徳島工業短期大学にて、「K-CARミーティング」が開催された。日頃親しくしてもらっている元木さん(旧車収集家)が出展するというので、先日のスーパーカー・フェスティバルに続いて、またしても同行させてもらった。
K-CARミーティングin徳島工業
↑カスタムされたK-CARたち。パーツの即売会なども行われていた。
↑大学所有の初代ミニカ(右)とスズキ・マイティボーイ(左)。
↑スバル・360(左)とダイハツ・フェロー(右)
↑ホンダ・LN360(左)と元木さん所有のホープスター・SY(右)
↑ダイハツ・フェロー(手前)とフェロー・トラック(奥)
ホープスターの大らかさ
音と匂いは、芝刈り機やオートバイのそれ。2ストローク・エンジンならではのものである。ホープスター・SYに関しては、ガソリンとオイルの混合比が15:1とかなりオイルが濃いようで、吐き出す白煙が凄い。このように排ガスに不安を抱える一方、2ストローク・エンジンは一般的な4ストロークと違ってピストン1回転につき爆発が1回、つまり爆発回数が2倍だからパワァが出やすい。だから800ccの2ストローク、フロンテ800は阿保みたいに速かったという。
↑フロンテ800。これでも2ストロークだ。
ところで、ホープスター・SYはあまり売れなかったようである。ヘッドライトのダイハツ印が示すように、当時、三輪トラック新興メーカァであったホープスターは、ダイハツや東洋工業(現:MAZDA)のように部品を自前できる力が無かった。結局他所から仕入れるとなると車両価格は高騰、ついには競争力を失ってしまい、ミゼットが大ブームする陰でひっそり消えたようである。
フェロートラックからも察するに、元木さんはかなりの珍車好きだ。なんといっても、NHK正月特番にダイハツ・ビーを駆って出演したくらいだ。ダイハツ・ビーなんていうと、珍車界隈では横尾忠則クラスのトップ・オブ・トップである。
そんな元木さんが師匠と慕う方に出会った。
"某"自動車雑誌のK林さんにそっくりな風貌で、則ち鼻筋の通った上品な紳士である。彼は根っからのクルマ趣味人のようで、私にポーシェ"カレラ"の由来やサイドバルブ・エンジンの仕組みについて、誰よりも丁寧に教えてくれた。元木さんが師と仰ぐくらいだから、きっとすごい人なのだろう。
それにしてもまさか、K-CARミーティングに来て戦時中の話を聞けるとは思ってもみなかった。徳島大空襲で赤く染まる空、B29の爆音、青竹で拵えた竹槍の話など、経験者だけあって真に迫るものがある。そこから後藤田正晴と田中角栄にまで話が及び、三木武夫のクリーン政治を総括した。元木さんも興が乗り、かつて吉野川べりで開催されたモトクロス大会の話をしてくれた。驚くことに若き日の星野一義も出場していたというこの大会で、元木さんは川の水を飲んだという。
理由は、のどが渇いたから。このとき元木さんは握り飯しか持ってなかったらしい。
昔は用水で洗濯なんかは当たり前で、聞いた話では、出店のおばさんが用水で洗い物、さらにたこ焼きの生地まで作っていたというから、吉野川の水くらいはお茶の子さいさいといったところか。コッペパンに蠅が混入なんてのはまだまだ可愛いのだ。
いやはや、K-CARミーティング、温故知新である。いくら何でも川の水を飲もうとまでは思わないが、こういう大らかさは昭和に置き去りにしてきたものであって、少し振り返ってみてもいいと思う。現代を生きる私たちに、最も欠けている要素だと思うからだ。
ホープスター・SYの2ストローク・エンジンにも、そんな昭和ならではの大らかさがある。だから私は好きなのだろう。