前回、前々回の長くマニアックな記事をお読み下さった皆さま、
ありがとうございました。
というか、お疲れさまでした・・・かな。
今日はサクっと、英語&音楽ネタ。

BBCのウェブラジオのことはずいぶん前にも書きましたが、実際に聴くのはしばらくご無沙汰していました。が、最近あちこちで、Radio 3 でゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団のマーラー交響曲連続演奏会を期間限定で聴けるよと聞いたので、久々に行ってみました。

Radio 3はクラシックを中心に、どちらかというとお堅い系のモノを多く流しています。マーラー聴いて、同じRadio 3で古楽曲やインタビューとか聞いた(というか流しっぱなしにしといた)後、ふと軽いモノが聴きたくなって、今度はRadio 1 にチャンネルを変更。すると・・・。

まあ何ということでしょう!
しゃべっている英語が全く違うではありませんか!

・・・って前から知ってたけどさ。
久しぶりだったから、おお~同じ局でこんなに違ったか、と新鮮だったのですよ。

というわけで、いろんな英語発音を聴きたい方、お勉強ツールとして使えますよ。

すごくおおざっぱな言い方をすると、Radio 1 は一般人、若者。
Radio 3 は、おハイソ、年齢層もちょっと上。
ま、世代のことはオマケですね。お年寄りでもRadio 1 みたいなしゃべり方する人もいるし、その逆も。

そういえば、イギリスの音楽事務所の非イギリス人が、こんなことを言っていたのを思い出しました。
イギリスではクラシック音楽イコールある一定以上の階級の文化、という暗黙の了解がいまだにあって、業界内でもその階級の人たちが必死に守ろうとしている、だから彼ら特有のイヤなところ(悪気なくスノッブだったり)はよく目にする、と。

ふううん、そうなのかあ。私がイギリスにいた頃はあくまでお客としてだったせいか、全くそれはわからなかったけどね。
確かに楽器や歌を専門的に習うにはお金がかかるので、ある程度階級が限られるであろうことは想像できるけど、それを興行として動かす人たちもおハイソって意外でした。たしかに、先日話した別の音楽事務所イギリス人は、私がホレボレするようなステキな英語をお話しでしたわ。

「サクっと」のはずが、あまりサクっとではなかったね。


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昨日の続きです。

と、その前に。
日向さんのお返事の部分にあったTriviumについて。
(Triviumで検索すると、ヘビメタバンドが最初に出てくる・・・

中世の大学では7つ教養科目があり、ベースがTriviumと呼ばれる3教科、
grammar 文法・rhetoric 修辞・logic 論理で、
続いてこれにQuadriviumと言われる4教科、
arithmetic 算術・geometry 幾何・astronomy 天文学・music 音楽
を学んだそうですよ。

Trivium は一見文系、Quadrivium は一見理系ですが、
この理系チームに音楽が入っているのは興味深いところ。
音楽はとても数字的なんですよ。(と、これを語ると長くなるのでまたの機会に。)

7教科に音楽が含まれているのは
教育の場が教会や修道院だったためもあるのでしょうけど、
音楽は基礎教養として大事なものだったらしいです。


では、昨日の記事後半について、favouriteより日向さんへ。

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大変interestingなお返事をありがとうございます。
ロンドンで取っていた音楽の授業のひとつに
「音楽の美学」という哲学のクラスがあったのですが、それを思い出しました。
むちゃくちゃ難しくって当時はろくに理解していなかったと思いますが
今なら少しは面白さがわかるかも・・・。^^

> 美と言えば、西洋音楽は、真善美を追求するものであり、いいパフォーマンスは、真
> 善美の世界への窓を開き、聴衆ともども「いや、すばらしい」と感動を共有できるも
> のを言うのだというのが私めの理解です(lapsed Catholic といえども、音楽は神の世
> 界の地上での再現だという感覚が抜けません)。

恥ずかしながら「真善美」と「音楽は神の世界の再現」ということは
なんとなくの知識としては知っていても、実感としてはあまり持っていませんでした。
私の好きな時代(バロック以前)の宗教曲なんてズバリそれだけ!ですのにね。

今の西洋の若い音楽家がどのくらいそれを意識しているかナゾですが、
意識してないとしても「音楽とは元来こういうものである」と説明したら
宗教的でない彼らでもキリスト教文化で育っている限り、
ある程度理解できるのでしょうね。
でもまったくキリスト教を知らないで育った日本人だと
この概念を実感として理解するのはやはり難しいかな、と思います。

ただ、そんなことを頭で理解していなくても、音楽とはもっと本能的な部分があるので
できる人はできるんだと思いますが。

しかしキリスト教的理解は別にしても、ある文化社会が当然と考えること(音楽)を
経験的に「身につけていないとムリ」な場合はあるかもしれません。

私は5歳から渡欧する15歳まで東京でピアノを習っていて
まあまあ弾けていたのですが、
ドイツで新たに先生についたときに、すでに習い終わったバッハのインベンションを
最初からやり直すことになり、コテンパンに直されました。
バッハの時代は強弱の指示などは全くないに等しく、
でも人々はどう弾くかわかっていた、
なぜならば音楽のフレーズとして「こう来たらこう大きくなる」とか
「この終止の直後にその弾き方はありえない」とか、
言葉の文法のように当然のルールがあったから。
で、その先生によると、そういうルールをドイツ人音楽家は
当然のようにわかっているのだそうです。

他にも、先日お仕事でご一緒した指揮者(東欧出身)が
「ホルンのあの音はドイツ人にしか出せないねえ」と言ったりとか、
ウィーン人のワルツのリズムの取り方は他とは違うとか。

結局こういうことって突き詰めれば真善美の世界になるんでしょうね。
演奏の仕方=音を使っての表現において、何をもって最上の美とするか。
それに対する西欧人の最大公約数的合意なのかなあ、などと思います。

小澤征爾さんは、「東洋人である自分が西洋の文化である音楽で
何ができるのか、一生かけて実験している」
と、よくおっしゃっていましたが。

> 例のTriviumの本に載っていた話ですが、ファインアーツとしての音楽は、A
> beautiful thing is a joy forever. であることを感じさせてくれるはずのものだと
> のこと。

ああ~よくわかります。いい音楽を聴くと本当にそう思いますね。
魂が喜ぶ、というか。

> 思うに、日本人奏者はわが国の伝統に従い、音楽の勉強も修行の道にしてしまってい
> る人が多いからではないでしょうか。

おっしゃるとおりです。日本人はなんでも「XX道」にしてしまいますからね。
ピアノを弾くときの手の甲の形を保つために、消しゴムをのせて音階の練習するとか。
子どもの頃にやらされました(笑)。ムダだったー。
今どきさすがにないでしょうけど、野球部で水を一切飲まずにうさぎ跳び100周とか、
そういう世界。
がんばる根性を教える意義はあると思いますが、
美の表現である音楽の場合は、あまりいい結果をもたらさないですね。

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日向さんよりfavouriteへ、お返事。


> 最初からやり直すことになり、コテンパンに直されました。
> バッハの時代は強弱の指示などは全くないに等しく、でも人々はどう弾くかわかっていた、
> なぜならば音楽のフレーズとして「こう来たらこう大きくなる」とか
> 「この終止の直後にその弾き方はありえない」とか、
> 言葉の文法のように当然のルールがあったから。
> で、その先生によると、そういうルールをドイツ人音楽家は
> 当然のようにわかっているのだそうです。

この部分、最高におもしろく、これを書いたものなどあるだろうかと思いました。

「真善美」と「音楽は神の世界の再現」のくだり、急に自分の思い込みかなと心配に
なり、検索してみました。(真善美を強調したギリシア哲学を神学に取り込んだという
ことで)Thomas Aquinas 、それと、truth beauty をキーワードで検索したら、こうい
う「お墨付き」を得ることができました。

http://thenewliturgicalmovement.blogspot.com/2008/03/on-importance-of-beauty
-in-liturgy.html

(後略)

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いや~、日向さんがTriviumや真善美を持ち出して下さったおかげで
日頃ほとんど意識していない「音楽の美」なぞ考えることができました。
知的なお遊びをさせていただいた感じで、楽しかったです。
日向さん、ありがとうございました。


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先日、「ビジネス英語雑記帳」の日向さんとメールのやりとりをさせていただいていたときに音楽教育の話になり、そこからちょっと面白い(そしてマニアックな)ディスカッションに発展。日向さんがブログ掲載を勧めてくださいましたので、ご紹介します。

ことの発端は、favouriteから日向さんへのこんな話。

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先日、ヨーロッパ人と日本人の音大生たちによる室内楽を聴く機会があったのですが、
欧州人チームがものすごく上手でびっくりしました。

日本人たちもなかなかの経歴(どっかのコンクールで勝ったとか)の子たちだし
確かに技術はなかなか上手い子もいるのですが
アンサンブルとしてはまだまだで、
勝手にガンガン鳴らしてる感じ。

ところが欧州人たちは、技術もものすごく高いうえに
若いのにアンサンブルとしてものすごく練れていて
ウットリさせるような音楽を作るんですよ。

私が最近入った合唱団の指揮者先生がときどき
「君たちの音楽がどこに行きたいのかわからない」
という言い方をなさって、私は楽譜上のことではわかるけれど
その表現が今まであまりピンときてなかったのですが
今日彼らの演奏を聴いて「音楽の行き先がわかる」というのが
実感としてわかりました。
日本人たちのは、そういうのが全く見えなかったんですね。
楽譜上の音はもちろん動いているのに、エネルギーは静止している感じ。

今回の日本人と欧州人は同世代だし、
経歴的には同じようなタイプの教育を受けてきたはずの人たちです。
私が音楽業界で仕事を始めた15年前に比べたら、
国内だけで勉強している日本人も相当上手くなっている、という認識があったのですが、
今回経験した、アンサンブルになったときのこの差は一体・・・。

西洋音楽は所詮彼らの文化だから、という説も一理ありますが、
これだけ西洋音楽がグローバル化して日本人の環境も技術もすでに高い今、
やっぱり教育の差かなあ、と思った次第です。

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これに対して、日向さんよりfavouriteへ。


> 西洋音楽は所詮彼らの文化だから、という説も一理ありますが、
> これだけ西洋音楽がグローバル化して日本人の環境も技術もすでに高い今、
> やっぱり教育の差かなあ、と思った次第です

これよく感じます。ラテンのコンボを何度か聞いて、日本人奏者はみなうまいけれど、
いかにも楽譜通りちまちまやっている感じでさっぱりおもしろくありません。
音楽でコミュニケートするという発想が頭ではわかっていても、
体が伴っていない感じです。
やはり美はform and function の融合ではないんでしょうかね。

美と言えば、西洋音楽は、真善美を追求するものであり、いいパフォーマンスは、
真善美の世界への窓を開き、聴衆ともども「いや、すばらしい」と
感動を共有できるものを言うのだというのが私めの理解です
(lapsed Catholic といえども、音楽は神の世界の地上での再現だ
という感覚が抜けません)。

例のTriviumの本に載っていた話ですが、ファインアーツとしての音楽は、
A beautiful thing is a joy forever. であることを感じさせてくれるはずのものだ
とのこと。そうとすれば、そのことがわかっていない人はいくら練習しても
音楽がわからずに、したがって、音楽の美を人と共有する経験をすることなく終わる
ということなのでしょう。

思うに、日本人奏者はわが国の伝統に従い、音楽の勉強も修行の道にしてしまっている
人が多いからではないでしょうか。修行となると、いかにうまく演奏できるのか、
声を操れるのかのレベルに堕してしまい、音楽が真善美の一端である美を
聴覚を通じて人の心に伝える道具だということに頭が行かないのだと感じます。
とすれば、やはり異教徒に西洋音楽は無理だという理屈にもなりそうです。

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まだまだ続きます!(続編は*こちら*)


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