中学生だったころ、35年ぐらい前のことだ。僕はフォークソングが大好きで、井上陽水とか、吉田拓郎なんかを良く聴いていた。近所にあったギター工場で安物のギターを手に入れて、調弦もまともにできずに、引っかき回しながらうたっていた。
河島英五や森田童子を初めて聴いたのも中学生のころだったと思う。
龍を聴いたのも中学生の頃だった。どうして龍を知ったのか思い出せないが、おそらく、たまたまラジオでかかっていた「あわせ鏡」という曲を聴いたのだったと思う。田舎の中学生に当時の龍の世界が分かったとは思えないが(今でも分からないかも)、とにかく僕はこの歌の暗さに惹き付けられたのだったし、龍が『新譜ジャーナル』に連載していた文章にも何かを感じていたのだった。
なけなしの小遣いを使ってアルバムも購入したが、勝手に借りていった「友達」から帰ってきたアルバムは、なぜか湾曲してしまっていて、二度と聴くことができなくなっていた。(歴史的な名盤だと個人的には思っているのでぜひCDで再発売してほしい)
ついでながら、勝手にアルバムを持って行った友達は、いつも僕にちょっかいを出していじめるので、あまり好きではなかった。でも多分彼は淋しかったんだろうと、後になって思った。彼はその後数多の不幸に襲われ、若くして亡くなったと風の便りで知った。
さて、残念ながら「あわせ鏡」はそれほどヒットすることなく、龍のセカンド・シングル「最後のジルバ」は、僕が手に入れる前に、レコード屋さんから消えていた。そしてサード・シングルを見つけることはついになかったのだった。
それから年月をへて、インターネットが普及し、検索すれば何でも情報が得られるようになって、僕は昔を思い出すと、度々、龍、あわせ鏡、などというキーワードでググッてみたりした。ヤフオクで「あわせ鏡」や「最後のジルバ」を見つけて、おぉ、と思うことはあったが、龍のその後については全くわからず、きっとその音楽を世間に受け入れられずに、消えていったのだろう……、とか思っていたのだった。
でも龍は生きていた。そして、歌っていた。
河島英五や森田童子を初めて聴いたのも中学生のころだったと思う。
龍を聴いたのも中学生の頃だった。どうして龍を知ったのか思い出せないが、おそらく、たまたまラジオでかかっていた「あわせ鏡」という曲を聴いたのだったと思う。田舎の中学生に当時の龍の世界が分かったとは思えないが(今でも分からないかも)、とにかく僕はこの歌の暗さに惹き付けられたのだったし、龍が『新譜ジャーナル』に連載していた文章にも何かを感じていたのだった。
なけなしの小遣いを使ってアルバムも購入したが、勝手に借りていった「友達」から帰ってきたアルバムは、なぜか湾曲してしまっていて、二度と聴くことができなくなっていた。(歴史的な名盤だと個人的には思っているのでぜひCDで再発売してほしい)
ついでながら、勝手にアルバムを持って行った友達は、いつも僕にちょっかいを出していじめるので、あまり好きではなかった。でも多分彼は淋しかったんだろうと、後になって思った。彼はその後数多の不幸に襲われ、若くして亡くなったと風の便りで知った。
さて、残念ながら「あわせ鏡」はそれほどヒットすることなく、龍のセカンド・シングル「最後のジルバ」は、僕が手に入れる前に、レコード屋さんから消えていた。そしてサード・シングルを見つけることはついになかったのだった。
それから年月をへて、インターネットが普及し、検索すれば何でも情報が得られるようになって、僕は昔を思い出すと、度々、龍、あわせ鏡、などというキーワードでググッてみたりした。ヤフオクで「あわせ鏡」や「最後のジルバ」を見つけて、おぉ、と思うことはあったが、龍のその後については全くわからず、きっとその音楽を世間に受け入れられずに、消えていったのだろう……、とか思っていたのだった。
でも龍は生きていた。そして、歌っていた。
しつこいのでもう辞めますが、続きです。
ベテラン登山者が出発してから少しして、わたくしたちも以前は鉄塔があった広場を後にしたのであった。
わたくしたちは、ベテラン登山者のアドバイス通り、国見峠に下る緩やかな登山道を降りていこうと思っていたのであるが、人生なかなか思った通りにいかないのが常である。ちょうど分岐点のあたりで、それぞれ犬を連れた夫婦らしき男女の登山者に出会ったのである。その方々が言うには、国見峠から登ろうとしたのだが、国見峠へ至る道路が崩落していて引き返さざるを得なかったと言うのである。わたくしたちは、道路は崩落していても人が山側を通ることはできるとふんでいたので、「人は通れたんじゃないですか?」と問うたのであるが、「いや、人も通れませんでした」とのことである。
もし彼らに出会わなければ、国見峠まで降りて、さらに少し道路を下ったあたりで通行することができず、また国見峠からこの分岐点まで登ってから、今朝登ってきた急な下りをくだらなければならなかったわけだから、わたくしたちはこの貴重な情報に大いに感謝したのであった。
金石の清水方面の急な下りは、落ち葉場溜まっていて滑りやすく、せっかくの下りもゆっくり歩かざるをえない。良く滑るので、いっそ段ボールでもしいて滑り降りて行きたいという気になるが、もちろんそんなことをしたら、すぐに登山道から飛び出して滑落していくことであろう。
下りでは膝をやられることが多いのだが、今日はそれほど痛くなることもなく、何とか舗装路まで降りることができた。やれやれである。
少し下ったところに清水がわき出ているところがあり、そこで手を洗ったりして一服していると、ベテラン登山者が降りてきたのであった。彼はきっと一旦国見峠へ降りたあと、道路が通行できずにまた登り返して降りてきたのだろうかと気の毒に思っていると、「あれ、国見峠へ降りなかったのですか?」と言われたのであった。途中で登ってきた人に国見峠まで行くことができなかったと言われたのだと説明すると、「いや、普通に通れましたよ」と言う。あれま、あのお二人の情報は一体何だったんだろうと思ったのであったが、まぁ、考えてみれば、仮に道路が崩落していても、山側を人が通れないということはないよな、とも思ったのであった。
ベテラン登山者はちょうど清水が湧いているあたりに車を止めていた。下まで乗せていってくれると言ってくれたが、わたくしたちの車も、それほど遠くにあるわけではないので、歩いて行くことにして、ここでお別れとなったのであった。
わたくしたちは、かなり疲れ、汗もかいたので、「かすがモリモリ村リフレッシュ館」で温泉にでもつかってからテントに戻ろうということになり、モリモリ村に向かったのであった。
そして、モリモリ村の売店入り口で、わたくしたちはまた、おやきを買おうとしているベテラン登山者に出会ったのであった。わたくしたちは、これから温泉につかってテントに戻ってゆっくりするのだが、彼は車を飛ばして名古屋方面まで帰るのだろう。そして、もしかしたら、明日はまた早朝から別の山に出かけるのかも知れない。
標高差500m程度の山歩きでも、わたくしたちにとっては、かなり疲れるし、膝が痛くなり、次の日には間違いなく、ももやふくらはぎは酷い筋肉痛だ。
それでも、また山歩きに行きたい、そう思わせるものが、山にはある。素人山歩き者ではあるが、素人は素人なりに、そう思うのである。
ベテラン登山者が出発してから少しして、わたくしたちも以前は鉄塔があった広場を後にしたのであった。
わたくしたちは、ベテラン登山者のアドバイス通り、国見峠に下る緩やかな登山道を降りていこうと思っていたのであるが、人生なかなか思った通りにいかないのが常である。ちょうど分岐点のあたりで、それぞれ犬を連れた夫婦らしき男女の登山者に出会ったのである。その方々が言うには、国見峠から登ろうとしたのだが、国見峠へ至る道路が崩落していて引き返さざるを得なかったと言うのである。わたくしたちは、道路は崩落していても人が山側を通ることはできるとふんでいたので、「人は通れたんじゃないですか?」と問うたのであるが、「いや、人も通れませんでした」とのことである。
もし彼らに出会わなければ、国見峠まで降りて、さらに少し道路を下ったあたりで通行することができず、また国見峠からこの分岐点まで登ってから、今朝登ってきた急な下りをくだらなければならなかったわけだから、わたくしたちはこの貴重な情報に大いに感謝したのであった。
金石の清水方面の急な下りは、落ち葉場溜まっていて滑りやすく、せっかくの下りもゆっくり歩かざるをえない。良く滑るので、いっそ段ボールでもしいて滑り降りて行きたいという気になるが、もちろんそんなことをしたら、すぐに登山道から飛び出して滑落していくことであろう。
下りでは膝をやられることが多いのだが、今日はそれほど痛くなることもなく、何とか舗装路まで降りることができた。やれやれである。
少し下ったところに清水がわき出ているところがあり、そこで手を洗ったりして一服していると、ベテラン登山者が降りてきたのであった。彼はきっと一旦国見峠へ降りたあと、道路が通行できずにまた登り返して降りてきたのだろうかと気の毒に思っていると、「あれ、国見峠へ降りなかったのですか?」と言われたのであった。途中で登ってきた人に国見峠まで行くことができなかったと言われたのだと説明すると、「いや、普通に通れましたよ」と言う。あれま、あのお二人の情報は一体何だったんだろうと思ったのであったが、まぁ、考えてみれば、仮に道路が崩落していても、山側を人が通れないということはないよな、とも思ったのであった。
ベテラン登山者はちょうど清水が湧いているあたりに車を止めていた。下まで乗せていってくれると言ってくれたが、わたくしたちの車も、それほど遠くにあるわけではないので、歩いて行くことにして、ここでお別れとなったのであった。
わたくしたちは、かなり疲れ、汗もかいたので、「かすがモリモリ村リフレッシュ館」で温泉にでもつかってからテントに戻ろうということになり、モリモリ村に向かったのであった。
そして、モリモリ村の売店入り口で、わたくしたちはまた、おやきを買おうとしているベテラン登山者に出会ったのであった。わたくしたちは、これから温泉につかってテントに戻ってゆっくりするのだが、彼は車を飛ばして名古屋方面まで帰るのだろう。そして、もしかしたら、明日はまた早朝から別の山に出かけるのかも知れない。
標高差500m程度の山歩きでも、わたくしたちにとっては、かなり疲れるし、膝が痛くなり、次の日には間違いなく、ももやふくらはぎは酷い筋肉痛だ。
それでも、また山歩きに行きたい、そう思わせるものが、山にはある。素人山歩き者ではあるが、素人は素人なりに、そう思うのである。
しつこいけど続きである。
KDDIの管理地で、おそらく以前には大きな鉄塔が建っていたであろうと思われる広場みたいなところから歩くこと15分ぐらい(?)で国見岳山頂に到着。山頂は1126mあるが、登山口からの標高差は500m程度である。ここで辞めてもよかったが、大禿山までは30分程度なので、そちらまで行くことにする。
大禿山からは伊吹山がすぐ近くに見える。どうもわたくしの中では、大垣から揖斐に来ていて、すぐそこに伊吹山が見えるというのは納得がいかない。わたくしの頭の中では地理がグチャグチャになっているようである。ここで早めの昼食にしても良かったのだが、KDDI管理地まで戻って休憩することにして、来た道を戻ったのであった。
広場でEPIガスを使って鍋で湯を沸かし、カップラーメンをすすり、遠くの山々を眺めながら、寝ころんでうとうとしたりしていると、ここでまたベテラン登山者がやって来た。彼は大禿山からさらに御座峰まで歩いて戻ってきたのであった。「途中で、家族連れがいましたという人がいたので、あなた方かなと思いました」と話しかけてくれて、ここでも「あの遠くの真っ白な山は白山で、まだらに見えるのは能郷白山ですね。いい山ですよ」などと、いろいろ教えてくれたのであった。
「ここは大きなアンテナがあったんですよ」と言われるので、「ああ、やっぱりそうですか。ガイドブックにアンテナがあると書いてあるのに全然見あたらないので、そうかなと思いました」と返すと、「『名古屋の周辺の山200』でしょう? あれは酷いですよ。改訂版が出たときにはもうアンテナは撤去されていたんです。そんな好い加減なガイドブックを出しちゃ行けないと抗議したんですよ。ここだけじゃなくて情報が古いんです。遭難者がでますよ。」「あの本よりは、分冊で出てる『岐阜県の山』のほうが正確です」とのことであった。
そういわれると私にも思い当たる節があったのである。昨年の秋(だったか?)奥三河の三ヶ根山に登った折、山頂から下る道を探すのに、全然分からなくて、右往左往したことがあったのである。そうだったのか、山渓のヤロー、と思ったものであったが、後で『名古屋の周辺の山200』を観てみると、三ヶ根山は載ってなくて、これは冤罪であった。
ベテラン登山者は、「帰りは国見峠に下る道を行った方が良いですよ。」とアドバイスをくれ、そして、「また山を登りに来て下さい」と、岳みたいなセリフを決めて、先に出発していったのであった。
(続く、かもしれない)
KDDIの管理地で、おそらく以前には大きな鉄塔が建っていたであろうと思われる広場みたいなところから歩くこと15分ぐらい(?)で国見岳山頂に到着。山頂は1126mあるが、登山口からの標高差は500m程度である。ここで辞めてもよかったが、大禿山までは30分程度なので、そちらまで行くことにする。
大禿山からは伊吹山がすぐ近くに見える。どうもわたくしの中では、大垣から揖斐に来ていて、すぐそこに伊吹山が見えるというのは納得がいかない。わたくしの頭の中では地理がグチャグチャになっているようである。ここで早めの昼食にしても良かったのだが、KDDI管理地まで戻って休憩することにして、来た道を戻ったのであった。
広場でEPIガスを使って鍋で湯を沸かし、カップラーメンをすすり、遠くの山々を眺めながら、寝ころんでうとうとしたりしていると、ここでまたベテラン登山者がやって来た。彼は大禿山からさらに御座峰まで歩いて戻ってきたのであった。「途中で、家族連れがいましたという人がいたので、あなた方かなと思いました」と話しかけてくれて、ここでも「あの遠くの真っ白な山は白山で、まだらに見えるのは能郷白山ですね。いい山ですよ」などと、いろいろ教えてくれたのであった。
「ここは大きなアンテナがあったんですよ」と言われるので、「ああ、やっぱりそうですか。ガイドブックにアンテナがあると書いてあるのに全然見あたらないので、そうかなと思いました」と返すと、「『名古屋の周辺の山200』でしょう? あれは酷いですよ。改訂版が出たときにはもうアンテナは撤去されていたんです。そんな好い加減なガイドブックを出しちゃ行けないと抗議したんですよ。ここだけじゃなくて情報が古いんです。遭難者がでますよ。」「あの本よりは、分冊で出てる『岐阜県の山』のほうが正確です」とのことであった。
そういわれると私にも思い当たる節があったのである。昨年の秋(だったか?)奥三河の三ヶ根山に登った折、山頂から下る道を探すのに、全然分からなくて、右往左往したことがあったのである。そうだったのか、山渓のヤロー、と思ったものであったが、後で『名古屋の周辺の山200』を観てみると、三ヶ根山は載ってなくて、これは冤罪であった。
ベテラン登山者は、「帰りは国見峠に下る道を行った方が良いですよ。」とアドバイスをくれ、そして、「また山を登りに来て下さい」と、岳みたいなセリフを決めて、先に出発していったのであった。
(続く、かもしれない)
さて、教如上人窟を出発すること5分でベテラン登山者はわたくしたちに追いつき、悠々と追い越していったのだったが、その折りも、「ああ、やっぱり咲いてますね」と小さな白い草花が咲いているのを教えてくれたり、わたくしたちが「もしかしてイノシシの糞ではないか」とか話し合って、ちょっとびびっていた動物の糞を、「これは鹿ですね。このへんは多いんですよ」と教えてくれたりしたのだった。
ところで、わたくしたちが見つけた動物の糞をイノシシのものではないかと考えたのには理由があったのであって、すなわち、テント場の管理人に、「多分イノシシが出ることはないと思いますが……」と、このあたりにはイノシシが生息していると言われていたのであったし、わたくしにとっては、鹿の糞とは、動物園のふれあいコーナーみたいなところで良く見かけるコロっとしたつぶつぶの小さな糞であって、ここで見かけたのは、もっと大きくて若干湿り気を感じるものであったのである。
ベテラン登山者は先を行き、わたくしたちは、枯れ葉が若干少なくなって、傾斜も若干なだらかになったルートを、それでもフゥフゥ言いながら登っていったのである。
登っていると、暑くて汗をかいたり、風が強い場所では寒くなったりするので、わたくしはウインドウブレーカーを着たり脱いだりして体温調整をしながら登るのであるが、愚息は暑さも寒さもあまり気にせず、淡々と登っていく。若いとはいえ、便利な男である。
国見峠からの登りとの合流点を過ぎて、さらに登ってゆくと、雪が残っており、ロープが張ってある急登もあり、そこを超えてさらに行くと、持って行ったガイドブックによれば、巨大なアンテナが迫ることになっているが、それらしいものが一切現れず、不思議に思いつつも進んでいくと、平らな広場のような所に出た。おそらく巨大アンテナは撤去されたのだろうと言い合いながら、少し休憩したのであった。ここは眺望が開け、周りの山々を望むことができる。国見岳山頂ももう少しである。
(つづく、かもしれない)
ところで、わたくしたちが見つけた動物の糞をイノシシのものではないかと考えたのには理由があったのであって、すなわち、テント場の管理人に、「多分イノシシが出ることはないと思いますが……」と、このあたりにはイノシシが生息していると言われていたのであったし、わたくしにとっては、鹿の糞とは、動物園のふれあいコーナーみたいなところで良く見かけるコロっとしたつぶつぶの小さな糞であって、ここで見かけたのは、もっと大きくて若干湿り気を感じるものであったのである。
ベテラン登山者は先を行き、わたくしたちは、枯れ葉が若干少なくなって、傾斜も若干なだらかになったルートを、それでもフゥフゥ言いながら登っていったのである。
登っていると、暑くて汗をかいたり、風が強い場所では寒くなったりするので、わたくしはウインドウブレーカーを着たり脱いだりして体温調整をしながら登るのであるが、愚息は暑さも寒さもあまり気にせず、淡々と登っていく。若いとはいえ、便利な男である。
国見峠からの登りとの合流点を過ぎて、さらに登ってゆくと、雪が残っており、ロープが張ってある急登もあり、そこを超えてさらに行くと、持って行ったガイドブックによれば、巨大なアンテナが迫ることになっているが、それらしいものが一切現れず、不思議に思いつつも進んでいくと、平らな広場のような所に出た。おそらく巨大アンテナは撤去されたのだろうと言い合いながら、少し休憩したのであった。ここは眺望が開け、周りの山々を望むことができる。国見岳山頂ももう少しである。
(つづく、かもしれない)