野村克也、死去 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

プロ野球界の名士、野村克也氏が本日2月11日自宅で倒れた状態で発見され死亡が確認された。

 

かつてのパリーグ南海ホークス(現 福岡ソフトバンクホークス)の名捕手~選手兼監督として活躍。

後に、ヤクルト、阪神、楽天の監督として辣腕を振るい、選手のみならず監督、また解説者としても偉業を果たした。

 

正直、捕手時代の野村氏のやり方というのは卑怯なので好きではなかったが、弱い者が勝つためには何でもする姿勢は後々「なるほど」と思える事も。

今ではヤクルトファンの自分ですが、野村氏が監督だった時代のヤクルトは特別ファンではなかったが氏の提唱した「ID野球」は野球界を面白くしたのは確か。

 

彼の名言(迷言?)は多々あるが、やはり「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」はまさに名言!

 

選手時代の野村氏をこの目で見たことはなかったが、昨年観戦した「スワローズ・ドリーム・ゲーム」で監督出場ながら代打で打席に立った野村“選手”を観れたことはラッキーだったと思う。

先月行われたばかりのスワローズのOB会の席で、今年から指揮を執る高津監督(野村監督時代の教え子の1人)に「しばらくヤクルトの優勝を聞いていませんが、なんとか今年ぜひ優勝してもらいたい。高津監督、僕に用事ないですか? ヘッドコーチを喜んでやりますよ!」と独自の野村節が出たとの事。

 

野村克也プロフィール

1935年(昭10)6月29日、京都府生まれ。

京都・峰山高から1954年にテスト生として南海入団。

ロッテ、西武で80年まで名捕手として活躍し、歴代2位の657本塁打を記録。65年には2リーグ制後初の3冠王に。

70年から選手兼任監督を8年務め、73年にリーグ優勝。45歳の80年に引退。

首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度、最優秀選手5度、ベストナイン19度。

89年野球殿堂入り、93年正力賞。

ヤクルト監督時代に日本一3度。

01年に阪神監督を辞任後、02年11月~05年11月に社会人野球シダックスの監督を務め、06~09年に楽天監督。

監督通算1565勝は歴代5位。

 

ノムさん、お疲れ様でした。

なんだかんだで野球を面白くしてくれた業績に感謝です。

合掌。