さて、教如上人窟へ熊よけの鈴の音をさせながらやってきたベテラン登山者は、「この先、花はどうでしたか」と我々に聞いてきた。どうですかと言われても、わたくしたちは、いまやっとここまでヘロヘロになって到着した身である。「いえ、やっとここまで登ってきたので……」と言葉を濁すと、「この山は花が有名で全国から登りに来るんですよ」とのことである。わたくしたちは、今日の朝、ガイドブックをみて登ることを決めたばかりで、そんなことも全然しらないでいたのだった。
「とちらから来られたんですか」とか「良く来られるんですか」とか、当たり障りのないことを聞いているうちに、この方は、わたくしたちとは違って、本当のベテラン登山者であることがわかってきたのである。
わたくしたちも、実はかれこれ30年来、山に登ってはいるのである。これは普通に考えるとベテランと言って良いようにも思える。しかし単に長い間山に登っているだけではベテラン登山者とは言えないのであって、30年間、迷い続けているようでは、単に年とった素人というべきなのであろう。
それに比べてこの方は、国見岳にも10回ぐらい登っていて、愛知県から早朝にやってきて、日帰りで登り切るという、まさしく登山者の鏡みたいな方であった。
そういう方と対面していると、自転車用のディバッグの頭から、鍋の取っ手がはみ出ているような出で立ちの自分が、少々恥ずかしくなってくるのであった。山には普通家庭用の調理鍋なんか持って行かないものである。コッヘルを持って行くのである。
あまり話していると、どんどん気後れしてくるので、ここは先に行くに限る。「お先です。多分途中で抜かれると思いますけど」などと挨拶して、わたくしたちは先に出発したのであった。
ところが5分もたたないうちに、わたくしたちは、ベテラン登山者の方に追い越されたのであった。
(つづく、かもしれない)
28日は、国見岳・大禿山を登ってきた。
長者の里から、国見峠方面へ車で行ったのだけど、国見峠に至る道路が途中崩落していて、途中で全面通行止めになっている。
だいたい私たちの山歩きは、直前になって思い立って行くため、情報不足のことが多いのだが、今回も全く情報不足で、後に山で出会ったベテラン登山者の方によれば、昨年秋の豪雨で、国見峠あたりの道路がかなり崩落していて、荒れたままになっているとのことであった。
通行止め手前にあった駐車スペースに車を止めたが、そこが金岩の清水を超えた駐車スペースなのか、もっと手前なのか、どうもよく分からない。
そこより少し手前に車が数台駐車してあって、わき水が出ているところがあり、かなり急で足場は悪そうだが、登り口に見えなくもない場所があったので、私はそこが金岩の清水登山口ではないかと思ったのだが、子どもと連れ合いは、いくら何でもここは登れないだろうと言う。私は何とか登れそうな気がしたのだが、もし無理に登って違っていたら、後から何を言われるかわからないので、ここは二人に従って、もう少し先に進むことにする。
車両は全面通行止めになっているが、人が歩く分には問題ないだろうと思われたので、その先へ歩いていくと、何のことはない、地元の人が普通に車で通っていくではないか。進んでゆくと、車がUターンしていて年配の男の人が降りてきたので、登山口がどこか尋ねると、ほんの少し先だと教えてくれる。
そのまま歩いていくと、道路が大きく崩落していて、確かに車は通れなくなっていた。人は脇を通って進めるのでそのまま前進していくと、「KDDI管理地」という看板とともに、登山口を示すらしい道標が立っていた。ここからは急な登りで30分、国見峠からはなだらかな登りで30分で、主尾根分岐点(だったか、教如上人窟だったか)に着くと書いてある。
できれば、なだらかな登りを選びたいところだが、国見峠まで歩くと30分ぐらいかかるのではないかという連れ合いの言葉で、この急な登りを行くことになったのであった。
それにしても、ここが金岩の清水なのだろうか。とても沢には思えないのだが。
登り始めると、やはりかなり急である。そして落ち葉が溜まっていて足場が滑りがちである。少し登ると尾根に出たような気がしたが、それからもかなり急な登りが続く。素人感覚では、稜線を真っ直ぐに登っているくらいの感じがするのである。すぐにふくらはぎがパンパンになってくる。
頑張って登って、多分30分ぐらいで教如上人窟に着いた。すでにかなり疲れたので窟の手前で少々休憩した。謂われが書かれた看板を観ると、ここは、1600年ごろ、岐阜のほうで石田三成の手のものにおそわれた本願寺の教如上人がこの地の屈強な信者に連れられてここまで逃げ落ち、1ヶ月ぐらい、ここで地元信者が運んでくれる粗食に感謝しつつ隠れていたという、ありがたい場所なのであった。隠れていたのが夏でよかったよな、冬だったら凍え死んでいたよな、などと思いつつ休憩していると、熊よけの鈴の音がきこえ、ベテラン登山者らしき年配の方が登ってきたのであった。
(続く、かもしれない)
長者の里から、国見峠方面へ車で行ったのだけど、国見峠に至る道路が途中崩落していて、途中で全面通行止めになっている。
だいたい私たちの山歩きは、直前になって思い立って行くため、情報不足のことが多いのだが、今回も全く情報不足で、後に山で出会ったベテラン登山者の方によれば、昨年秋の豪雨で、国見峠あたりの道路がかなり崩落していて、荒れたままになっているとのことであった。
通行止め手前にあった駐車スペースに車を止めたが、そこが金岩の清水を超えた駐車スペースなのか、もっと手前なのか、どうもよく分からない。
そこより少し手前に車が数台駐車してあって、わき水が出ているところがあり、かなり急で足場は悪そうだが、登り口に見えなくもない場所があったので、私はそこが金岩の清水登山口ではないかと思ったのだが、子どもと連れ合いは、いくら何でもここは登れないだろうと言う。私は何とか登れそうな気がしたのだが、もし無理に登って違っていたら、後から何を言われるかわからないので、ここは二人に従って、もう少し先に進むことにする。
車両は全面通行止めになっているが、人が歩く分には問題ないだろうと思われたので、その先へ歩いていくと、何のことはない、地元の人が普通に車で通っていくではないか。進んでゆくと、車がUターンしていて年配の男の人が降りてきたので、登山口がどこか尋ねると、ほんの少し先だと教えてくれる。
そのまま歩いていくと、道路が大きく崩落していて、確かに車は通れなくなっていた。人は脇を通って進めるのでそのまま前進していくと、「KDDI管理地」という看板とともに、登山口を示すらしい道標が立っていた。ここからは急な登りで30分、国見峠からはなだらかな登りで30分で、主尾根分岐点(だったか、教如上人窟だったか)に着くと書いてある。
できれば、なだらかな登りを選びたいところだが、国見峠まで歩くと30分ぐらいかかるのではないかという連れ合いの言葉で、この急な登りを行くことになったのであった。
それにしても、ここが金岩の清水なのだろうか。とても沢には思えないのだが。
登り始めると、やはりかなり急である。そして落ち葉が溜まっていて足場が滑りがちである。少し登ると尾根に出たような気がしたが、それからもかなり急な登りが続く。素人感覚では、稜線を真っ直ぐに登っているくらいの感じがするのである。すぐにふくらはぎがパンパンになってくる。
頑張って登って、多分30分ぐらいで教如上人窟に着いた。すでにかなり疲れたので窟の手前で少々休憩した。謂われが書かれた看板を観ると、ここは、1600年ごろ、岐阜のほうで石田三成の手のものにおそわれた本願寺の教如上人がこの地の屈強な信者に連れられてここまで逃げ落ち、1ヶ月ぐらい、ここで地元信者が運んでくれる粗食に感謝しつつ隠れていたという、ありがたい場所なのであった。隠れていたのが夏でよかったよな、冬だったら凍え死んでいたよな、などと思いつつ休憩していると、熊よけの鈴の音がきこえ、ベテラン登山者らしき年配の方が登ってきたのであった。
(続く、かもしれない)
27日から29日まで、岐阜県揖斐郡の長者の里へキャンプに行ってきた。まぁ、かみさんに連れられて行ってきたというのが正確かもしれません。
長者の里のキャンプサイトは何故か連休にもかかわらず、我々以外に泊まりの客がおらず、まさしく貸し切り状態でした。
管理人の方より、事前情報は得ていたのですが、とにかく寒かったです。ダウンを持ってきた方が良いと言われて、「ちょっと大げさなんじゃないの?」と思っていたのですが、本当にダウンは必需でした。
昼間はそうでもありませんが、夜になると本当に冷え込んできて、明るいうちに食事をすませて、あとはテントの中でシュラフにくるまって過ごすしかありませんでした。
スリーシーズン用のシュラフなので、眠る時はそれほど厚着しなくても良いだろうと思っていたのですが、夜が更け、朝方になるにつれて、さらに冷え込みが激しく、ダウンを着込んでシュラフに入らないと、寒くて眠れませんでした。
だいたいキャンプに行くと、夜遅くまで騒いでいる方々がいて、眠れなくてイライラしてくるのが常ですが、貸し切り状態だったので、夜に聞こえてくるのは、すぐ横を流れる川の水の音とか、遠くでの犬の遠吠えぐらいで、朝方も少々鳥の囀りが聞こえる程度で、非常に静かでキャンプにしては、かなり良く眠れたのでした。
残念なのは、多分家族向けのキャンプ場だからでしょうが、照明が夜でもかなり明るく、晴天だったにもかかわらず、星があまり見えなかったことです。空気が澄んだところで観る星空は格別なだけに、残念でした。
まぁ、恐がりな私にとっては、夜トイレに行くのに明るいのは有り難くもあるのですが。
長者の里のキャンプサイトは何故か連休にもかかわらず、我々以外に泊まりの客がおらず、まさしく貸し切り状態でした。
管理人の方より、事前情報は得ていたのですが、とにかく寒かったです。ダウンを持ってきた方が良いと言われて、「ちょっと大げさなんじゃないの?」と思っていたのですが、本当にダウンは必需でした。
昼間はそうでもありませんが、夜になると本当に冷え込んできて、明るいうちに食事をすませて、あとはテントの中でシュラフにくるまって過ごすしかありませんでした。
スリーシーズン用のシュラフなので、眠る時はそれほど厚着しなくても良いだろうと思っていたのですが、夜が更け、朝方になるにつれて、さらに冷え込みが激しく、ダウンを着込んでシュラフに入らないと、寒くて眠れませんでした。
だいたいキャンプに行くと、夜遅くまで騒いでいる方々がいて、眠れなくてイライラしてくるのが常ですが、貸し切り状態だったので、夜に聞こえてくるのは、すぐ横を流れる川の水の音とか、遠くでの犬の遠吠えぐらいで、朝方も少々鳥の囀りが聞こえる程度で、非常に静かでキャンプにしては、かなり良く眠れたのでした。
残念なのは、多分家族向けのキャンプ場だからでしょうが、照明が夜でもかなり明るく、晴天だったにもかかわらず、星があまり見えなかったことです。空気が澄んだところで観る星空は格別なだけに、残念でした。
まぁ、恐がりな私にとっては、夜トイレに行くのに明るいのは有り難くもあるのですが。
さむわんは、一応本名で、facebookのアカウントを持っています。ほとんど活用してなくて、でも数人の友達がいて、彼らが何か投稿したりすると、それをみるくらいしかしていませんが。
今日、すごく懐かしい友人からfacebookメッセージと友達リクエストが届きました。
小中高と一緒だったやつで、音楽仲間で、高校2年、3年と2回、学園祭でバンドを組んで演奏した仲です(僕が足を引っ張ってました……)。
別の大学に進学してからは、一度一緒に金沢の友達のところへ遊びに行ったような気がするけど、それ以来徐々に疎遠になってしまっていたので、おそらく30年以上振りに(まだネット上ですが)再開した格好です。
彼はfacebookに顔写真を載せていて、見るからにナイス・ミドルという雰囲気です。
このあたりでは一番の大学を出ているし、きっと今では大会社の部長さんにでもなっていて、僕とは全然違うメインストリームを歩んでいるのだろうな、facebook上でとはいえ、僕と友達になるのはどうなんだろう……、などと思いながら、でも、懐かしさらか友達申請を承認してしまいました。
そして、その後、立て続けにfacebookメッセージで近況を報告しあっているうちに、彼もそれほど順風満帆な人生を歩んだのではないことを知りました。
大学を8年でなんとか卒業し、その後は会社を転々として、今の会社は勤続10年だと。
でも元気でやっていて、高校時代の恋人と結婚し、今も一緒にいるということでした。そしてギターもまだ弾いていると。
僕は大学を4年半で中退し、その後、転職を繰り返し、やっと落ち着いた会社は廃業してしまい、今は無職状態。エレキギターは壊れたまま。僕も高校のときに大好きだった女の子がいたけど、今どこでどうしているのかもわからない。
この1年、自分の中では浮き沈みが激しかったけど、今は現実を受け入れることができているような気がして、僕も元気です。
「とりあえず生きていることに感謝しています」と彼は言う。
そうだよな、とりあえず生きていること、そのことを、僕も噛みしめないとな、などと思う。
生きていれば、またリアルでも出会うこともあるかもしれないですね。
今日、すごく懐かしい友人からfacebookメッセージと友達リクエストが届きました。
小中高と一緒だったやつで、音楽仲間で、高校2年、3年と2回、学園祭でバンドを組んで演奏した仲です(僕が足を引っ張ってました……)。
別の大学に進学してからは、一度一緒に金沢の友達のところへ遊びに行ったような気がするけど、それ以来徐々に疎遠になってしまっていたので、おそらく30年以上振りに(まだネット上ですが)再開した格好です。
彼はfacebookに顔写真を載せていて、見るからにナイス・ミドルという雰囲気です。
このあたりでは一番の大学を出ているし、きっと今では大会社の部長さんにでもなっていて、僕とは全然違うメインストリームを歩んでいるのだろうな、facebook上でとはいえ、僕と友達になるのはどうなんだろう……、などと思いながら、でも、懐かしさらか友達申請を承認してしまいました。
そして、その後、立て続けにfacebookメッセージで近況を報告しあっているうちに、彼もそれほど順風満帆な人生を歩んだのではないことを知りました。
大学を8年でなんとか卒業し、その後は会社を転々として、今の会社は勤続10年だと。
でも元気でやっていて、高校時代の恋人と結婚し、今も一緒にいるということでした。そしてギターもまだ弾いていると。
僕は大学を4年半で中退し、その後、転職を繰り返し、やっと落ち着いた会社は廃業してしまい、今は無職状態。エレキギターは壊れたまま。僕も高校のときに大好きだった女の子がいたけど、今どこでどうしているのかもわからない。
この1年、自分の中では浮き沈みが激しかったけど、今は現実を受け入れることができているような気がして、僕も元気です。
「とりあえず生きていることに感謝しています」と彼は言う。
そうだよな、とりあえず生きていること、そのことを、僕も噛みしめないとな、などと思う。
生きていれば、またリアルでも出会うこともあるかもしれないですね。