私は兵庫県在住で、この春は仕事で赤穂まで片道1時間以上かけて自動車通勤してました。
最終日は夕方出勤でいいとなったので、ちょっと昼間に観光めいたことをしようと思い立ちました。
赤穂といえば、塩 (ご存知ですか?)
そして「時は元禄〜」で始まる『忠臣蔵』が有名かと思います。
「殿中でござる」というセリフや、討ち入りの場面、主たる人物たちの名前くらいは知ってますが、私はこれまで映画化やドラマ化されている『忠臣蔵』をちゃんと見たことありません。
そんな柄でもなかったのです。
ネットで検索したところ大石内蔵助はじめ、赤穂四十七士を祀る大石神社は勤務先から近く、赤穂城のすぐそばだと分かり、お城は跡しか残っていなかったので、とりあえず今回は神社に行くことにしました。柄でもないのですが…
周りには高い建物もなくて見晴らしも良いというか、どこか荒涼とした雰囲気すら感じます。海の近くというのもあるのでしょうか
この大石神社は義士を祀るために明治になってから建立されたということで、御祭神もこの義士たちだそうです。そんな成り立ちも初めて知り、如何に彼らの存在が当時の人々の心を打ったのかと思いを馳せることになりました。ご利益は本懐を果たせたことから大願成就とのことです。
まず、参道脇に四十七士の石像が建っていて、名前の下に奉納者の名前も刻まれていたのですが、同じ苗字の像がいくつもあって、もしかしてと通りがかりのご神職に尋ねると、それはご子孫によるものだと教えてもらいました。なんだか妙な感動が…
門の両脇には大石内蔵助と大石主税の像が建っています。内蔵助像の台座には十一代目後裔の方の名前があり、一気に歴史の1ページが現実のものだったと体感されることになりました。
平日の午後ということもあり、参詣者はまばらでした。
本殿にお詣りしたあと、横にある"一文字流し"というのが目に留まりました。
消したいことを漢字一字で書き表し、石造の水盤に乗せると、紙が水に溶けて、文字も消えるという趣向です。面白そうで、私もやってみました。
一枚だけかと思ったら、何枚でも好きなだけと言われたので、1枚200円のを2枚求め、
それぞれに「貧」「災」と書き、流しました。
願う気持ちが大切なんだということで…
境内には義士たちの遺品が展示されている史料館もあり、大石邸長屋門・庭園含め、500円で全部観覧できるようになっていました。
せっかくなので拝観することに。
17:00に閉門とのことで、残り時間は約1時間ほどでしたが、余裕だろうと最初の義士宝物殿に入りました。
入ってすぐの正面に内蔵助の愛刀がありました。
刀のことはよく分かりませんが長いのと短いのとが2本、鈍く光ってました。
これって真剣…ということは…
ここでけっこう引き寄せられてしまい、パッと見、5分ほどで回れるスペースと思いきや、順路に沿って見ていくと、
討ち入りのときに用いたという行燈とか、血痕の残る誰かの着衣、内蔵助の采配、槍や刀刃、甲冑、矢筒、盃、書状など、歴史の証人ともいえる品々が発する思念みたいなものに圧倒されて、隣の別館と合わせて、30分はゆうに超えてしまいました。
正倉院展に初めて行ったときに感じた歴史のロマンとはまた違った、もっと生々しいものが立ち昇ってきて、想像力も掻き立てられました。
後から入ってきた人たちはカシャカシャやってましたが、私は何というか念みたいなものを感じて写真撮ることできませんでした。
お家再興か仇討ちかに揺れる胸の内を吐露しているような内蔵助による墨跡の濃淡など、ほんと胸に迫るものがあります。
そのあと、四十七士の木像が収められている奉安殿に入りましたが、ここにもリアルがいっぱいでした。みんな言うまでもなく実在していた人ばかりです。
一人一人のエピソードを元に、できるだけ往時を偲ばせる姿を著名な作家に製作してもらったそうです。それだけに大きさもポーズも、身につけているものも様々で、
なんと忠義か孝行かの板挟みで自ら命を絶ってしまった若い家臣がザンバラ髪の険しい顔で最後に混じっていて、一瞬ギョッとなりました。
名を茅野重実、享年28
なんとも痛ましい…
天下泰平の世になって久しかったとはいえ、武士の志って凄まじいものなんだと改めて思いました。
ここでもやっぱり写真なんて撮ることできず、見るだけに留めて建物横に出ると、そこには庭園と長屋門がありました。
300年ほど前、事件の一報を伝えるべく早駕籠が江戸から4日ほどでその門を潜ったとありました。
門扉は閉じられていて木の部分はもうかなり朽ちていて、城の門でもない限り高さってこんなもんなのかと驚くほど低かったです。
ぐるりの白壁といい、全体的にうらぶれた感じで、庭ももう少し手入れしてあげてほしいなぁ、と思わずにはいられませんでした。
事件がなければ内蔵助はやがて隠居の身となり、この庭を眺め愛でたであろうに、桂離宮や足立美術館ばりに庭師の手業は求めませんが、少なくとも歴史に名を残す人物の邸宅跡として、もうちょっと頑張ってもらいたいと正直思ってしまいました。
庭のど真ん中に佇む御神木のクスノキは樹齢300年以上とかで、エライ迫力でした。それこそ物言わぬ歴史の生き証人ですね。
どれだけの人が訪れているのか分かりませんが、維持運営も大変なのかもしれません。
最近の若い人たちは「忠臣蔵?何それ?」てなもんでしょうし、今時の人権思想からすると美談どころかこんな社畜もどき、ありえねーとなるかもしれません。
そうですよね…
そもそも主君の浅野内匠頭がご乱心あそばさなければ、こんな事件にも発展しなかったわけで、家来たちも本心では「何やらかしてくれてるねん、我が殿は…」だったかもしれません。
それでも武士とあらば、と義に動いたわけです。
それも47人も。その経緯にもすごいドラマがあるわけで
吉良上野介の首を掲げて泉岳寺目指して両国橋だかを渡る模型がありましたが、吉良側には十人以上の死者が出たのに対して赤穂方に命を落とす者はひとりもいなかったというのも、用意周到な奇襲だったとはいえ、気合い勝ちのようにも思えます。
人形の顔がみんな誇らしげに見えたのに、胸が熱くなりました。待っているのは切腹だけど…
新たに発見されて日の目を見る史料もあったりするようで、それは地方の地域限定で事件にまつわるものが子孫に代々受け継がれていたりするからでしょうか。とにかく歴史探訪を積極的にしてこなかった自分には、モノクロが一気にカラーになるようなとても面白い経験となりました。
そんなわけで、
けっこう近場の有名事件でありながら、その詳細をほとんど知らなかった史実をほんの少し掘り下げることができた今回、つくづく歴史というものは一人一人の人間を抱き抱えて一本の本流としてうねっていくんだなぁ、と実感した次第です。
桜が満開を迎えていたらそちらに気を取られていたのでしょうが、今年は遅くて、そのおかげとも言えます。
宝物殿には役者の写真も飾られていて、おそらくこれまでに映画やドラマで大石内蔵助を演じた方々かと思います。手を合わせている高倉健さんの写真が一際目を引きました。
今時は流行らぬコンテンツかもしれませんが、せっかくだから誰かの「忠臣蔵」を見るのもアリですね。思いもよらぬほど感涙に咽ぶことになるやもしれません。笑
ありがとうございました😊