ニューヨークで新聞を作って1000人以上をインタビューされているジャーナリストさんご自身のインタビューを、たまたま見つけました。
そのかた曰く、
いい人生論は、いまどき、どこでも聞ける。
僕はその人の人生論ではなく体験談を聞いて伝えるためにこの仕事をしている。
大事なのは、自分でやってみること。
失敗してもいい。
行動力がすべて。
このブログが投稿される6月23日の15時30分ごろ、
わたしは滋賀県高島市での公演にて、一年半かけて準備した山田流箏曲「竹生島」を演奏しています。お琴のソロや邦楽の編成では今年1月に2度演奏させていただきましたが、ジャズバンドでトライするのは初めて。18分の大曲で、全編を演奏するとお客様も聴くのがたいへんかと思うので、導入部は語りにして、その後14分の楽曲としてお送りします。
先週末の公開リハーサルのあと、共演メンバーにいろいろアドバイスをもらって、バンド用の譜面を全編書き直しました。全10ページ。単音のユニゾンが基本の音楽に、和音、低音、リズムをつける作業。
それを個人個人で練習してもらって、当日のバンドリハーサルを経て、本番。
やってみます。
さあ、できるかな??
=箏曲「竹生島」について=
歌詞は謡からきています。帝の臣下が竹生島に詣るため琵琶湖畔にやって来たところに、漁師と海女の二人が乗った釣り舟が通りかかるところから唄が始まります。この帝は、平安時代前期の醍醐天皇(885~930年、第60代天皇)だそうです。
なお、竹生島に宝厳寺が建てられたのは神亀元年(724年)。聖武天皇( 東大寺の建立も、このかた)が、夢枕に立った天照皇大神からお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし堂塔を開基させたのが始まりと宝厳寺のホームページに記載されています。
能「竹生島」は作者不詳。室町時代と思われます。
箏曲「竹生島」は千代田検校により江戸末期にかかれました。
山田流箏曲『竹生島』 歌詞
頃は弥生の中端なれば、浪もうららに海のおも、
霞みわたれる朝ぼらけ、静かに通ふ船の道、
げに面白き時とかや。
いかにあれなる船に便船申さうなう。おう召され候へ。
嬉しやさては迎の船、法の力とおぼえたり。
けふは殊更のどかにて、こころにかかる風もなし。
山々の春なれや、花はさながら白雪の、
ふるか残るか時しらぬ、峯は都の富士なれや、
なほさえかへる春の日に、比良の嶺おろし吹くとても、
沖こぐ船はよも尽きじ。
旅のならひの思はずも、雲居のよそに見し人も、
同じ船に馴れ衣、浦を隔てて行くほどに、
竹生島にぞ着きにける。
承はり及びたるよりもいや勝りて有難し、
不思議やなこの島は、女人禁制と承はりてありしが、
あれなる女人はなにとて参られ候ふぞ。
それは知らぬ人の申すことなり、恭けなくもこの島は、
久成如来のごさいたんなれば、
まことに女人こそ参るべけれ。
のうそれまでもなきものを、弁財天は女体にて、
その神徳もあらたなる、天女と現じおはしませば、
女人とても隔てなし、ただ知らぬ人の言葉なり。
げにかほどの疑ひも、荒磯島の松蔭を、
便りに寄する海女小舟、
われは人間にあらずとて、
社壇の扉を押し開き、御殿に入らせ給ひければ、
翁も水中に入るかと見えしが、白波の立ち帰り、
われはこの海のあるじぞと言ひ捨てて、
またも浪間に入り給ふ。
ふしぎや虚空に音楽聞こえ、花ふり下る春の夜の、
月に輝やく少女(おとめ)の袂、かへすがへすも面白や。
夜遊の舞楽もやや時過ぎて、月すみ渡る海づらに
波風しきりに鳴動して、下界の竜神現れ出で、
光も輝く金銀珠玉を、かのまれ人に捧ぐるけしき、
有難かりける奇特かな。
関連過去ログ:
昨年の同コンサートの模様
Songbird TAeKO