「うぐいすだにミュージックホール」という歌が43年前の今日発売となった。
これは、当時ラジオの深夜放送などで下ネタもふんだんに盛り込み若者に大人気だった落語家(と言うよりお笑いタレント的だった)笑福亭鶴光が発表した歌で20万枚もの大ヒットを記録した。
こんなんですわー。
要は、鶯谷にあるストリップ劇場を舞台にした、切なくもスケベなコミックソング。
その“鶯谷”駅は山手線の中で、一番乗降客数が少ない駅だとか。
私も行ったことがないので、「うぐいすだにミュージックホール」リリース43周年記念の機会に訪ねてみました!
ここがJR鶯谷駅ホームで、ホームから山手線内側を臨むと、
目線より上に崖のように高くなっているが、そこはもう上野公園で国立博物館の裏手側になる。
続いて山手線外側を臨むと、
駅の眼下にはラブホテルが隣立している!
すごい!!
この駅を挟み、聖と俗がきっぱり隔てられている。
そして、高低差の真ん中に鉄道を設けた意図は?高低差好きの私としては個人的興味が!(笑)
とにかく駅を出て、俗な世界へ向かいましょう。
線路上に掛かる陸橋自体が下り坂になっているのが解るでしようか?
ここを下っていくと、下り切る直前くらい、陸橋の右側に気になるビルが。
ん、“ホール”の文字が…。
正面へ行くと、
「東京キネマ倶楽部」、「ウグイスシアター」、「ダンスホール新世紀」が入る複合ビル、しかし年季が入っている建物。
「東京キネマ倶楽部」は元々大箱キャバレーだったが閉店後にイベント劇場となり女子プロレスや地下アイドル、等が興行を行なう場所で有名。
「新世紀」のほうはホールはホールでもミュージックホールではなくダンスホールで、社交ダンス専用フロアーらしい。
実は「うぐいすだにミュージックホール」は架空のストリップ小屋で、鶯谷にストリップ劇場は無い。
もっと言うと「鶯谷」という地名も無いのだ。
さて、今度は陸橋の左側を見ると、
「吉田類の酒場放浪記」でも紹介した立ち呑み「ささのや」さんがある。
お店の左側、陸橋の勾配と階段が確認出来ます。
この周辺は、こじんまりながら迷路のような飲み屋ゾーン。
新宿ゴールデン街や渋谷のんべい横丁にも似た感じ。
ここをさらに進むと、今度は、
ラブホテルの迷宮路!
凄ーーーーーい数のラブホ!!
(ちなみに休憩4000円前後からが多かったです。笑)
そして、ようやくこのラブホテルエリアが終わる辺りにオアシスのような“緑”を発見。
電線工事車両の先ですね。
何やら、お社のようです。
高低差の上に君臨するのは「元三島神社」と言います。
どうやら、この地の鎮守のお社のようです。
しかし、ラブホテルに囲まれている神社というのも、なかなかなものですね。(苦笑)
さ、ここを抜けると“言問通り”です。
ちなみに、言問通りから冒頭の鶯谷駅陸橋を見ると、
こんな感じでした。
では、この近辺を散策続けましょう。
時々、マスコミで紹介される昔ながらのお煎餅屋さんの「手児奈せんべい」さんを発見。
青い日除けが出ていたのが残念ですが、お店の佇まい、そして隣接するコンクリート壁の建物もまたノスタルジィを感じさせてくれます。
鶯谷周辺は昔から残る住宅が多く、自分が子供だった頃の記憶の街の風景が現実に現れたりして、意外な発見もありました。
そんな中、こんな建物も。
うわぁ、昔の洋館式住宅ですね。
しかし、今は使われている気配もなく廃墟化に向かっていってるような…。
すると、この建物の案内板を発見。
旧陸奥宗光邸だそうです。
陸奥宗光は、明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正に大きな影響を与えた政治家で、外務大臣として不平等条約の改正に辣腕を振るった歴史上の重要人物です。
こんな処に住んでいたんですね。
ちなみに、近所の子供たちには代々ここを「ホワイトハウス」と呼ばれているとの事。
言問通りと小滝橋通りが交わる辺りに、有名な豆腐料理割烹店があります。
「笹の雪」というお店。
実は、“絹ごし豆腐”はこのお店が発祥とされています。
豆腐には、“絹ごし”と“木綿ごし”とありますが、表面がつるつるして上品な舌触りのあの“絹ごし豆腐”ですね。
(「笹の雪」さんでは“豆富”と表記するそうですが)
お店の前の赤い布を架けた長椅子が風情を感じます。
そして、大きな石碑もあります。
俳人正岡子規の歌が彫られてました。
2句あって、右の句が「水無月や 根岸涼しき 笹の雪」。
左が「蕣(あさがお)に 朝商(あさあきな)ひす 笹の雪」です。
このお店は、正岡子規がこよなく愛したお店としても有名。
正岡子規は実はこの近くに居を構えていたのです。
せっかくなので、そちらにも向かいましょう!と言うところでひとまず終了。