的で人に圧なんてかけない好い子だなぁという感じ。どう30年後に繋がっていくのでしょうね。
毎回のゲストも良かったけど、錦戸亮くんを久しぶりに見られたのが個人的には嬉しかったですね。
ムッチ先輩が彦摩呂に変貌は何となく分からなくもないけど、
錦戸くん→古田新太というのはちと強引すぎやろと呆れつつも、それでも段々違和感なくなっていって、最後に再登場してくれて、
オールスターによるミュージカル「寛容」は締めに相応しい傑作でした。
ちょっとだけ寛容に!
誰もがちょっと意識することが大事なんだと柔らかく諭された気分です。
キョンキョンも嬉しいサプライズでしたよね。
ポスターが重要な小道具ということなら、いつか本人ご登場になるかも、と期待はしてたけど
「あまちゃん」や「監獄のお姫さま」でクドカン作品に馴染みもあったので最終回にも出て歌ってくれたらと欲張りなこと考えたりしましたが、さすがにそれはなかったか
「キョンキョンだけど、キョンキョンじゃない」のリフレイン、失礼にもほどがある!のに笑えました。
このドラマは小川一郎が阿部サダヲだったから突き抜けられたようにも思えます。この人は存在自体が既に特異だし、
そんな人だから、ちゃんと常識を持ち合わせた社会生活送れるのに、斜め上からぶちかましてくる痛快さが半端ないとなるのかな、と。
後半はその面白さに可笑しみや哀しみが滲むようになって、
1995年までの寿命と分かってから、どう最後に締めるのか、ネットでもあれこれ考察されていて、私も気になっていました。クドカンだし…
でも脚本家の回で「伏線は回収しなきゃダメですか?」とやっていたので、大袈裟に扱うことはしないだろうと予想してて
純子は最後まで渚は自分の娘だと知らずに1986年を生きていました。渚の心中を察すると辛いものがありますが、
タイムワープでもしない限り、本来私たちは過去を知ることはできても未来を知ることはできないのだから、誠実な選択をしたのだと思います。
ひとり未来を知ってしまった一郎さんですが、
それはある意味いつ死ぬかわからずに、明日があると当たり前のように時間を浪費するより、もっと今を大切にした生き方ができるかもしれないということでしょうか。
クドカンの死生観がどういうものか断言できませんが、ドラマ見てると共感できます。"メメントモリ"を感じます。死を登場させても、湿っぽくならない。不適切や不謹慎が切実な意味を帯びたりする。
「俺の家の話」は最後の大どんでん返しだったけど、あれも良かったです。
人間みないつかどこかで死ぬんだし…
別れは辛いけど、生き続けていくということはそれだけ大切な誰かを見送るということも重ねていくわけで、それまでできるだけ楽しい関わりを記憶に刻んでいけたらいいですね。
"寛容"をキーワードに。
昭和がいい、令和がいいといった二極論ではなく、時代は、社会は、変わっていくし、それに合わせて人も変わっていくというものです。いいか悪いかは別にして。それでも変わらない部分というのも確かにあって、それが厄介というか愛おしいというか、あくせくしながらいつの時代も生きづらい社会を生きていくしかないんでしょうね、市井の人である私たちは。
でもだからこそ、そこには付かず離れずでも励ましになるような誰かがいてくれたらいいなぁ、と思います。運命は変えられなくても。
お断りのテロップがしょっちゅう流れるのも皮肉が利いてて、最後の最後のテロップもクドカンのセンス炸裂でニンマリしました。
よく面白かったのに最終回はなんだかなぁ、となるドラマも多い中、
トイレの穴から好きな時代に行けるって終わり方最高じゃないですか。
一郎さんはどこにいくのでしょうね。またどっかにひょん、と現れて愛すべきドラマの続きを見せてほしいと思う反面、見事な着地を大事にしたいなとも思います。
笑って、泣いて、考えさせられたドラマでした。
脚本にばかり目がいってましたが、演出も腕のある人なのではと思い調べてみたら、何人か名前を連ねてて、筆頭の金子文紀さんは、クドカンのファミリーというか、ツボを心得た方なんだと分かりました。かなりの作品を監督してるし、「カルテット」や「逃げ恥」もなんですね。
納得です。
終わってしまって寂しいです。
「みんなの感想」が無くなったのと合わせて、
ちょっとロスになりそうです。
でもまた次の新しいドラマを期待することにして
ありがとうございました😊