モヤモヤ ブラ 散歩~旧東海道中膝苦裡戯 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

辰年にちなみ、初詣を龍神の「荏原神社」にて済ませました。

荏原神社は東京都品川区に在ります。

最寄り駅は京成線「新馬場」駅。

「しんばんば」と読みます。

「しんばば」ではありません。

そして荏原神社は、龍神祀でもあるのでその前を川が流れています。

こちらは目黒川。

川沿いに東へ進むとまた橋とぶつかります。

品川橋と言うのですが、ここを通る道が実は「旧東海道」になります。

品川橋上から北を臨むと「北品川商店街」となっていますが、元々は旧東海道!

緩やかな勾配を歩いて行くと、正月らしく松の木があり説明板もある。

「袋井宿の松」と言うらしいですが、現代になってむかしの風情を偲ぶべく植えられたようで、こんな感じの松の木が道路脇に結構見受けられる通りです。

そのまま進むと山手通りにぶち当たります。

ちょっと寄り道で山手通りを西に歩くと、今度は第一京浜道とぶつかる。

上掲画像の右が新馬場駅です。

そして左に見える高いマンションの先に地元で有名なお社があります。

「品川神社」と言い、よく見ると解るのですが、階段の途中まで参拝客がずーーっと並んでいます。

ま、初詣は済ませたばかりだし、ここ品川神社にはこの高さを利用した「富士塚」があるので、そちらへ寄ってみます。

これを登り切った頂上からの眺めがいいです!

降りて第一京浜の向こうに見える道を行くと、

「北馬場参道通り商店街」になっていて、品川神社の参道だったんでしょう。

この商店街の脇に入る道が面白そうなので入ってみます。

なかなか味わいのある路地で、雰囲気のあるレンガ塀が続く。

ちょっとクネったこの小道を道なりに進み切ると、目前にお寺があり「成田山」の提灯と「東海道七福神」の幟が見える。

「一心寺」という名で、こちらも参拝客が多かった。

で、このお寺の前の道が再び「旧東海道」で「北品川商店街」の続きになります。

このまま真っ直ぐ行くと品川駅へ通じます。

品川駅を目指し歩こうとしたら、膝が痛くなってきた…。

昨年後半から左膝の内側が痛くなりだした。

普段は、床座りしていて立ち上がるとその時に痛みが走るも、しばらくすると痛みが落ち着くのだったが、年末から階段を昇ったり、普通に歩いていてもひょんな拍子で膝が痛むことも…。

せっかく年の初めの散歩なのに…。(苦笑)

ゆっくり無理せずに歩いて行きましょう。

しばらく歩くと「品川宿」の碑を発見。

旧東海道は江戸時代の重要道路で江戸を目指す、または江戸から地方へ向かう旅人の旅籠が多かった場所。

昔はその殆どが徒歩での移動でしたからね。

ちなみに、植え込み右側の古い石は、江戸末期~明治初期の東海道品川宿の街道筋の土留めと目黒川の護岸を兼ねた石垣として組まれていたものだそうです。

引き続き、旧東海道を歩くとまた興味深いものが。

コンビニのあるマンションじゃねっか!って?

まあ、そうなんですが、マンション入り口にある案内板を見ると…、

「土蔵相模」と記されています。

こちらはかつて酒楼相模屋は高級妓楼として知られ、そのナマコ壁から「土蔵相模」と通称されていました。

その土蔵相模には、文久2年(1862)12月12日夜、高杉晋作、井上馨、伊藤博文ら長州藩の志士が御殿山に建設中の英国公使館を焼き払った際には集結地となり、さらにはあの「桜田門外の変」決行前夜に浪士たちが別杯を交わしたのもここだったとの事!

時代を変えるクーデターの、まさに歴史的な場所だったのが此処です。

いやぁ、なんかほんの二駅分の散歩にもかかわらず、色々と歴史を感じるものが多いです。

そしてそろそろ品川駅間近まで来ました。

この線路の先が品川駅となります。

ここまで来たら気分的なものなのか、膝の痛みも落ち着いて、無事に品川駅に到着できました。

めでたしめでたし。(笑)