天上天下唯我独尊。
休日をいかがお過ごしですか?中には4連休の方もいらっしゃるのでしょうか?でもボクは365連休 × 生きている「年」です。 さて、昨日の問い、「私は一体何のために生まれてきたかの?」に対するあなたの解はいかがなものでしょうか? あなたの人生は、ただあなたひとりでしか生きることができない。それゆえ、その問いに対する他者の解をたくさん学んでも、それは単なる参考解にしか過ぎず、あなたは自分の力で、あなた独自の解を見つける必要があります。それが、あなたの人生を「善く生きる」ということであり、「天上天下唯我独尊」ということにつながるのではないでしょうか? 問いに対する私の解は、次の3つです。 1.哲学するために、生まれてきた。 2.愛し、愛されるために、生まれてきた。 3.恩返しするために、生まれてきた。というものです。 哲学と愛の定義はこれまで何度も書いてきたので省略するとして、3.の恩返しだけを少し書くと、恩返しする対象は、これまで、現在も、これからも恩を受ける方々には、肉体を脱ぎ捨てるまでに、あるいは脱ぎ捨てた後も必ず受けた恩を返したいと強く決意し生きる、それが私の生きる意味、すなわち、生まれてきた理由だと思っています。 哲学の世界では、「私」とは、「そこから世界が開けていく唯一無二の地点」であり、哲学は常に「私から出発」しますが、宗教では、「私から離れることから」始まる営為だと私は思っています。 ゆえに、哲学をし尽くした後に、自他不二、宇宙、自然、神、仏などと「合一」した場合、冒頭の問いは消失していることでしょう。なぜなら問う当事者の「私」が消え去っているのですから。 しかし、生きている間に誰もが「合一」することは困難でしょうから、依然「私」は残っており、それゆえ「私」から発する問い(私は一体何のために生まれてきたかの?)の有効性は消え去ることはないでしょう。その問いの解を必死に得よう、得た解を必死に具現化しようとすることが、あなたの、ボクの生まれてきた理由かもしれません。