『旧車探訪』昔のマツダは凄かった | 損小神無恒の間違いだらけのMAZDA選び

損小神無恒の間違いだらけのMAZDA選び

巨匠、損小神無恒が走る白物家電を断罪する!

 

今の車ではスイッチが入らない

 

石井町の三輪トラック収集家、元木和豊さんの言葉である。元木さんは古い車を再生することにおいては右に出るものがいない(であろう)名人であり、さだまさしとキャッチボールしたことがあるという異色の経歴を持つ。元木さんは気さくないい人で、私の急な訪問にも快く応えてくれた。

 

↑元木和豊さんのご自宅。普通の住宅地の中に突如、昭和のクルマたちが現れる。

 
 
元木さんが自動車好きになったキッカケは、少年時代に見たダンプカーだそうだ。吉野川堤で出会ったそれはとてつもなく大きくて、気怠そうにハンドルを切る運ちゃんがまた格好良かった。 当時の徳島は馬車(といってもばんえい競馬みたいな馬)が歩いていて、自動車はというと、石井ー池田間のおよそ60kmですれ違ったのはたった2台。まだまだ戦後復興の中にあって、さしずめ異世界の怪物だったダンプカーは、元木少年の心を鷲掴みにした。それ以来、元木さんは自動車整備一筋ウン十年の道を突き進む。今、元木さんを虜にするのはとりわけ戦中、戦後のバタンコや三輪トラック。少年の頃の原風景だ。
 
 
 
↑ホープスター・SY型(左)とジャイアントのバタンコ(右)。
 
 
いったいバタンコや三輪トラックの魅力とは何なのか。
元木さんは今でも、バタンコを運転するときはとても緊張するのだそう。バタンコは動くのに必要な手順がとてつもなく多い。まずは①燃料と空気の混合比を右のレヴァーで調整しつつ、②点火タイミングを左手で調整し、③時折後ろを振り返って排気の色を確認しないといけない。そこまでしてやっとこさ出せたスピードが40㎞/hで、なおかつブレィキは効かないのが当たり前というのだから、もはや修行である。目をつぶってたって勝手に止まるのが現代のクルマだ。元木さんからすると現代のクルマは簡単すぎて、どうにもやる気スイッチが入らないらしい。
 
 
 

 

庶民を支えたMAZDA

↑マツダ・GLTB型と思われる車両。
 
↑マツダ・D1500。1.5リッターの直列4気筒に過ぎないが、迫力満点のエンジン音であった。
 
↑恐らく1t積のマツダ・クラフト。
 
↑マツダ・GA型あるいはGB型か。
 
↑材料不足が深刻な中、戦後の生産再開は素早かった。社員が汽車に乗って、九州までタイヤを仕入れに行った。
 
↑3つ並んだMマークはいったいどんな意味があるのだろう。
 
 
三輪全盛の昭和30年代、気を吐いたのがダイハツとMAZDA(当時:東洋工業)である。私はMAZDAの復興と成長を支えた三輪に出会えて感激した。三輪の魅力は機械的な洗練とは対極の魅力であるが、それを男らしいとか無骨という言葉ひとつで済ませるのは早計だと思う。三輪を見ると、親子の会話が無いとか、兄弟が疎遠だとか、そういうことがうそみたく思えてくるのである。貧しいは貧しいなりに幸せな時代だったのだろうなと、懐かしさと同時に少し寂しいような気持がした。
 
 
↑マツダ・K360、通称ケサブローとダイハツ・ミゼットの2ショット。惜しくも二人ともお眠中である。
 
↑ケサブローは見た目もそうだが、内装も華やか。当時からMAZDAはデザインが上手だった。
 
↑マツダ・T1500。最大級の三輪で、1970年代まで生産された。
 
↑こちらは再塗装されたT1500とホンダ・N360。改めてでかい。
 
↑T1500の内装。標語のステッカーが交通戦争時代を物語っている。
 
↑なんとT1500は排出ガス48年度規制を通過している。
 
 
 
実に素晴らしいクルマたちであった。しかし、元木さんは嘆いておられた。古いクルマに対してさらなる税金を課すとは何事か、と。十三年落ち以上のクルマは自動車税と重量税が上がってしまう。私だって今月、45400円の督促に難儀しているところなのだ。古いクルマに乗るというのはそんなに悪いことなのか。物持ちの良さはむしろ褒められてしかるべきだろうに。
 
 
 
↑ダイハツの三輪トラック。こちらはバー・ハンドルである。
 
↑こちらのダイハツは大阪城のエンブレム。なかなか貴重だという。
 
 

↑どうしても目に付くベントリィ。ドアを開けると、木の匂いがかぐわしくて、クルマが本当に生命を宿している感じがする。

 

 

 

 

損小神無恒、旧車に感動。

昔のクルマは本当に凄いものだ。これらの殆どが動態保存されているというのがまた凄い。その上、これら全ての面倒を一人でみているのだから、元木さんは秋の褒章に値する大人物だと痛感した。それなのに私はお昼のうどんまでご馳走になってしまって、お礼の申し上げようもない。とりわけマツダ・D1500のエンジンがかかった時には感動しました。たった1500ccとは信じられない轟音で、力強くて、頼りがいがあって、元木さんの大きくて頑丈そうな手そのもののようなエンジンでした。この時私は決めたのです。顔なら五代目圓楽、エンジンならD1500のOHV4気筒を目指してこれから生きていこうと。断捨離なるものが流行して久しいが、捨てない生き方というのもあっていい。黒門町の伝七が紫の十手を、め組の辰五郎親分が纏を、定年を迎えたからといって簡単に捨てていいわけがない。商用車を捨てた今のMAZDAにはよくよくこの記事を読んで、自らの過ちを反省していただきたいと思う。