その後、せっかくなので近辺を徘徊しようと企む。
まずは、ここ早稲田大学!おお我が母校!!(ウソ)
正直、早大敷地内だけでも充分に散策出来てしまうほどの巨大キャンパス!
目的の施設が坪内逍遥絡みだったので、文豪繋がりで夏目漱石由来の場所へ向かうことにする。
「夏目公園」というところが漱石晩年の地で『吾輩は猫である』の「猫塚」などもあるらしい。
場所がよくわからないのでスマホの地図を頼りに向かう。
すると!
「夏目坂通り」というのがあり、何やらこの道を行けば目的の場所に着くような感じなので、この坂を上っていく。
上って行く。
ずっと上って行く。
まだまだ上って行く…、ん?全然目的地らしきものに当たらないではないか?!
この日、今年最高の炎天下と報道された日…。
もはや風呂上りのおっさん状態に汗塗れのわたくし。。。
途方に暮れて、勘に任せて周辺を徘徊する。
彷徨うこと20分ほどで、目的の「漱石公園」に到着!
え…?
この9月に新施設としてオープンするために敷地内は立ち入り禁止。。。
そりゃ、ないだろう…!!
ずぶ濡れ汗まみれで再度途方に暮れてみた…ああ、モヤモヤ…。
何とか気を取り直し、再び早大の辺りに戻り、「早稲田通り」を高田馬場駅へ向かってブラブラすることに。
早稲田通りの先、「馬場下町」交差点辺りに立派な鳥居が見える。
行ってみましょう。
ドーン!
立派も立派、お金がかかってそうな神社。
こちらは「穴八幡宮」と言うそうです。
1062年、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め八幡神を祀ったのが由来らしい。
1641年(寛永18年)にここにあった山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像を発見し、これを「芽出度い」大喜し、以来、「穴八幡宮」の名に。
徳川家歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍吉宗公は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため“流鏑馬”を奉納し、今も行なわれている。(現在は近くの戸山公園にて開催。)
なるほど、徳川歴代将軍が度々の参拝となれば、潤いますやね。
階段を上ると、山門も本殿も豪華でした。
再び、早稲田通りを西へ向かいます。
やはり学生街だと実感するのは、古書店が今も多い。
こちらの書店は年季が入っています。
早大生は“バンカラ”なんて言われて頃から営業していたんだろうなぁ…って、いつの時代だ?!(苦笑)
今や本屋さんも、大チェーン店かブックオフくらいしか見かけなくなりましたからねぇ。(しみじみ)
いにしえの時を感じます。
すると、そんなもんじゃない位、昔を対象にしたビルが…。
「エジプト考古学ビル」って??
もう、昭和とか江戸時代とかそんなレベルではないほどの“いにしえ”を紹介してるんですね。
でも何故、早稲田に?(笑)
しばらく歩くと、地元の人々に愛されていそうな地蔵尊が。
ちょっとした腰掛的スペースもあり、和める空間です。
で、ここは「源平地蔵尊」と言うらしく、その由来は下掲画像の通り。
やはり、未墾の地を開拓した人はリスペクトされますね。
さらに西へ向かい歩いて行くと今時懐かしいタイプの映画館が!
「早稲田松竹」劇場です。
2本上映タイプのこじんまりした昔ながらの映画館。
むかぁ~し、中学生の頃に1回来たんじゃなかったかな?
何観たんだっけ…??
ちっとも思い出せない。
ちなみにこの日は、
「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」、「たかが世界の終わり」という作品。
渋そう。
程なく、高田馬場駅西口付近へ到着。
昔から変わらずにある古い公的施設。
「新宿区立戸塚第二小学校」です。
“区”や“学”の文字が昔!
俺が通ってた新宿区立の小学校もこんなプレート掲げていました。
住所プレートだって、これ大昔の住所なんじゃないかな?(苦笑)
先ほどの「源平地蔵尊」に大正時代のこの学校の写真が飾られてました。
極めて個人的な気持ちですが、同じ新宿区立小学校を卒業し、母校は廃校の憂き目に合った者のとしては、高田馬場駅前に現存して頑張っているのが嬉しく感じます。
さ、もう「高田馬場駅」前です。
JR山手線、西武新宿線、東京メトロ東西線が通る駅。
そして、昔から高田馬場駅前のランドマークである「高田馬場BIG BOX」も健在。
昔は青い部分は赤色じゃなかったっけ??
テレビの公開放送でも昔は使用されていましたね。
懐かしい。
炎天下の早稲田通り散歩、汗だくで食欲も出ないまま、このまま帰宅したのでした…。