メールセミナー「不登校は生きる力に変わる」Part3 10.「『見守ること』と『見放す』」こと | 不登校生のママのためのカウンセリング~「責めない」方法で、不登校を「力」に変える

不登校生のママのためのカウンセリング~「責めない」方法で、不登校を「力」に変える

不登校生のママを経験したカウンセラー 喜多 りえ です。
ママのための、不登校生のママだった経験者による、カウンセリングです。

よく、不登校の子を見守りましょうっていいますよね。


見守るってどういうことでしょうか?


見守るって、何にもしないで、ただ、見ていることでしょうか?


それって、見放すことになるようにも思います。


「見守る」と「見放す」って、似ているようで、違います。


「見守る」も「見放す」も、対処している行動は、さほど変わりまはありません。


子どもに任せてみる。


自分で責任をとるということ。


そういうことで言えば、違いはありません。


どこまでは、黙っていて、どこまでは助けるか、そういったことも、気になるところです。


でも、助けたほうがいい場合もあるし、手を出さないほうがいい場合も、ある。


まどろっこしい言い方ですが、ケースバイケースです。


正しい答えや正解はないのです。


でも、なにが、子どもにとって違うのか?


「見放す」っていう行動には、こんな気持ちが隠れていそうです。


「もう、あんた、一体どうすんの。

お母さんは、こんなにも、こんなにも、こんなにも、しているのに。

もう、いい加減にしなさい。

もう、知らないからね。

勝手にしなさい!!!」


そんな声が聞こえてきそうです。


「見守る」っていう行動の裏には、そんな気持ちはないように思います。


自分の気持ちが整理がついているような感じがしますね。


「見放す」の奥には、ママ自身の怒りや悲しみが見え隠れします。


見放す気持ちの奥には、どんなことがありそうですか?

こんなにも、こんなにも、こんなにも、あなたのために、お母さん頑張っているのに、あなたのこと心配しているのに。。」


そんな気持ちがありますね。


そこには、子どもへの「愛」があるのは、間違いないです。



そして、もうひとつ、ママ自身の「こころの傷」が隠れているかもしれません。


子どもが学校に行かないっていうことで、ママのココロの傷がね、うずきだしているのかもしれません。


旦那さんとの関係だったり、お母さん、もしくは、義理のお母さんの関係だったり、また、ママ自身の小さい時に受けた心の傷だったり、その傷の要因は、人それぞれです。


私の場合は、いろいろありますが、主人との関係が大きかったかな。


主人は、感情を爆発させることが多かったので、長男が学校に行かないことで、家の中は嵐のようでした。


それが、とても、怖かったのね。


その、怖さを感じたくなくて、「長男の不登校」を解決したいと思った。


長男の問題なのに、もはや、自分の問題を解決するために、長男をコントールしよう、そう思っていたの。


そこに、気が付くことができた時、私の問題は、私が解決するのであって、長男の問題解決と一緒にしてはいけない。


そう、感じました。


そうして、「見守る」ことができはじめました。


子どもってね。


無意識に、ママ自身の心の傷を癒そうしているの。


ママが大好きだから。


行動は、真逆だったりするけどね。


ママの心の傷を、ぐいぐいってえぐってくるけどね。


あなたのココロの傷は、あなた自身で癒すことができるのできます。


言い換えると、「あなた」しか癒すことができないの。


あなたが気づいて、癒すのです。


とはいえ「見守る」って、難しいことですよね~。


私も、まだまだ、その途中です。



一緒に、子どもたちを、見守っていきましょうね。