先日、「ビジネス英語雑記帳」の日向さんとメールのやりとりをさせていただいていたときに音楽教育の話になり、そこからちょっと面白い(そしてマニアックな)ディスカッションに発展。日向さんがブログ掲載を勧めてくださいましたので、ご紹介します。
ことの発端は、favouriteから日向さんへのこんな話。
******************************************************************
先日、ヨーロッパ人と日本人の音大生たちによる室内楽を聴く機会があったのですが、
欧州人チームがものすごく上手でびっくりしました。
日本人たちもなかなかの経歴(どっかのコンクールで勝ったとか)の子たちだし
確かに技術はなかなか上手い子もいるのですが
アンサンブルとしてはまだまだで、
勝手にガンガン鳴らしてる感じ。
ところが欧州人たちは、技術もものすごく高いうえに
若いのにアンサンブルとしてものすごく練れていて
ウットリさせるような音楽を作るんですよ。
私が最近入った合唱団の指揮者先生がときどき
「君たちの音楽がどこに行きたいのかわからない」
という言い方をなさって、私は楽譜上のことではわかるけれど
その表現が今まであまりピンときてなかったのですが
今日彼らの演奏を聴いて「音楽の行き先がわかる」というのが
実感としてわかりました。
日本人たちのは、そういうのが全く見えなかったんですね。
楽譜上の音はもちろん動いているのに、エネルギーは静止している感じ。
今回の日本人と欧州人は同世代だし、
経歴的には同じようなタイプの教育を受けてきたはずの人たちです。
私が音楽業界で仕事を始めた15年前に比べたら、
国内だけで勉強している日本人も相当上手くなっている、という認識があったのですが、
今回経験した、アンサンブルになったときのこの差は一体・・・。
西洋音楽は所詮彼らの文化だから、という説も一理ありますが、
これだけ西洋音楽がグローバル化して日本人の環境も技術もすでに高い今、
やっぱり教育の差かなあ、と思った次第です。
******************************************************************
これに対して、日向さんよりfavouriteへ。
> 西洋音楽は所詮彼らの文化だから、という説も一理ありますが、
> これだけ西洋音楽がグローバル化して日本人の環境も技術もすでに高い今、
> やっぱり教育の差かなあ、と思った次第です
これよく感じます。ラテンのコンボを何度か聞いて、日本人奏者はみなうまいけれど、
いかにも楽譜通りちまちまやっている感じでさっぱりおもしろくありません。
音楽でコミュニケートするという発想が頭ではわかっていても、
体が伴っていない感じです。
やはり美はform and function の融合ではないんでしょうかね。
美と言えば、西洋音楽は、真善美を追求するものであり、いいパフォーマンスは、
真善美の世界への窓を開き、聴衆ともども「いや、すばらしい」と
感動を共有できるものを言うのだというのが私めの理解です
(lapsed Catholic といえども、音楽は神の世界の地上での再現だ
という感覚が抜けません)。
例のTriviumの本に載っていた話ですが、ファインアーツとしての音楽は、
A beautiful thing is a joy forever. であることを感じさせてくれるはずのものだ
とのこと。そうとすれば、そのことがわかっていない人はいくら練習しても
音楽がわからずに、したがって、音楽の美を人と共有する経験をすることなく終わる
ということなのでしょう。
思うに、日本人奏者はわが国の伝統に従い、音楽の勉強も修行の道にしてしまっている
人が多いからではないでしょうか。修行となると、いかにうまく演奏できるのか、
声を操れるのかのレベルに堕してしまい、音楽が真善美の一端である美を
聴覚を通じて人の心に伝える道具だということに頭が行かないのだと感じます。
とすれば、やはり異教徒に西洋音楽は無理だという理屈にもなりそうです。
******************************************************************
まだまだ続きます!(続編は*こちら*)
←いつもクリックありがとう♪
ことの発端は、favouriteから日向さんへのこんな話。
******************************************************************
先日、ヨーロッパ人と日本人の音大生たちによる室内楽を聴く機会があったのですが、
欧州人チームがものすごく上手でびっくりしました。
日本人たちもなかなかの経歴(どっかのコンクールで勝ったとか)の子たちだし
確かに技術はなかなか上手い子もいるのですが
アンサンブルとしてはまだまだで、
勝手にガンガン鳴らしてる感じ。
ところが欧州人たちは、技術もものすごく高いうえに
若いのにアンサンブルとしてものすごく練れていて
ウットリさせるような音楽を作るんですよ。
私が最近入った合唱団の指揮者先生がときどき
「君たちの音楽がどこに行きたいのかわからない」
という言い方をなさって、私は楽譜上のことではわかるけれど
その表現が今まであまりピンときてなかったのですが
今日彼らの演奏を聴いて「音楽の行き先がわかる」というのが
実感としてわかりました。
日本人たちのは、そういうのが全く見えなかったんですね。
楽譜上の音はもちろん動いているのに、エネルギーは静止している感じ。
今回の日本人と欧州人は同世代だし、
経歴的には同じようなタイプの教育を受けてきたはずの人たちです。
私が音楽業界で仕事を始めた15年前に比べたら、
国内だけで勉強している日本人も相当上手くなっている、という認識があったのですが、
今回経験した、アンサンブルになったときのこの差は一体・・・。
西洋音楽は所詮彼らの文化だから、という説も一理ありますが、
これだけ西洋音楽がグローバル化して日本人の環境も技術もすでに高い今、
やっぱり教育の差かなあ、と思った次第です。
******************************************************************
これに対して、日向さんよりfavouriteへ。
> 西洋音楽は所詮彼らの文化だから、という説も一理ありますが、
> これだけ西洋音楽がグローバル化して日本人の環境も技術もすでに高い今、
> やっぱり教育の差かなあ、と思った次第です
これよく感じます。ラテンのコンボを何度か聞いて、日本人奏者はみなうまいけれど、
いかにも楽譜通りちまちまやっている感じでさっぱりおもしろくありません。
音楽でコミュニケートするという発想が頭ではわかっていても、
体が伴っていない感じです。
やはり美はform and function の融合ではないんでしょうかね。
美と言えば、西洋音楽は、真善美を追求するものであり、いいパフォーマンスは、
真善美の世界への窓を開き、聴衆ともども「いや、すばらしい」と
感動を共有できるものを言うのだというのが私めの理解です
(lapsed Catholic といえども、音楽は神の世界の地上での再現だ
という感覚が抜けません)。
例のTriviumの本に載っていた話ですが、ファインアーツとしての音楽は、
A beautiful thing is a joy forever. であることを感じさせてくれるはずのものだ
とのこと。そうとすれば、そのことがわかっていない人はいくら練習しても
音楽がわからずに、したがって、音楽の美を人と共有する経験をすることなく終わる
ということなのでしょう。
思うに、日本人奏者はわが国の伝統に従い、音楽の勉強も修行の道にしてしまっている
人が多いからではないでしょうか。修行となると、いかにうまく演奏できるのか、
声を操れるのかのレベルに堕してしまい、音楽が真善美の一端である美を
聴覚を通じて人の心に伝える道具だということに頭が行かないのだと感じます。
とすれば、やはり異教徒に西洋音楽は無理だという理屈にもなりそうです。
******************************************************************
まだまだ続きます!(続編は*こちら*)