テレビ局「東京12チャンネル」開局日 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

1964年4月12日、日本で1つの在京テレビ局が開局。

「科学テレビ 東京12チャンネルテレビ」がそれ。

文字通り、東京で12チャンネルに入れると映るテレビ局。

現在の「テレビ東京」です。

前進の「東京12チャンネル」は、元々「日本科学技術振興財団」がそのテレビ電波免許の取得者であったため前述の「科学テレビ 東京12チャンネルテレビ」という命名でスタート。

12チャンネルの周波数は、戦後の在日米軍のレーダー用に使用していた周波数帯が、空いたのでテレビ放送にあてがう事となった。

本来は、NHK教育テレビ(現:Eテレ)のように、科学をフィーチャーしつつそこに教養番組と報道番組を加味する事を念頭に置いた超真面目なテレビ放送局。

ただ、いわゆるVHFと言う在京キー局に入る電波ながらも、東京にいても映らない世帯も多々あったようだ。

開局当初の放送は、財団の「日本科学技術振興財団」が母体となって設立された科学技術学園工業高等学校の授業を放送。

今の「放送大学」のような感じだったのだろう。

しかもコマーシャルを入れずに運営すると言う堅物ぶり。

当然ながら開局1年で運営頓挫に見舞われる。

外部から経営の手腕を見込まれた生命保険会社社長をを局長に迎え、他局から優れた人材を向かい入れ、難局を乗り切った。

 

ここからは、安くつくテレビ番組を放送し、東京キー局のポジションにありながらも、東京都民でさえ「東京のUHF局」と言っていた。(笑)

しかし、ここからが現在のテレビ東京にまでも続く“不屈の12チャンネル魂”で、大きくなっていった。他のキー局とは違うコンテンツを供給し、一部のマニア心を掴んでいく。

個人的に言えばキー局は自局で制作したアニメや特撮などの子供番組を生み出し、さらに再放送もした。

12チャンネルは、古い海外のアニメを放送し子供を惹きつける。

これが、私自身大好きな「ハンナ・バーベラ」作品などだった。

「まんがのくに」、「まんがキッドボックス」と言った18時台に放送。

さらに週末の深夜にはお色気番組「独占!男の時間」など女性裸体が平気で出てくるコンテンツ。

スポーツだって、どこよりもサッカー中継番組「三菱ダイアモンドサッカー」を放送するも、なんと30分番組!

信じられないことにサッカーの試合を前半・後半を2週にかけて放送すると言う型破りさ!!

さらに当時華やかなりし歌謡番組も懐メロを大々的に扱い、かつての栄華を持つ歌手が大集合。

映画も、国産映画だけを放送する映画枠など…。

それでも、やはり人を惹きつける企画で楽しませてくれました。

そしてその後はヒット作品を今も連発しており、1981年の秋改編時に名前を「テレビ東京」と改め快進撃は続く。

ここ何年かは、当初は圧倒的差をつけていた他の在京キー局を凌駕する人気ぶりも。

 

ただ個人的に時々「テレビ東京」ではなく、敢えてかつての「東京12チャンネル」時代に放送したコンテンツが観たくてたまらない欲求にかれることがあります。

 

ってなわけで、本日「テレビ東京(旧 東京12チャンネル)」57歳のお誕生日おめでとう!(笑)