モヤモヤ ブラ 散歩~ラブホテル街だけでない古き佳き街~鶯谷散策後編 | 新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

新・迷って、悩んで、でも笑ったりもして…。

不惑の40代などと言うものの、40代になってから「踏んだり蹴ったり」、「弱り目に祟り目」な日々…。
あれから幾年過ぎ、日々の一喜一憂を好き勝手にほざいてる次第です。

前回、名曲(迷曲?)「うぐいすだにミュージックホール」リリース43周年にちなみ、鶯谷駅へ降り立ったことを記した。

駅に隣合ったエリアにとんでもない数のラブホテル街はあるもののミュージックホールなるストリップ劇場は無かった。

それにしても、山手線で渋谷、新宿、池袋とラブホ街があっても駅に隣接してはいない。

ある意味すごい駅である。

このおかげで「うぐいすだにミュージックホール」なる歌が出来たのか?

はてまた、この歌のヒットで駅に無数のラブホテルが隣接していったのか?

興味は尽きない。(笑)

 

さて、そんなイメージの強い鶯谷駅下だが、実はかの有名な俳人“正岡子規”の住居がこのエリアにあったと言うことなので、向かってみた。

こちらが「子規庵」と名づけられた正岡子規の住居です。

子規の句も貼り出していました。

それでは、中に入りましょう!

しかしながら、内部は撮影禁止。

入場料も¥500かかります。

一番の目玉となる子規が病床で寝たきり、それまでは執筆に勤しんだ部屋とその眼前に映る庭なのですが、こちらはパンフレットの画像から。

この机が子規愛用の机で。手前中央からやや左に不自然は四角い切り込みがありますが、これは左足を正座や胡坐の状態に出来ず立膝状態にしないとならなかったので、わざわざ切り取った部分との事。

正岡子規と言えば、一時期は「野球」という名の名付け親とまで言われた事もあるほどの野球好きで「野球殿堂博物館」でも紹介されていました。

また夢中で読んだ『坂の上の雲』にも登場していたこともあり、身近に思える文人である。

この建物は実は大戦時に焼失したのだが、完全なる再現をその後門弟らが行なったものだそうです。

(それにしてもラブホテルはこのエリアまで進出していた!正岡子規も自宅の周囲がそんなになるなんて思ってもみなかったろう)

 

子規庵を出て、通りを1本過ぎたところにまたも言葉の魔術師の記念館がありました。

ねぎし三平堂」です。

こちらは昭和の爆笑王と呼ばれた落語家“林家三平”の記念館。

残念ながら、この日は閉館で中に入れず…。

(ちなみに開館は週3日で水、土、日曜だけ)

表札も“林家”と“海老名”とありますね。

 

さて、昼飯を食っていなかったのでさすがに腹が減って何か食べたいとな、と思いつつブラブラする。

この「ねぎし三平堂」のある道に通じる言問通りの信号でまたノスタルジックな建物発見!

渋い作りですねー。

で、この信号の右ブロックになんかファンシーな色合いの店が。

どうやら、ハラル料理のお店のようです。

チャレンジ!と言うことで入店。(こちらはまた次にでも

 

食事も終え、今度は鶯谷駅の反対側に存在するスイーツをトライしに向かうことに。

今度は鶯谷駅の南口の陸橋を渡る。

線路を挟んで左側は下がっていて、右側は上がっているのがわかるでしょうか?

ここを過ぎると、またまた渋いお宅発見!

素晴らしいですね。

「おせん」とあるのでお煎餅やさんなのでしょうが、もうお店は現役引退したのでしょうかね…。

この通りをさらに進むと…、

「浄名院」というお寺が、綺麗で新たに設けられた感のあるお寺ですが、気になるのは左の門柱の横の自販機。

これですよ、これ。

なんと!お守りの自動販売機でした!!

あっそう、時代はそういう風になってきたのね…。(笑)

 

そしてこのちょっと先にお目当てのスイーツのあるお店が。

「愛玉子」と書いて“オーギョーチィ”というお店。

こちらも渋い佇まいです!が、こちらの模様も次回にでも。

 

「愛玉子」を出て左折すると「上野桜木」の交差点に出るのですが、ここも渋い建物のポイントです。

まず、

「カヤバ珈琲」さん。

さすがに食事~スイーツ後だったもので、入店しなかったのですが、一度入ってみたいです。

そしてこのまま180度周ると、

古えの建物が!

こちらは、旧吉田酒店で、

現在は「下町風俗資料館付設展示場」となって、明治期の商店の様子を残していまいす。

西洋の観光客が興味深げに見学していました。

 

鶯谷駅近辺はラブホテル街という印象が強いかも知れませんが、実は古き佳き建物、また文学や芸術が多く育まれた人々が済みやすい場所だったんですね。

いい街だと思いました。