第82回 「パルナッソス」「枢要徳」と意味のある数 | レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋~最後の晩餐にご招待

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レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の謎解き・解釈ブログです。
2021年5月末から再度見直して連載更新中です。

 

  パルナッソスからみえる数

 

竪琴ではなく、リラ・ダ・ブラッチョを持つアポロン。

しかも通常の7本弦ではなく、本弦にしていました。

 

「パルナッソス」の登場人物は、アポロンを中心に、人のムーサ(芸術の神)と、古代の詩人人、ダンテ以降の詩人人と解釈されています。

 

また、「パルナッソス」の中で、一人だけ名前の書いた紙を持つ人物は、古代ギリシアの女性詩人のサッポーでした。

 

 

サッポーを、人のムーサ(芸術の女神)に対して、10番目のムーサ」と称えていたのが、プラトンでした。

 

 

 

 

  枢要徳にみえる数

さらに4枚目の壁画、法学の「枢要徳」も、プラトンに由来したものです。

 

ほかのあらゆる徳を基礎づける主要な倫理上のつの徳、知恵・節制・正義・勇気を意味し、この思想はプラトンによって初めて体系化され、キリスト教世界にも深い影響を与えた。神を対象とする徳、信仰・希望・愛の三対神徳と対比され倫理徳といわれる。

          コトバンク「枢要徳とは?」より

知恵・節制・正義・勇気の中でもっとも重要なのが正義だそうです。

正義は天井に位置し、他の3人は下の壁画に

左から剛毅(勇気)、賢明(知恵)、節制と描かれています。

 

正義

 

剛穀(勇気)  賢明(知恵)  節制  

(ラファエロの弟子が描いた下段2枚は、レオナルドとの繋がりはありません。)

 

そして「枢要徳」の壁画は、「枢要徳と対神徳」と解釈する説があります。

「対神徳」とは、神に対する徳で「信仰」「希望」「慈愛」つになります。

3つの徳はシンボル色があって、信仰は希望は慈愛はになります。

彼女らの衣装の色が、「対神徳」を表現しているのかな?と思ってたのですが、天使(クピド)たちが「対神徳」を表しているという説もあるようです。

 

3つの徳の由来は、パウロがコリントの信徒へ書いた手紙からです。

下矢印

『それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。』 
新約聖書 コリントの信徒への手紙13章13節

 

古代ギリシア、プラトンによるつの枢要徳と、

新約聖書のパウロの手紙による、つの対神徳を合わせると、

カトリック教会の教義におけるつの基本的な徳の、七元徳(しちげんとく)となります。

 

 

 

このように、「パルナッソス」は9と10、「枢要徳」は、4と3と7の、意味のある数がみえるわけです。

 

となると、他の2枚「アテナイの学堂」と「聖体の論議」にも何か意味のある数はあるのかな?って思いませんか?

 

 

 

  アテナイの学堂と聖体の論議にみえる数

「アテナイの学堂」

中央のプラトンとアリストテレスの2人、彼らの手のポーズから上下、アポロンとミネルヴァの二体の神から、の数がみえてくる。ただし、「枢要徳は4つ、ムーサは9人」といった決まりのある数ではなく、構成上そうなっているだけの数です。

 

 

 

では「聖体の論議」は・・・

 

 

下矢印確実に意味のある数は、位一体と、福音書

 

 

3+3の人の天使、イエスの左右1+1の人、雲の上の左右6+6の12人。

左右均等にバランス良く並んだ人物たち。

これらの数も、構成上そうなっているだけの数としかみられないでしょう。

しかし、

イエスの左右の2人の位置、この12数は、レオナルドの「最後の晩餐」と関わりがあると自分は考えます。

 

特に「パルナッソス」で9を繰り返したのは、他の作品にみえる数も数えてみて欲しかったのではないか?と思うのです。

 

(・・・とか言いつつ、アテナイの学堂、聖体の論議の群衆の数は数えてませんアセアセ

 

 

「聖体の論議」に関しては第77~79回で既に記事にしていたのですが、「パルナッソス」「枢要徳」の記事をつくっていた際に、「聖体の論議」で新たに気づいたことがありましてたので、それを次回にします。

 


第83回に続く~