ひきつづき、クラウドファンディングの話。
(これは子どもが不登校になる前の話なのだけど、このときの経験が、子どもが不登校になってからの自分の行動に大きく影響していると感じるので、書いています。)
プロジェクト開始前から、わたしがひそかに決めていたことがあった。
Readyforでは、「プロジェクト概要」というページは実行者が自由に編集することはできず、編集したい場合にはReadyforの担当者にお願いする必要があった。
一方、「新着情報」というページは、実行者が自由に書くことができる。
わたしはその「新着情報」を利用して、保育園の素晴らしさをみんなに伝えようと考えた。
そして、その「新着情報」は、プロジェクト期間の90日間毎日更新しようと心に決めていた。
「お百度参り」みたいな感じで、それをすれば願いが叶うような気がしたのだ。笑
目標金額が集まらなかったときは、90日間毎日更新した「新着情報」を印刷して、市長に届けようとも考えていた。
「こんなにがんばっても達成できないくらい、たいへんな金額なんですよ」と訴えるつもりだった。
そんな『願掛け』と『策略』で、わたしは「新着情報」を毎日更新すると決めたのだった。
とはいえ、これがなかなかたいへんな作業だった。
わたし自身が実行者だったら、もうすこし気兼ねなく書けるのだけど、あくまで「保育園」という立場で発信する必要があるので、下手なことは書けない、あまり世間を刺激するようなことも書けない、そんなプレッシャーの中、毎日更新していた。
わたしは、そのころは、まだ人に「助けてほしい」と言えない性格だったので、ひとりでこっそり続ける気でいたのだが、5日くらい続けたところで、園長先生が「おかあさん、あれをひとりでやるのはたいへんです。わたしや職員も書きましょう。」と言ってくださった。
いつも『神』のようだと思う園長先生だが、やはりこのときも『神』だった。
「保護者のみなさんにお願いしてみちゃうのもいいかもしれませんね」とポロっとわたしが言ったら、「それはいいですね!」とすぐに保護者への声がけもはじめてくれた。
そこからは、日々寄せられる原稿データを、保育園の子どもたちの写真とともにアップするのが、わたしの役目となった。
それでもかなりたいへんな作業だったので、「新着情報」を毎日自分で考えて更新し続けていたら、途中で挫折していただろうなあと思う。
プロジェクトページの新着情報をアップしたら、すぐに自分のFacebookでもシェアした。
自分のFacebookでシェアするときには、自分自身の本音も添えて投稿した。
クラウドファンディングは、お金での支援を求める活動なので、ときに気が滅入ることもある。
まるで自分が「お金ちょうだい。お金ちょうだい」と世間様に言っているような気がして。。。
(事実、そのとおりなんだけどね。。。)
プロジェクトページを自分のFacebookでシェアすることすら気が重くなりできない、という保護者の方もたくさんいた。
クラウドファンディング・プロジェクトを実行したことがある人は、この気持ちをわかってくださると思う。
何度もへこたれそうになりつつも、当時のわたしは保育園を背負って立つくらいの意気込みだったので、とにかく歯を食いしばってがんばっていた。
地道な活動を続けるうちに、すこしずつ、すこしずつ、わたしたちの思いを受け取ってくださる方々が増えていった。
(次回へつづく)