昨日の続きです。
と、その前に。
日向さんのお返事の部分にあったTriviumについて。
(Triviumで検索すると、ヘビメタバンドが最初に出てくる・・・
)
中世の大学では7つ教養科目があり、ベースがTriviumと呼ばれる3教科、
grammar 文法・rhetoric 修辞・logic 論理で、
続いてこれにQuadriviumと言われる4教科、
arithmetic 算術・geometry 幾何・astronomy 天文学・music 音楽
を学んだそうですよ。
Trivium は一見文系、Quadrivium は一見理系ですが、
この理系チームに音楽が入っているのは興味深いところ。
音楽はとても数字的なんですよ。(と、これを語ると長くなるのでまたの機会に。)
7教科に音楽が含まれているのは
教育の場が教会や修道院だったためもあるのでしょうけど、
音楽は基礎教養として大事なものだったらしいです。
では、昨日の記事後半について、favouriteより日向さんへ。
*********************************************************************
大変interestingなお返事をありがとうございます。
ロンドンで取っていた音楽の授業のひとつに
「音楽の美学」という哲学のクラスがあったのですが、それを思い出しました。
むちゃくちゃ難しくって当時はろくに理解していなかったと思いますが
今なら少しは面白さがわかるかも・・・。^^
> 美と言えば、西洋音楽は、真善美を追求するものであり、いいパフォーマンスは、真
> 善美の世界への窓を開き、聴衆ともども「いや、すばらしい」と感動を共有できるも
> のを言うのだというのが私めの理解です(lapsed Catholic といえども、音楽は神の世
> 界の地上での再現だという感覚が抜けません)。
恥ずかしながら「真善美」と「音楽は神の世界の再現」ということは
なんとなくの知識としては知っていても、実感としてはあまり持っていませんでした。
私の好きな時代(バロック以前)の宗教曲なんてズバリそれだけ!ですのにね。
今の西洋の若い音楽家がどのくらいそれを意識しているかナゾですが、
意識してないとしても「音楽とは元来こういうものである」と説明したら
宗教的でない彼らでもキリスト教文化で育っている限り、
ある程度理解できるのでしょうね。
でもまったくキリスト教を知らないで育った日本人だと
この概念を実感として理解するのはやはり難しいかな、と思います。
ただ、そんなことを頭で理解していなくても、音楽とはもっと本能的な部分があるので
できる人はできるんだと思いますが。
しかしキリスト教的理解は別にしても、ある文化社会が当然と考えること(音楽)を
経験的に「身につけていないとムリ」な場合はあるかもしれません。
私は5歳から渡欧する15歳まで東京でピアノを習っていて
まあまあ弾けていたのですが、
ドイツで新たに先生についたときに、すでに習い終わったバッハのインベンションを
最初からやり直すことになり、コテンパンに直されました。
バッハの時代は強弱の指示などは全くないに等しく、
でも人々はどう弾くかわかっていた、
なぜならば音楽のフレーズとして「こう来たらこう大きくなる」とか
「この終止の直後にその弾き方はありえない」とか、
言葉の文法のように当然のルールがあったから。
で、その先生によると、そういうルールをドイツ人音楽家は
当然のようにわかっているのだそうです。
他にも、先日お仕事でご一緒した指揮者(東欧出身)が
「ホルンのあの音はドイツ人にしか出せないねえ」と言ったりとか、
ウィーン人のワルツのリズムの取り方は他とは違うとか。
結局こういうことって突き詰めれば真善美の世界になるんでしょうね。
演奏の仕方=音を使っての表現において、何をもって最上の美とするか。
それに対する西欧人の最大公約数的合意なのかなあ、などと思います。
小澤征爾さんは、「東洋人である自分が西洋の文化である音楽で
何ができるのか、一生かけて実験している」
と、よくおっしゃっていましたが。
> 例のTriviumの本に載っていた話ですが、ファインアーツとしての音楽は、A
> beautiful thing is a joy forever. であることを感じさせてくれるはずのものだと
> のこと。
ああ~よくわかります。いい音楽を聴くと本当にそう思いますね。
魂が喜ぶ、というか。
> 思うに、日本人奏者はわが国の伝統に従い、音楽の勉強も修行の道にしてしまってい
> る人が多いからではないでしょうか。
おっしゃるとおりです。日本人はなんでも「XX道」にしてしまいますからね。
ピアノを弾くときの手の甲の形を保つために、消しゴムをのせて音階の練習するとか。
子どもの頃にやらされました(笑)。ムダだったー。
今どきさすがにないでしょうけど、野球部で水を一切飲まずにうさぎ跳び100周とか、
そういう世界。
がんばる根性を教える意義はあると思いますが、
美の表現である音楽の場合は、あまりいい結果をもたらさないですね。
********************************************************************
日向さんよりfavouriteへ、お返事。
> 最初からやり直すことになり、コテンパンに直されました。
> バッハの時代は強弱の指示などは全くないに等しく、でも人々はどう弾くかわかっていた、
> なぜならば音楽のフレーズとして「こう来たらこう大きくなる」とか
> 「この終止の直後にその弾き方はありえない」とか、
> 言葉の文法のように当然のルールがあったから。
> で、その先生によると、そういうルールをドイツ人音楽家は
> 当然のようにわかっているのだそうです。
この部分、最高におもしろく、これを書いたものなどあるだろうかと思いました。
「真善美」と「音楽は神の世界の再現」のくだり、急に自分の思い込みかなと心配に
なり、検索してみました。(真善美を強調したギリシア哲学を神学に取り込んだという
ことで)Thomas Aquinas 、それと、truth beauty をキーワードで検索したら、こうい
う「お墨付き」を得ることができました。
http://thenewliturgicalmovement.blogspot.com/2008/03/on-importance-of-beauty
-in-liturgy.html
(後略)
**************************************************************
いや~、日向さんがTriviumや真善美を持ち出して下さったおかげで
日頃ほとんど意識していない「音楽の美」なぞ考えることができました。
知的なお遊びをさせていただいた感じで、楽しかったです。
日向さん、ありがとうございました。
←いつもクリックありがとう♪
と、その前に。
日向さんのお返事の部分にあったTriviumについて。
(Triviumで検索すると、ヘビメタバンドが最初に出てくる・・・
中世の大学では7つ教養科目があり、ベースがTriviumと呼ばれる3教科、
grammar 文法・rhetoric 修辞・logic 論理で、
続いてこれにQuadriviumと言われる4教科、
arithmetic 算術・geometry 幾何・astronomy 天文学・music 音楽
を学んだそうですよ。
Trivium は一見文系、Quadrivium は一見理系ですが、
この理系チームに音楽が入っているのは興味深いところ。
音楽はとても数字的なんですよ。(と、これを語ると長くなるのでまたの機会に。)
7教科に音楽が含まれているのは
教育の場が教会や修道院だったためもあるのでしょうけど、
音楽は基礎教養として大事なものだったらしいです。
では、昨日の記事後半について、favouriteより日向さんへ。
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大変interestingなお返事をありがとうございます。
ロンドンで取っていた音楽の授業のひとつに
「音楽の美学」という哲学のクラスがあったのですが、それを思い出しました。
むちゃくちゃ難しくって当時はろくに理解していなかったと思いますが
今なら少しは面白さがわかるかも・・・。^^
> 美と言えば、西洋音楽は、真善美を追求するものであり、いいパフォーマンスは、真
> 善美の世界への窓を開き、聴衆ともども「いや、すばらしい」と感動を共有できるも
> のを言うのだというのが私めの理解です(lapsed Catholic といえども、音楽は神の世
> 界の地上での再現だという感覚が抜けません)。
恥ずかしながら「真善美」と「音楽は神の世界の再現」ということは
なんとなくの知識としては知っていても、実感としてはあまり持っていませんでした。
私の好きな時代(バロック以前)の宗教曲なんてズバリそれだけ!ですのにね。
今の西洋の若い音楽家がどのくらいそれを意識しているかナゾですが、
意識してないとしても「音楽とは元来こういうものである」と説明したら
宗教的でない彼らでもキリスト教文化で育っている限り、
ある程度理解できるのでしょうね。
でもまったくキリスト教を知らないで育った日本人だと
この概念を実感として理解するのはやはり難しいかな、と思います。
ただ、そんなことを頭で理解していなくても、音楽とはもっと本能的な部分があるので
できる人はできるんだと思いますが。
しかしキリスト教的理解は別にしても、ある文化社会が当然と考えること(音楽)を
経験的に「身につけていないとムリ」な場合はあるかもしれません。
私は5歳から渡欧する15歳まで東京でピアノを習っていて
まあまあ弾けていたのですが、
ドイツで新たに先生についたときに、すでに習い終わったバッハのインベンションを
最初からやり直すことになり、コテンパンに直されました。
バッハの時代は強弱の指示などは全くないに等しく、
でも人々はどう弾くかわかっていた、
なぜならば音楽のフレーズとして「こう来たらこう大きくなる」とか
「この終止の直後にその弾き方はありえない」とか、
言葉の文法のように当然のルールがあったから。
で、その先生によると、そういうルールをドイツ人音楽家は
当然のようにわかっているのだそうです。
他にも、先日お仕事でご一緒した指揮者(東欧出身)が
「ホルンのあの音はドイツ人にしか出せないねえ」と言ったりとか、
ウィーン人のワルツのリズムの取り方は他とは違うとか。
結局こういうことって突き詰めれば真善美の世界になるんでしょうね。
演奏の仕方=音を使っての表現において、何をもって最上の美とするか。
それに対する西欧人の最大公約数的合意なのかなあ、などと思います。
小澤征爾さんは、「東洋人である自分が西洋の文化である音楽で
何ができるのか、一生かけて実験している」
と、よくおっしゃっていましたが。
> 例のTriviumの本に載っていた話ですが、ファインアーツとしての音楽は、A
> beautiful thing is a joy forever. であることを感じさせてくれるはずのものだと
> のこと。
ああ~よくわかります。いい音楽を聴くと本当にそう思いますね。
魂が喜ぶ、というか。
> 思うに、日本人奏者はわが国の伝統に従い、音楽の勉強も修行の道にしてしまってい
> る人が多いからではないでしょうか。
おっしゃるとおりです。日本人はなんでも「XX道」にしてしまいますからね。
ピアノを弾くときの手の甲の形を保つために、消しゴムをのせて音階の練習するとか。
子どもの頃にやらされました(笑)。ムダだったー。
今どきさすがにないでしょうけど、野球部で水を一切飲まずにうさぎ跳び100周とか、
そういう世界。
がんばる根性を教える意義はあると思いますが、
美の表現である音楽の場合は、あまりいい結果をもたらさないですね。
********************************************************************
日向さんよりfavouriteへ、お返事。
> 最初からやり直すことになり、コテンパンに直されました。
> バッハの時代は強弱の指示などは全くないに等しく、でも人々はどう弾くかわかっていた、
> なぜならば音楽のフレーズとして「こう来たらこう大きくなる」とか
> 「この終止の直後にその弾き方はありえない」とか、
> 言葉の文法のように当然のルールがあったから。
> で、その先生によると、そういうルールをドイツ人音楽家は
> 当然のようにわかっているのだそうです。
この部分、最高におもしろく、これを書いたものなどあるだろうかと思いました。
「真善美」と「音楽は神の世界の再現」のくだり、急に自分の思い込みかなと心配に
なり、検索してみました。(真善美を強調したギリシア哲学を神学に取り込んだという
ことで)Thomas Aquinas 、それと、truth beauty をキーワードで検索したら、こうい
う「お墨付き」を得ることができました。
http://thenewliturgicalmovement.blogspot.com/2008/03/on-importance-of-beauty
-in-liturgy.html
(後略)
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いや~、日向さんがTriviumや真善美を持ち出して下さったおかげで
日頃ほとんど意識していない「音楽の美」なぞ考えることができました。
知的なお遊びをさせていただいた感じで、楽しかったです。
日向さん、ありがとうございました。