長嶋茂雄急逝 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今朝、テレビで「ニュース速報」のテロップが出た。

どうせまた大した事ない情報だろうと思ったら、長嶋茂雄死去の報。

思わず声が出た。

 

今でこそ、野球が大好きだが、長嶋氏が選手時代は野球が嫌いだった。

理由はまだ幼な過ぎて、ナイター中継でディズニーやプロレス、連続ドラマが放送されなくなるという、幼児にとっては敵だった。(苦笑)

しかし、野球を知らなくても長嶋と王だけは認識出来ていた。

それだけ、長嶋茂雄の存在感はあの時代の日本では大きかった。

差し詰め、今野球観ない人でも大谷翔平の存在と活躍と人気は知ってるようなものだろう。

そして、今はアメリカのメジャーリーグが日本プロ野球を注目・勉強するほどだが、日本プロ野球がここまで国民的人気になったのは長嶋茂雄が入団したことが由来である。

まあ、日本人は野球が好きではあったが、遥か昔はプロではなく学生野球が超絶人気で、意外だが大学野球が最も人気が高かったらしい。

そんな人気の中、東京六大学野球で立教大学に突如登場した当時の日本人離れした学生が日本を魅了することになる。

それこそが長嶋茂雄だった。

記録も作ったが、人を魅せつけるプレーと天真爛漫な人柄が、遠慮がちな日本人がマジョリティーの時代に光り輝いていた。

それはプロ入りしても変わらずどころか、職業野球と言う事でより鮮烈になっていく。

ヒット量産、チャンスにホームラン、は当たり前だが、三振も絵になる選手は彼が初めてだ。

打者だけでなく、守備でも、イージーゴロをさも難しそうにさばいたり、サードゴロを余裕で取ってもすぐスローイングしないとか、挙句セカンドゴロをサードから取りにいったり、サード寄りのピッチャーゴロを投手に「取るな!」と叫んで取りにいったりとか。(笑)

とにかく、プロとして見る者を楽しませる事に真剣に取り組んだ。

アスリートにしてエンターテイナーであった。

 

それに魅了されてプロ野球を目指す少年が増え、その後、長嶋の後輩として、長嶋のライバルとして、長嶋を目指す者として、日本プロ野球を背負う事になる。

松井秀喜はもちろん、イチローや大谷翔平も長嶋の産物と言っても良いだろう。

日本のプロ野球において、1つの時代が終わったと言えるだろう。

 

改めて、ミスターに心よりお悔やみ申し上げます。