myストレス解消法(その34)(=^‥^=)

アマとプロの違いって、何だろう。

アマ=「自己満足」=「ボランティア」活動。

プロ=「お金」=「お客様」への「責任」。

だからアマの方がいい場合がある(アマだとすぐやめられるし)

がんばりすぎるのがいいとは限らない・・がんばっているときほど見返りを求めてしまい、失敗しやすくなる。



「がんばらないといけない」これもひとつの強迫観念。



すべてのイライラやトラブルは「がんばりすぎる」「でも評価されない」ことから始まる。



「がんばる」より「楽しむ」ことが、ほんとは大事なのに。



「必死」なうちはまだ「青い」・・肩の力が抜けてこそ一人前!



静かで平和な暮らしを、営みたいだけ。



がんばらず、自然に、楽に、生きる。



これまでで一番幸せだった瞬間って!?・・「食べ歩き」(含旅行)。



「バラ園」にいるとき。


(薔薇「クイーンエリザベス」)

テレビ見ながら昼寝してるとき。



食べ歩き(旅行)はテレビ見るだけでもいいし、「バラ園」ならうちの薔薇でもいい。



愛してやまないのは、テレビと、トゥルースリーパー(低反発マットレス)だけ・・それでよくない!?



でももし過剰に「注目」されることがあるとしたら、それは過去に、いろいろ面白いコトガラを成し遂げたが故!?



幕末の志士、高杉晋作。



高杉の辞世の句‥「面白き こともなき世を 面白く」



違う。

高杉みたいに高い視野をもって生きることなんてできるわけない。

すべては「混乱」と「混沌」の旅路。

「何も見えない盲目の人」それが私。



"Love ends here"(ここで愛は終わった)

「続けていくことのできない愛」それが私のストーリー。



「どうすればよかった」「誰が悪い」とかいうことでなく、「必然的」なものだった。

彼が叩かれるか、私が叩かれるかだ。

どちらも、いやだった。

そして私は、「好きな人」「信頼できる人」のいずれからも離れ、ひとりぼっちだ。



「縛り付け合う」ことは、互いのメンタルを、悪化させる。

彼は彼のことに集中し、私は私のことに集中する。

互いに、自由になった方がいい。

でも、「完全な終わり」はない。

「尽くす」ことができた相手はひとりしかいない。だから、嫌いになんてなれない。

You're the only one I yearn for...

I was devoted to you, you were the only one in my whole life, so I will never forget about you...

遠くでどことなく見ていて、なにかできることがあれば、できるかもしれない。



すべてが、私の経験になる。



そこから何を吸収できるかに、かかってる。



(つづく・・)
myストレス解消法(その33)(=゚-゚)

満開の薔薇‥



薔薇を育てる理由‥



薔薇くらい、咲きたがってる植物は、ほかにない。



ほっとくと、1年中、蕾をつけたがる。

そんなに咲きたい植物なんて、薔薇しかない。



でも、薔薇には、手間ひまも、お金もかかる。

薔薇に恋をしたばかりの頃は、必死で、「薔薇特有の育て方」を身に付けようとして、がんばる。



そして、自己流の育て方が、やがて身に付く。



自己流でもいいから、「薔薇特有の育て方」を身に付けた人が、"ロザリアン"。

そして、どこかの"ロザリアン"にもらわれない薔薇は、死ぬしかない。



だから、薔薇を育てるのは、その薔薇に「咲くため」「生きるため」の、チャンスを贈るため。



環境さえあれば、ほとんどすべての薔薇は、咲く意欲も、育つ意欲も持っている。



たとえ値下げされたり、半額になったりしている、病気の薔薇でさえ、環境が整えばすぐに、咲きたがる。

薔薇苗を買って、後悔したことは、ほとんどない。



だから、薔薇を育てる人の気持ちは、「捨て猫」「捨て犬」の飼い主と、ほぼ同じだと思う。

薔薇の「咲きたい気持ち」「育ちたい気持ち」を知っているから、貰い手もなく、死ぬ運命をたどるだろう苗を、ほうっておけないのだ。



薔薇は、「道具」ではない。

薔薇を育てる人は、薔薇の「咲きたい」意志を尊重し、それを助ける立場。



それが、薔薇の愉しさ。



「誰か」の役に、たちたい。

薔薇が好きなら、薔薇の役に、たちたい。



そう思う一心で、薔薇を、買ってくる。

それが、「生き物」と付き合うということ。



太陽の光は、暖かく、ふりそそぐ。

太陽の光を受け止めて、成長する植物がなければ、太陽の光のエネルギーは、無駄になってしまう。



太陽の光のふりそそぐ場所を、いっぱいに使って、薔薇を育てる。



すると、それだけ多くの薔薇が、「咲きたい」夢をかなえることができる。



そして、おそらくほんの少しだけ、地球の二酸化炭素が減り、酸素が増える。



そして、ほんの少しだけ、地球の温暖化を、さまたげることができる。



そうこうするうちに、50本近い薔薇を、育ててしまうことになる。



あるとき薔薇の育て方に失敗して、すべての薔薇の葉が落ち、薔薇が嫌になるときがやってくる。

でも、薔薇は生き物だから、見捨てるわけにいかない。



惰性でもいいから、育て続けていれば、いつかきっと、薔薇と暮らせてよかったと思える日が、またやってくる。



「眠れる森の美女」のように、薔薇に囲まれた家に住みたいというのが、夢だった。



計画したことではないけれど、結局はそれに近い場所で暮らすことになる。



それが、薔薇を育てる人("ロザリアン")の、運命だ。



(つづく・・)
myストレス解消法(その32)\( ・ᴗ・ )

とにかく一番得意で容易にできるのは「踊り」で覚えた「ジェスチャー」なので、「ジェスチャー」を最大限使って、気持ちを楽にする。

それから、これまで鏡で「研究」してきた自分の"一番いい顔"に「ぱっと」なる。

そして、大事なのは(ちょっと苦手だけど)「ピュアで美しい感情」の持ち主でいることと、その"美しい感情"を「目」で表現することだと覚えておく。

美人女優さんを「見たい」のは、顔の美しさもそうだけど、その女優さんの「目」に浮かぶ「感情」の美しさを見たいのだ。

ハリポタの「開心術」で「魔法使い」や「魔女」に心のなかを見られたり、ファンタジーやSFに出てくる「テレパス」に読み取られたとしても問題ない「ピュアで美しいココロ」を保持しよう!

それが逆に、「魔法使い」なら護身術として会得しておきたい「閉心術」への近道かも!?

「ピュアで美しい感情」をもつことなんて、自分にはムリと、思ってしまうかもしれない。

でも、私に「向いている」コトもある。

子供の頃から続けている「ヴァイオリン」「ピアノ」「お琴」を弾くときは、

「ピュアで美しい感情」を「表現」できることが、自分の「個性」「自信」「能力」だった。

そして、最近は「踊り」でも、「ピュアで美しい感情」を「表現」できるようになった。

だから、同じ「表現力」でもって、自分の「個性」に合った「ピュアで美しい感情」を「表現」することは、実は自分に容易にできるハズのコトなのだ。

ふつうより「対人」が苦手すぎた時期があった。

「並み」どころか「どうあがいても自分らしくできない」「人にはできるのに自分にはぜったいできない」状態だった…いつまでもコレじゃほんとマズイ((( ゚д゚;)))

だから、ふつうより「かっこいいジェスチャーができる」とか、ふつうより「若さを保ち続ける」とか、ふつうより「女らしい」とかetc..そういう「人より”美人”」な自分をめざして初めて、過去の「惨劇」を乗り越えられる。

よりよい「対人」(「魅力的」「丁寧」「謙虚」「感じよい会釈」「可愛らしい」「愛嬌がある」「思いやりがある」)は、自分の「魅力」「”相手に好かれる”という確信」に自信をもってはじめて、生まれるモノ!

少し「誇大妄想」くらいに自分を「よく」考えないと、

「どうあがいてもぜったいできない」自分を、いつまでも「引きずって」しまいかねない。

ちょっと「常識」では考えられないくらい「誇大妄想」的な文章…でも実際に、自分を「変える」のに役に立っている!



(つづく・・)