第83回 「聖体の論議」対(つい)と視線 | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

今回は、「パルナッソス」「枢要徳」の記事をつくっていた際に、「聖体の論議」で新たに気づいたことについて補足します。

 

「枢要徳と対神徳」の由来は、「枢要徳」はプラトンによるもので、「対神徳」は新約聖書のパウロの手紙からのものでした。

 

パウロはイエスの死後に導かれた人物でして、イエスの生涯の記述がある4福音書には登場しません。

「使徒行伝」に登場し、ローマ人への手紙からピレモンへの手紙までの13書簡を書いたといわれています。

正直なところ、これまでパウロに関心が無かったのです。

「枢要徳と対神徳」にきて、パウロも「聖体の論議」にいたな~と思って、

パウロは、「聖体の論議」の雲の上の12人の内の右端の人物です。

 

この部分、当初は、「隣のアブラハムがパウロの剣を見ているのは、自分も短剣を持っているからだろう」と思っていた程度でした。

 

  剣を持つ二人

 

アブラハムは旧約聖書に登場する人物。

アブラハムが、短剣を持っているのは、息子のイサクを生け贄として捧げるための剣です。

 

 

では、パウロの長い剣は?と調べてみて驚いた。

パウロは、元はサウロという名で、キリスト教を迫害していたのですが、イエスの声を聞き回心し、熱心に布教活動する側になります。しかし、最後は投獄され断首刑となったと伝えられています。パウロの持つ剣は断首のための剣だったのです。

 

下矢印パウロの生涯を異時同図法にした作品

 

 

実は、以前から洗礼者ヨハネの顔の向きは気になってはいたのですが、右側の人物たちとの関連性がみえていませんでした。

パウロの最期が断首刑だったと知って、やっと腑に落ちました。

 

 

洗礼者ヨハネは、「見よ、神の小羊」と、パウロにイエスを示し、

パウロも、イエスを見ているようで、洗礼者ヨハネを見ているのでしょう。

 

首を切る長剣を持つパウロと、洗礼者ヨハネの視線が交わり、二人の共通点を知っていれば、断首のイメージが強くなると思いませんか?

 

 

下矢印「最後の晩餐」でトマスは首だけなのは、トマスに洗礼者ヨハネを兼任させるための仕掛けです。

 

レオナルドが、トマスに洗礼者ヨハネを兼任させたのは、反対隣の女性のようにみえるヨハネには、マグダラを兼任させていることを証明するためで、それにはボッティチェリの「聖三位一体」の絵と結びつけることが必須でありました。

 

下矢印参考記事

 

 

 

 

ラファエロの「聖体の論議」は、聖体顕示台があることによって、「最後の晩餐」と関連づけられます。

 

そして三位一体と、アダムとペテロと「最後の晩餐」の関連性は、第77~79回で解説したとおりですが、

 

今回、アブラハムとパウロと洗礼者ヨハネの関連性と、

両端の二人(ペテロとパウロ)に視線を送る隣の二人(アダムとアブラハム)は対になっていて、レオナルドの「最後の晩餐」と関連していると追加します。

 

 

 

 

 

 

 

 

  仕掛けの要は、プラトンに兼任させたレオナルド

 

 

 

ラファエロは、レオナルドの「ある女性の肖像画」をきっかけに、レオナルドとその周囲の画家らの作品を研究し、彼らが何かしらの工夫をして裏の意味を込めることを理解したから。

 

彼らのように、もっと人に気づかれない裏の意味のあるものを創作したかったのだと思います。

 

ヴァチカンに呼ばれ、署名の間の壁画制作を任されたのは、ラファエロにとって大きな好機でした。

署名の間の本来のテーマに違わないように、でもレオナルドの仕掛けを念頭において構想を練って描いたというのがブログ筆者の考察なのですが、その各壁画については、過去記事を御覧になってください。

 

それで、ラファエロの「署名の間」に関しては、まだ続きがあります。

このまま続けるか迷いましたが、いったん離れて、また終盤で続きをすることにします。

 

 

第84回からは、レオナルドの作品に戻ります。