ティナ・ターナー逝去 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

今朝、パソコンをオンにして目に入った訃報に思わず声が出た。

ティナ・ターナー死去の報道…。

ここ5年ほど様々な病との闘病生活が続いていたらしい。

現在生活しているスイスの自宅で2023年5月24日息を引き取った…。

 

彼女の、爆発的エネルギーとセクシーなパフォーマンスなどから「ダイナマイト・セクシー」とか言われるくらいに人々の目を惹いた。

1960年代にソウルミュージシャンのギタリスト“アイク・ターナー”と結婚し、アイク&ティナ・ターナーとして活躍しヒットソングを多発。

CCRの「プラウド・メアリー」をカバーし大ヒットさせる。

しかし、夫アイクの度重なるDBが原因で離婚。

それからしばらくの間、不遇の時代を過ごすも、1980年代にソロシンガーとしてキャリア上の最盛期を迎える。

ここで、「愛の魔力」、「プライベート・ダンサー」のヒットソングを発表。

今までのソウルミュージックを下地に、よりポップ色やR&R色を前面に出し、アイクよりももっと格上や旬の男性ミュージシャン~ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイ、ブライアン・アダムス、らとの共演を果たす。

この辺りから、「ロックンロールの女王」と言う名称が付くようになった。

直後、人気映画シリーズ「マッドマックス/サンダーストーム」に出演&テーマ曲を担当し、一躍時の人となる。

あの『ローリング・ストーン』誌で黒人で初めて表紙になったアーティストであり、8度のグラミー受賞、単独有料公演動員ギネス認定、等々、その人気・実力・名声を手にする。

その後、彼女の半世が本、映画、舞台となり、特に女性の支持をより得て、アーティストだけでなく彼女の人間性も高く評価されるようになっていった。

 

全盛期の1985年の年末に来日公演を果たした際に行きました!

覚えてるのは、やはりあの声の響きの凄さと、キーボード&サックスの男性プレイヤーがコナン・ザ・グレートのようなマッチョマンで、筋肉を露出しながらプレイするのをティナが擦り寄って歌うなんともアメリカンなセクシーさ!(笑)

まさに「ダイナマイト」なステージでした。

 

せっかくなので、80年代カムバックした頃の大ヒット曲「愛の魔力」のライブ・バージョンで。

続いて、この時代の成功の引き金となった曲、アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」のカバー。

最後に、アイク&ティナ・ターナー時代のヒット曲でC.C.Rのカバー「プラウド・メアリー」をあの「エド・サリヴァン・ショー」から。

(同番組でかつてエルヴィス・プレスリーの腰の揺れ方が猥褻だと上半身しか映さなかったエピソードがあるが、コーラス&ダンサーとこりゃもう腰振りまくり、胸揺すりまくり!)

やはり「ダイナマイト」ティナです!

 

ティナ・ターナー、享年83歳。

R.I.P。